石川淳選集収録作品一覧を作ってみた

 先日、そろそろ読むかと本棚の奥から『至福千年(amazon)』を引っ張り出して読んでみた。石川淳読むのは久々。
 つまんなかったらポイするつもりだったんだけど、やっぱり読むと面白い。どこがどうとはいいにくいのだが、読んでいて楽しい。ポイどころかもっと読みたいとなり、いっそ全集みたいので揃えてみてはどうかなんてことまで思ってしまった。で、あるに決まってるだろうからWikipediaの項目で全集何冊本なのか確認してみっかと調べたら、

石川淳著作集』全4巻 全国書房、1948-49
石川淳全集』全10巻 筑摩書房、1961-62
石川淳全集』全13巻 筑摩書房、1968-69、増補版・第14巻 1974
石川淳選集』全17巻 岩波書店 1979-81
石川淳全集』全19巻 筑摩書房 1989-93(※翻訳編も収録)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%B7%9D%E6%B7%B3

 バージョンありすぎだった。
 で、日本の古本屋いって検索かけてみたところ、死後の19巻本と74年までに完結した14巻本で嘘みたいな価格差がある(ちなみに19巻本も新刊では入手できないし、入手できたとしても定価ではまったく手が出せない)。安い方が嬉しいが74年までとなると収録されていないのはどこからなのか、手許には『狂風記』と『六道遊行』はあるけど、これにプラスしてあと何冊探せばいいのか、など気になるところで、どっかに収録作一覧はねえのかと検索してみたら、奇特な方が収録作リストを作ってくださっていた。それも14巻本19巻本両方である。ありがたい。

kenkyuyoroku.blog84.fc2.com
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 見較べてみると、14巻本が出たあとのものが追加されて19巻本になったというわけでもなさそうである。おまけに19巻本なら解説は鈴木貞美だ。しかし、圧倒的な価格差、むむむ……。となって、ことのついでに選集17巻はどんな感じなんだろとこれも検索してみた。岩波書店のページを見ても収録作一覧はない。上記サイトにも選集はない。日本の古本屋を見てみてもお値段はわかるが収録作まではわからない。サイズはコンパクトな新書版とある。スペース的には負担が軽そうであるが、さてはて。となったところで、地元の図書館にあたる手があったと思いつき、検索してみたら全集はないが選集はヒットしてくれたので、どんなもんか確認して見るべしと一巻予約する。
 開けてみたらなんと「佳人」が未収録(自選集らしいんだけど、デビュー作を入れなかったんだ……)にちょっとびっくり。で、いちばんうしろを見てみたら、おやまあ全巻収録作リストが載ってるじゃないの。っつーことでそれを入力してみた。
gkmond.hatenadiary.jp
 ニッチもニッチなデータではあるけれど、おれはこのリストが欲しくて彷徨ったのだし、まあ折角入力したのだから有用かどうかなんて度外視する。このあと各収録作品付き合わせ、読んだものを確認し、どのバージョンがいちばん自分にフィットするか考える予定(なんだけど、どれを選んでも半分近くは評論で、読みたいのは小説だけだから、結局手を出さずに終わるかもしれない)。

ウィルキー・コリンズ 仮井三十訳『カインの遺産』

 ってなわけでepubにしたところで苦労したり作品情報入れるところでロイヤリティの設定条件に驚いたりしていたこれ、無事リリースにたどり着いた。

 エントリータイトルでわかるように、作者は『白衣の女』『月長石』なんかが有名なウィルキー・コリンズ。結構好きなので一度訳してみたかった。これを選んだ理由は今までに訳されたことがなさそうな作品のひとつだったのと、コリンズが生前最後に完成させた作品だったから。
 『毒婦の娘』の解説で佐々木徹が「後半失速気味だが、前半は極めて好調で楽しませてくれる」と書いているのが、自分に見つけられた唯一の作品評ってレベルで言及が少ない作ではあるけれど、訳している分には楽しかった。
 テーマは「道徳性は遺伝するのか」って問いで、物語は監獄を舞台に始まる。夫殺しで死刑宣告を受けた囚人が悔悛しないどうしようってところから評判のいい牧師が呼ばれる。囚人は牧師に悔悛してやってもいいけど条件があるって言い、自分の娘を養子にして欲しいと頼む。牧師はそれを引き受ける。さあこの子がどう育つでしょう、にあれこれの大映ドラマっぽい要素が加わるのだけど、贔屓の引き倒し的なことを言わせてもらえば、出揃った大映ドラマな要素を津原泰水が『赤い竪琴』でやったみたいなずらし処理かけようとしていて興味深かった(とは言え、その手つきは津原みたいに洗練されたものではないため「後半失速」という読みが成り立っちゃうんだけど、そこに作者の願いみたいなものがあるんだというふうに訳者のおれは読んだ)。
 このへんもうちょっと書いてみたい気もするけれどリリース初日からネタバレ記事書いてどうするっていう気もするのでこれくらいにしておく。
 とりあえずサンプル読んで気に入ったら続きも読んでもらえたらと思う。お値段安くしてないので、キンドル・アンリミテッド登録してる人がきまぐれ起こしてくれると嬉しいなあ(もちろん購入してくれる人がいたら大喜びしますが)。

 
 

  

35%と70%

 前回の続き(?)
 EPUBファイルをどうにかこうにか作成し、見直しとかもして、そろそろアマゾンさんにアップロードですかねって気分になったので、登録情報をポチポチやっていった。
 KDPのロイヤリティを決める項目で35%にしますか70%にしますかってのを選択する箇所がある。70%を選ぶには読み放題に登録しなきゃいけないとか著作権者でなければいけないとかそういう縛りがある。今回作ってるのは作業量も結構あったので奇蹟: 柴田宵曲随筆選のときみたいに99円で売るのは無理(奇蹟の場合は無料がないので有料の下限に設定しただけだった)と考えており、これくらいはほしいよねというロイヤリティの腹づもりもして数字を入れてみたのだけど、なんと上の条件以外に70%ロイヤリティを受けられる価格の上限なんてもんがあったのね。知らなかった。希望金額入力したらその金額だと35%しか選択できませんって言われちゃったよ。もともとKU登録してる人をメインターゲットにするしかあるまいと思っていただけに定価はむしろ好きに設定してしてしまえと思ってたわけだけど、好きに設定するとロイヤリティの%が減るんじゃもっかい考え直さなきゃいけないなあっていうか、現実問題としては読み放題設定できる範囲に収めるしかないよなあ。やらないと知らないままのことは色々あるもんだと思いつつ上限の数字を入力した。2000円とか強気の値付けがしてみたかった。まあ、仕方ない。っつーことで、もうすぐリリース。何も問題なく出てくれるだろうか。

EPUBファイルをくっつけたり分解したり不意にあらわれた目次を消したり

『鬼啾啾』KDPしたときに、結構な苦労をしたのに、『通夜の人々・見えぬ顔』出したときは割とスムーズに公開までたどり着いたもんだから文字飾りさえなきゃどうとでもなるだろうと高をくくって次のKDP用ファイルをポチポチ作成して、表紙なんかも仮こしらえして、そろそろキンドルでどんなふうに見えるかチェックしとこうかなあって一太郎さんにepubファイル作らせてプレヴューワーで開いてみたら、なんか一画面一文、みたいな区切り方がなされていて慌ててsigilにファイル放り込んでみれば、恐ろしい数のdocumentってファイルが並んでいた。
 入力方式はまえと変わらないのになぜこんな未体験ゾーンに突入した? と首をひねったが、なぜ起きたかよりもさっさと直してしまおうとファイルをマージして邪魔なタグ消してってやっていったら、途中から今度は複数の章が1ファイルにまとまっており、ここまで1章1ファイルにしてきたんだから、最後までそうしたほうがよかろうがどうしたらそうできるのかと考えて、スキルがないのだからちまちまやるしかあるまいってことで、コピーとデリートに頼った整形をちまちま行った。ファイルのコピーつくって元ファイルは冒頭の1章残して全デリート、コピーしたファイルは冒頭の1章デリートしたら名前変えてコピー作って冒頭になった章以外全デリートみたいなスマートさゼロスタイル
 何回かこれ繰り返して一休みがてらプレヴューワーでファイル開こうとしたら、レイアウトがおかしいどころか開けなくなっていた。なぜ……と涙目になりつつ調べてみたら、目次のリンクがエラーを起こしているらしいとわかる。
 ファイルのリネームは自動で更新してくれるスマートなsigilさんもコピーしたファイルまでは追いかけてくれなかった(そりゃそうだ)っつーことで、作業に目次のリンク修正も加えてスマートさゼロスタイルの作業は続く。
 途中で「このあと本文をいじろうと思ったら元の文書ファイルとepubファイルの両方とも別個の更新作業しないと駄目なんじゃない? 文書ファイルいじってepub出力したらまた一からやり直し状態なんだよね」と気がついたがもはや後の祭りであった。
 で、ちまちまちまちまと作業を続け、最後まで1章1ファイルに仕上がったのでプレヴューワーでファイルを開いた。今回は目次が直っているので開けた……が、今度はなんか前回なかった謎の横組み目次が発生していた。なんで? こんなん出なくていい。と、思ったときに、そういえば『鬼啾啾』作ったときに、どっかの解説記事でタイトル前に出てくる横書き目次(現れたのはまさにそれ)消せるって言ってたような。と思い出したので検索。
 当時見たサイトが出てくる前にこちらの記事がヒット。
note.com
あーそうだったそうだった、論理目次とかいう言い方見たよー、でも作り方じゃなくて消し方なんだよねえ、と思いつつ読み進めていったら、

Sigilの左側にあるブラウザナビで順番を設定してください。

論理目次(navi.xhtml)はテキスト(xhtml)の最後にドラックして移動

HTML目次(toc.xhtml)はテキストの最初へ移動してください。

これで論理目次とHTML目次が設置できました。

 と書いてあり、自分のファイルを見るとnavi.xhtmlは上から二つめくらいの場所にあった。だから突然登場したの? でも最初からこの位置で前回見てみたときは出て来なかったし、ほかの作品ファイルでもこんな出方してなかったけどなあ……と思いつつ、ものは例なのでファイルの場所を動かしてみた。
 そしたらば、
 消えた。ちゃんと非表示になった。
 なんでなのかはわからんが問題解決(たぶん)。
 もうちょっと確認作業して問題なければ(まだありそうな気もするけど)リリースへ向かいたい。今回は自分で訳した翻訳。
 オチはないけど、リンク先の記事に助けられた話の前後関係は書けたからこのエントリーはこの辺で。

小酒井不木『通夜の人々・見得ぬ顔他十篇(附国枝史郎評・随筆)』

 先日、本棚で眠り続けていた『国枝史郎探偵小説全集全一巻(amazon)』をなんとなく引っ張り出して全部読んでみた。国枝については、大昔に『神州纐纈城(青空文庫)』を読んで、筋はそれほどでもなかったのだけども、漢字の使い方が楽しくてなんとなく好きって思っていた時期があって、その頃に買ったもの。どうして未読のままだったかと言えば、ジャンルが探偵小説になってもやはり、筋はそこまで好きと思えなかったので何本か読んで挫折していたのである。で、この本、デカくて厚くて、高かった。それがいつも本棚を眺めるときに視界に入る。買ったのに読んでねえなと思いつつスルーし続けるのもいい加減いやになったので、もっかい読みにかかって合わないなら処分だと決めて読み出してみた。創作についてはやっぱり自分には合わないという結論だった。
 ところでこの本、探偵小説全集というタイトルではあるのだけど、創作は全体の半分ちょっとくらいの分量で後半は探偵小説評論的な文章が「評論・感想篇」としてまとめられている。当然そっちも読んだ。篇の最初を飾っているのは、「日本探偵小説界寸評(青空文庫)」。その冒頭を引く。

 二十八歳で博士号を得た、不木小酒井光次氏は、素晴らしい秀才といわざるを得ない。その専門は法医学、犯罪物の研究あるは将に当然というべきであろう。最近同氏は探偵小説の創作方面にも野心を抱き、続々新作を発表している。犯罪物の研究は、今や本邦第一流類と真似手のない点からも、珍重すべきものではあるが、その創作に至っては、遺憾乍ら未成品である。「二人の犯人」「通夜の人々」これらの作を読んでみても、先ず感じられる欠点は、先を急いで余悠がなく、描写から来る詩味に乏しく、謎を解く鍵には間違いはなくとも、その解き方に奇想天外がなく、矢張り学者の余技たることをともすれば思わせることである。但し市井の新聞記事から、巧に材料を選び出して、作の基調にするという、そういう際物的やり方には評者は大いに賛成する。豊富な資力、有り余る語学力、立派な邸宅、美しい夫人、よいものずくめの氏ではあるが、ひとつの病弱という悪いものがあって、氏を不幸に導こうとしている。併し病弱であればこそ、そうやって筆も執られるので、そうでなかったら勅任教授か何かで、大学あたりの教壇で干涸ひからびて了うに相違ない。文壇擦ずれの毫も無い、謙遜温雅な態度の中に、一脈鬱々たる覇気があって、人をして容易に狎なれしめないのは、長袖者流でないからである。

 慇懃無礼っつーか褒め殺しっつーか。要するに「大したお人だけれど作品はつまんないね」と言っているわけである。このあと乱歩はじめ何人かに言及してこの文は終わる。
 次が「マイクロフォンーー雑感ーー(青空文庫)」
 ここの第3パラグラフにまた小酒井不木の名前が出てくる。

小酒井不木氏は「手術」を書いて、素人の域から飛躍した。しかし「遺伝」に至っては、学者の余技たる欠点を、露骨に現わしたものである。「犯罪文学研究」は、西洋物ほどには精彩がない。

 なんか偉そうである。ケチをつけるために一本だけ褒めてみた、みたいに見える。感じわる、と思った。
 ところが、その次の「大衆物寸感(青空文庫)」を読むと、「手術」を褒めたのは決してほかを下げるためのレトリックではなかったらしいのである。こんなふうに書いている。

小酒井不木氏の探偵小説は、専門の智識を根底とし、そこへ鋭い観察眼を加え、凄惨酷烈の味を出した点で、他たに殆ど匹儔を見ない。――と、こんなような真正面から、ムキ出しに讃辞を呈すると、或は謙恭な小酒井氏は、恐縮して閉口するかもしれない。併し他人の閉口なんか、私はちっとも苦にしない。で、平気で褒めつづける。
「手術」は凄惨な作である。縮尻ると惨酷になったろう。だが夫れは救われている。正直な質朴な表現が、それを救っているのである。「痴人の復讐」も凄惨な作で、これを読んだ大方の読者は、恐らく頭のテッペンへ、ビーンと太い五寸釘を、打ち込まれた感を得るだろう。この作には社会性がある。大袈裟にいえば人道主義がある。態度がノロマだということだけで不当に他人から軽蔑される、そういう人間の憎人主義の片鱗を示した作である。こういうことは社会に多い。こういう受難者は怒っていい。勇気があったら復讐していい。この作一つを取り上げて、五十枚の論文をつくることが出来る。
(略)
 同じく心臓を扱った作に「人工心臓」というのがある。同氏は自分でこの作を、失敗な作だと云って居る。私は然そうは思わない。しかし作者がそう云っているものをいや結構でございますと、結構の押売りをするということは、些いささか変なものである。妥協をすることにする。

 べた褒めっつーか、押売的に褒めている。さっきはほかにケチをつけるために褒めたように見えた「手術」評が今度は「手術」好きすぎてほかまで褒めたみたいになっている。というか、これ以後、篇の最後まで国枝は取り上げた小酒井不木作品をすべて褒めている。
 『探偵小説全集』編者の末國善己は、国枝の探偵小説評論が「親しい作家は褒めるが、あまり面識のないと思われる作家に対しては辛辣な言葉で批判するなど、立脚点が不明瞭で場あたり的な発言も目立つ」と評しているのだけど、これは「日本探偵小説界寸評」から「大衆小説寸感」までのあいだに国枝が小酒井不木と仲良くなったってことなんじゃろかなどと、文章の内容とは全然無関係な方向に想像が広がる。
 もちろん、著者との親疎でスタンスが決まっているような作品評は当てにならない。が、「好き好き大好き超愛してる」ってな具合に飛び跳ねるワンちゃんが微笑ましいのと同じように、国枝の小酒井不木評は微笑ましい。あまりに微笑ましすぎて小酒井不木の作品を読む気にさせる。少なくともおれ相手にはそういう効果を持っていた。
 で、「国枝がこう評した作品がこれ」もしくは「この作品を国枝はこう評した」をまとめたら楽しいんじゃないかなと思って、国枝が言及している作品をピックアップして短編集を作ってみた。それが

である。本日リリース。お値段480円。キンドル・アンリミテッド対応。よかったら読んでみて。
 国枝の話しかしてないのに小酒井不木の作品集ってどういうことだと思われるかもしれないが、作ったほうは半ば以上国枝史郎の「好き好き小酒井さん」を楽しむために作っちゃったんだから致し方ないではないか。
 編者的にアピールしたいポイントは上記国枝の微笑ましさなのだけども、おまけ情報的に付け加えると収録12本のうち3本(「ふたりの犯人」「通夜の人々」「見得ぬ顔」は現時点青空文庫未収録、キンドルで読めるのはこの短編集だけ。この3本の入力は改造社の『小酒井不木全集』から行った。で、どうせならと思って、青空文庫に収録されているほかの短編についても漢字にするか平仮名にするかは『小酒井不木全集』にあわせた(もっとも、字体は新字にし、仮名遣いは新仮名にした)。
 こういうのが楽しめる人に見つかるといいなあと思いつつ、発売開始の宣伝おしまい。