川島高峰 『流言・投書の太平洋戦争』読書メモ3


 この本の読書メモ。
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 第一章第二節 緊張から熱狂へ

 大詔が出た結果、献金が殺到した。12月17日には第七十八臨時会議で「大東亜戦争目的貫徹決議案」が満場一致で採決された。これに先駆け全国の地方議会でも、同様の決議文が続々と採決された。
 また、東京では十日午後一時から新聞社八社の共同主催で「米英撃滅国民大会」が小石川後楽園で催され、数万の観衆がこれに詰めかけた。演説者は、徳富蘇峰緒方竹虎正力松太郎三木武吉など。これは相当な盛り上がりで、「戦争熱は短期間で国民統合を強化していた」と評されている。戦況を早く知りたくてラジオを購入する人が増えたともあり、カラーテレビの普及の話など思い出した。

メディアは戦争のたびに大きく発展するものである。日露戦争の時には農村地帯で新聞購読者が増えた。その後の、新聞は戦争のたびに戦況報道を競い、購読者を増やしてきた。日中戦争期にはラジオによる戦地からの中継放送が行われ、これにより聴取者を増大させていった。しかし、メディアは民衆統制の有効な手段であり、ラジオが地方・全国レベルでの統制を、回覧板が地域の統制メディアとして活用された。

 戦地からのラジオ中継があったというのは知らなかった。あと世界地図がよく売れたんだって。逆に映画館はアメリカ映画の上映をしないと業者が申し合わせたため、客足が激減したそうだ。料亭も閑古鳥が鳴いたとある。

こうした傾向は個人主義的傾向の払拭(ふっしょく)ということで歓迎された。「最も顕著なことは物資不足を訴える不平不満が市民生活から消滅し」、「これまで自分の利害ばかりを中心に『某店では抱き合わせでないと売ってくれない』だの『私の家では家族一同イカの夢ばかり見ている』といった不平不満がなくなり建設的試案が投書の形で書き綴られ始めた」として、新聞もこの傾向を評価した(『神奈川新聞』十二月十日)。

 なんか戦争起きたらSNSにどんな書き込みが溢れるか予想する一助になりそうな話だ。労働争議にも変化が出た。次の引用の出典は『特高月報』。

 労働争議の発生は更に著減し、また係争中のものもその早急解決に拍車を加え、其他出勤率向上、欠勤、早退、遅刻の現象、作業能率増大等の好現象となりて現われ、就中(なかんずく)従来職場に於て見受けられたる階級的観念または待遇上の不満に基く各種の不穏落書は其跡を絶ち、これに代わりて聖戦完遂の意気を高調せるものを散見せらるゝ実情。

 こういうご時世だから団体交渉とかしてる場合ではないって感じだったのかね。勝てそうな予感ってのはすごい力があるもんだ。
 で、これも十日に『決戦生活訓五訓』というものが発表になる。

一、強くあれ、日本は国運を賭している。沈着平静職場を守れ
二、流言に迷うな、何事も当局の指導に従って行動せよ
三、不要の預金引出し、買溜めは国家への反逆と知れ
四、防空防火は隣組の協力で死守せよ
五、華々しい戦果に酔うことなく、この重大決戦を最後まで頑張れ

 これを要約すると、①職分奉公、②防諜、③貯蓄奨励、④防空、⑤長期戦の覚悟――の五点である。この五点は敗戦まで民衆統制の原則として繰り返し強調されていった。

 著者は特に防諜を取りあげ「防諜とは国民自身による相互監視システムにほからなからなかった」と言い、川越警察の防諜に関する指導方針をまとめた「防諜概説要綱」(1941年5月)を引く。

一、自己の持場を厳重に守ること
二、各々自己の言葉を慎むこと
三、自己の持ち物に注意すること
四、他人の言葉や記事等に軽々しく迷わされぬこと
五、自分の行いを慎み、つけ入られる隙を作らぬこと

と、常時の緊張を国民に強いるのである。防諜の真の狙いは、スパイという「非国民」が魑魅魍魎(ちみもうりょう)のごとく暗躍している印象を与え、相互監視のシステムを作ることで国民を強力に統制することにあった。
 同要綱の「結び」にそのことがよく現れている。「結び」は「要は真の日本、真の日本人となること」という言葉で始まり、さらに、

 防諜の根本は日本国民が至誠奉公の念に燃える真の日本人になること……外来思想、即ち自由主義個人主義思想も徹底的に排除して真の日本人に立還らねばならない……日本が本当の日本、自首独往の日本となり日本人が真の日本人となって、はじめて真の防諜が出来る。

と、「真の日本人」を繰り返す。(中略)「真の日本人」と「非国民」は背中合わせなのである。開戦後はこれに罰則の強化がつけ加えられる。

 新聞等でも防諜特集が多く組まれたが、対策としては「“軍の事は知らぬ”これぞ国民の合言葉に」という『三猿主義』が決まって持ち出されたとある。「真の日本人」とは「見ざる、聞かざる、言わざる」者ということなのであると著者はまとめている。なんかこれって、戦後も「軍」を「政治」に替えた処世術としてずっと生きていたんじゃないかという気がする。
 あと知らなくて意外なところに名前が出てきたと思ったのは、今和次郎考現学という単語とセットで覚えていた名前だったのだけど、アメリカニズムの一掃を掲げて、「いまだ残存する“アメリカ臭”風物の記録撮影」し、「銀座に見る敵性ぶりはまだ相当なもの、〈中略〉これでも戦争している銃後かと疑われる」という批判を行った興亜写真報国会の指導役だったんだって。「欲しがりません勝つまでは」を世に送り出した花森安治や、戦意高揚詩を書いたことへの反省文を全詩集あとがきに延々と書かなきゃいけなかったまどみちおなんかのことを連想した。しかし、この「銀座に見る敵性ぶりは~」って難癖の付け方も、今でもありそうだよな。非国民ってことばは反日に入れ替えれば「ああ、こういう感じね」と思うし。このあと、緒戦の勝利に大はしゃぎする新聞の見出しが引用されているんだけど、「大統領、一時は失神状態 国務省も蜂の巣!」「敗報相次げど施す術なし 狂わん許(ばか)りのルーズヴェルト」など、見てきたようななんとやらで記事を書いているのが読売新聞なのも現代に通じている気がする。『太平洋戦争と新聞』(amazon)という本の冒頭で、朝日と毎日は社員が突き上げやって経営陣を入れ替えたって話が紹介されているんだけど、読売なんて上の「米英撃滅国民大会」で演説してる正力松太郎が『巨人の星』の時代になってもまだふんぞり返っていたいて、原水爆禁止運動への反動キャンペーンも打ってるし、ここはほんと戦前から今に至るまで連綿と受け継がれた価値観みたいのがあるんだろうなと思う。今ウヨ的な言説で目立つ新聞と言えば、そりゃもちろん産経だけどさ、どっちも戦前戦中を温存してるわな。
 そんなことも、と思ったのは、灯火管制やら自粛やらの結果、昭和16年の大晦日には除夜の鐘が鳴らなかったという記述。楽観ムードのときすでにこうなのかって感じがした。

川島高峰 『流言・投書の太平洋戦争』読書メモ2


 この本の読書メモ。
前回。
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 第一章第一節「臨時ニュースを申し上げます」
 は1941年12月8日の真珠湾速報から稿を起こしている。朝に臨時ニュースのラジオ放送があって、その日だけで16回のニュース放送が流れた。昼前に宣戦布告の大詔(たいしょう)が発せられ、正午には君が代が流れて詔書が読み上げられたとある。戦況の発表は午後一時。この時点では戦果報告なし。夕刊は競って読まれたようで、こんな回想が引用されている。

「有楽町のホームでひとつの新聞を読み、もうふたつをオーバーのポケットにはさんでおきました。夕刊を読んでいるうちに、私もすっかり興奮してしまい、ポケットからふたつの新聞が盗まれてしまったのもまったく知りませんでした」(保坂正康「日本人がいちばん熱狂した日 ドキュメント・昭和十六年十二月八日」『潮』一九八三年一月)

 まあこんな感じだったのかね。

 で、午後六時になると首相官邸が政府の発表は「政府が全責任を負い、率直に、正確に、申し上げるものでありますから、必ずこれを信頼して下さい」と呼びかけた。読んだときに内藤剛志の顔が浮かんだのでなんでだろうと思ったら、昔懐かし『家なき子』で内藤演じる主人公すずの父親が「自分を信頼しろというやつを信じちゃ駄目だ」と言っていたのを思い出したからだった。で、わかりやすく保阪尚希が「相沢、先生を信頼するんだぞ」と言って……話がずれた。
 で、開戦の報に爽快感や開放感(もやもやしていたものが一挙に吹き飛んだ」とか)、歓喜を感じた人が多かったという話はなんとなく知っていたので、あまり驚きもない。筆者はここで、

この「もやもやしたもの」とは戦争目的への疑問にほかならない。アジアを欧米から解放すると言いながら、その欧米とは直接戦闘することなく、すでに中国と四年も戦争をしていたのである。しかも、戦線はいたずらに拡大し、この泥沼化した大陸の「事変」に対する目的意識の喪失と厭戦(えんせん)気分が国民の間に蓄積されていたのである。

 と説明している。開戦当時十歳だった人の、開戦の放送を聞いて思わず「うわーい、やった、やったあ!」という反応は、それまでどんなふうに報道がされていたのかをよく示しているように思った。
 このへんはイメージどおりだったのだけど、次に引用する伊藤整の日記は、やや意外というか趣が少々異なっている。

 バスの客少し皆黙りがちなるも、誰一人戦争のこと言わず。〈中略〉新宿駅の停留場まで来たが、少しも変わったことがない。そのとき車の前で五十ぐらいの男がにやにや笑っているのを見て、変に思った。誰も今日は笑わないのだ。

 また、当時、フランスの通信社の特派員として来日していたロベール・ギランは、「当日午前七時、東京・新橋で開戦を告げる号外に接した日本人の姿を次のように記録している」。

 人々は号外に目を通すと、「だれもが一言も発せずに遠ざかっていった」、新聞売子の周りにひしめき合う見知らぬ同国人たちに、進んで自分の感情を打明けようとする者はいなかった」。

 こうした様子をギランは次のように解釈した。

 彼らはなんとか無感動を装おうとしてはいたものの、びっくり仰天した表情を隠しかねていた。この戦争は、彼らが望んだものではあったが、それでいて一方では、彼らはそんなものを欲してはいなかった〈中略〉何だって! またしても戦争だって! このうえ、また戦争だって! というのは、この戦争は、三年半も続いている対中国戦争に加わり、重なる形になったからである。それにこんどの敵は、なんとアメリカなのだ。アメリカといえば、六ヵ月足らず前には、大部分の新聞や指導者層が御機嫌を取結んでいた当の相手ではないか!(傍点筆者)(引用者註:この引用では傍点は斜体にした)

 要するに民衆は「事変」長期化の根本原因の解決を「望んでいた」のであって、戦争を「欲していた」わけではなかった、というのが筆者の解釈。
 ところが、午後一時半にギランはムードが一変していることに気がつく。なぜか。真珠湾攻撃の大戦果を知って安心したから、では、ない。まだ戦果報告はされていなかった。ムードを一変させたのは「宣戦の大詔」である。

それは、もはや、今日の日本人には理解しがたい心情であるが、国民の戦争に対する決意と戦争目的の確信を導いたのは「大戦果」ではなく、天皇の「大詔」だったのだ。

 大詔の内容は本書p.33~34で語られているけれども、長いので、ウィキソースで見つけた原文を代わりに貼っておく。そのうち気が向いたら写すかもしれない。
ja.wikisource.org
 で、次の引用のように解説がされているのだけど、知らなくて驚いたことがいくつかあったので太字にしてみた。

この詔書により日本人は「大東亜戦争」の戦争目的を理解したのである。このことは、逆に当時の日本人が、いかに自民族中心主義的にしか世界情勢を理解できていなかったかを如実に物語っている。
 若干の捕捉をすると、詔書に言う「与国ヲ誘ヒ帝国ノ周辺ニ於テ武備ヲ増強シテ我ニ挑戦」とは、「ABCD包囲網」のことを指す。(略)この「包囲網」という表現には切迫した危機感があり、開戦前から盛んに言論・報道を通じて主張されていた。しかし、当時のヨーロッパ戦線の動向からしても、「ABCD包囲網」というのは、いかにもおかしい。独軍の包囲網により追いつめられた英仏軍がダンケルクから、奇跡的な撤退を始めたのが一九四〇年(昭和十五)五月末のことである。アメリカで武器貸与法が成立したのが一九四一年三月であり、これを受けイギリスが反攻の態勢をとれるようになるのは一九四二年中ごろからである。オランダはもはや亡国状態にあり、中国を包囲しているのは日本の方である。イギリスやオランダは欧州戦線に釘付けであり、とても「東洋制覇ノ非望ヲ逞ウセムトス」というような余裕はない。包囲網とは名ばかりで、要はアメリカなのである。また、この詔書では「大東亜戦争」がもっぱら中国をめぐる日本と英米間での問題として説明されている。しかし、それならば、なぜシンガポール、フィリピン、インドネシアといった南方にまで侵攻する必要があるのかということの説明には全くなっていない。
 さて、この「宣戦の大詔」について、最後にもう一点。「大日本帝國天皇ハ昭ニ忠誠勇武ナル汝有眾ニ示ス」で始まるこの文章は、一読しておわかりのように天皇が国民に対し発した言葉である。(略)この宣戦布告の文章と目的語の関係に注目されたい。これは、明らかに日本国民に対する宣言であり、国際社会に向けた言葉ではない。つまり、宣戦布告といいながら、その文章には目的語に対戦国が登場してこないのである。この主語と目的語の関係は戦争の性格を象徴している。(太字は引用者)

 宣戦布告の宣言が国際社会に向けられたものではなかったってのにも驚いたが、ABCD包囲網って、おれ、小学校のとき『まんが日本の歴史』で読んだ記憶あるんだけど、こんな胡散臭いワードだったわけ? という驚きで口が開いた。
 で、この宣言が戦闘開始報道のあとに出たことは特に誰も疑問に思わなかったらしいのだが、その理由を語るところにも知らなかったのでびっくりが。太字にしておく。

満州事変」、「支那事変」と宣戦布告のない「戦争」に慣らされていたこともあるだろう。また、実は日本軍は日清戦争のおりも、日露戦争のおりも宣戦布告なき先制攻撃の例があった。一八九四年(明治二十七)、日清戦争開戦時には、八月一日の宣戦の詔勅に先立つ七月二十三日に日本軍がソウル王宮を制圧しているし、一九〇四年(明治三十七)日露戦争開戦時の仁川沖海戦旅順港襲撃においても、二月十日の対露宣戦布告以前に戦闘が開始されていた。これは、一九〇七年、宣戦布告をせずに戦闘をすることを禁止した国際条約が調印される前のことである。条約調印後は、「事変」でごまかしてきたことになる。

 思い出したのはこれ。
 
mainichi.jp

現地の政府軍と反政府勢力の争いを「戦闘行為」と認めれば憲法9条に抵触しかねないので、表現を「武力衝突」と言い換える--。

 真珠湾自体は連絡の不備で云々ということが書いてあり、もし予定通りにいっていれば、「国際法上の違反とはならないが、要するにそういう形でしか緒戦の勝利を得る方法はなかった」わけで、この戦争そのものの無謀さを示していると著者は言う。もちろん、国民はそんなことは知らない。前述されたように開戦の報に爽快感や開放感、歓喜を感じた人が多かったし、それ以外の反応は「いよいよ来たるべきものが来た」という緊張感だったり、「進むべき道が示された」という納得だったりで、先行きの不安を感じたものはごくわずかだった(最も少ないのが日本の敗北を予感した者だったとも書かれている)。
 一方で、中島飛行機に勤めていた男性や外国の技術書を読んでいた技術者、海軍軍人の子弟が多く通う学校の生徒などは不安を感じたとある。
 また、翌十二月九日には国内で民族独立運動に関与している朝鮮人124名が一斉検挙され、忠誠の証を示す必要があったためか(どこの国でもしわ寄せはマイノリティーに来るんだよな……)、朝鮮人の国防献金は前月比五倍になったとか。翌年の1月東條が南方諸国の独立を認める声明を発表したときには、「朝鮮も当然独立さすべきである」という不満を表明する者が多く見られた。著者は、

こうした言動は日本のアジア解放という聖戦理念の虚構を、まさに衝(つ)くものであった。南方の諸民族が、建前であれ「独立、解放」の対象である一方で、本土の朝鮮人は、解放どころか検挙の対象だったのである。

 と評している。適切なコメントだと思う。
 一章一節の「抜いとこうかな」を気分のままにやったら大変な量になってしまった。以後やり方を考えたほうがいいかもしれない……。

川島高峰 『流言・投書の太平洋戦争』読書メモ1


 この本の読書メモ。読み終わったときの感想はもう書いてある。
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のだけども、あんまりにもとりとめがないから、追記がてら。興味深かったところを抜いていこうかなと。
 本書はタイトルからわかるように太平洋戦争関連本で特徴は「銃後」つまり「戦時下の社会一般」に焦点を置いたこと。そして、その「銃後」が「当時、何を考え、何を感じていたのかという点」に重点を置いてある。そして、「これを、つとめて当時の人々の発言――流言や投書や日記――から構成し、物語としての「太平洋戦争」記にまとめることにした」と序にある。
 親本は読売新聞社から1997年に出た本で、この序を読んでいると何かへの反発があるなあというふうにも思えるし、2019年に読むと、

日本が侵略国であろうと、日本国民が戦争で甚大な被害を被ったことに変わりはない。「加害」というのも、被害の一環となる。誰も好き好んで加害者になったのではない。

などは危なっかしく見えもする(ほかにも割切った理解でいいのか、とか、現行の語り方で若者が耳を傾けるのかとか)のだけど、まだ97年当時の論調なので、こういったフレーズの意味も今とはまったく違うと思って読んだほうがよさそう。そのあとで、著者はこうも言っている。

 こう考えてみても、それでもなお、「今の日本は、もちろん、昔とは違うけれども、やはり当時だけの問題として、なぜ日本だけが悪いのか?」と反問される方もいるだろう。そういう方にはこう申し上げたい。そもそも、「日本だけが」と「だけ」を主張することに意味があるとは思えない。(略)民衆にとって、戦争体験とはそんなに単純な論法で割り切れるようなものではなかった。

 この最後のところも、(略)からうしろだけ読めば何を示唆しているのか不安になるけれども、そのまえの部分との兼ね合いで読むべきだろう。ほんとに時代は変わってしまったのである。
 意外とずしっとくる指摘は以下。

 当時、これら前線の悲劇を支え、戦争熱にかられ、兵士たちを戦場へと送り続けたのは、ほかでもない銃後である。戦場という極限状況は、銃後という(これとて異常な状況であることに変わりはないのだが)社会状況によって支えられていた。それはもう、一生懸命に、真面目な人ほど真摯に、戦争に協力したのである。

 今のご時世も半世紀経ったらこんなふうに言われそうな気がするね。入る単語は戦争じゃないにしても。まあとにかく、こんなスタンスで話は始まる。 

スージー鈴木『チェッカーズの音楽とその時代』読書メモ13最終回


チェッカーズの音楽とその時代
の読書メモ最終回。
前回。
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 すごいぞ『Blue Moon Stone』、スージーさんの照れ隠しな「適度に距離取ってます」ポーズをむしりとった。「まごうことなき名曲」から文章始まってるよ。「チェッカーズ全キャリアの到達点」とまで持ちあげている。
 いい曲なのは間違いない。はじめて聴いたときはイントロの清々しさから引き込まれたものである。年に一曲くらいこのレベルの曲が出てくれたらずっと聴き続けるよなあとかも思った。メロディを形容する言葉を探すとすれば「コンテンポラリー」くらいだというスージーさんのコメントもなんとなくわかる。で、スージーさんの切り口「チェッカーズは日本最後のロックンロール・バンド」とこのコンテンポラリー性が矛盾するように感じる人がいることを見越してスージーさん、こんな説明をしている。

チェッカーズ・ファン(かつ意識的な音楽ファン)においては、矛盾を感じる人は少ないはずだ

 なぜなら、ロックンロール(久留米性・ヤンキー性)をベースにしながら、それだけに留まらず、強烈な進取の気性(東京性・コンテンポラリー性)によって、あらゆる新しい音楽性を柔軟に取り込んでいく。それこそがチェッカーズだと理解しているだろうからだ。
 そもそもロックンロールというもの自体が、その時々の新しい音楽性を取り込み、自らの栄養として摂取して進化してきたジャンルなのだから、どこにも矛盾など無いのだ。

 ここを読んだときに「だったら『運命』の評価やり直しましょうよ」と思ったのはおれだけじゃないと信じる(笑)チェッカーズの音楽に矛盾はなくてもスージーさんの言ってることは矛盾してるぞ、たぶん。が、まあ、しかし、この箇所はこう続く。

分母にロックンロール・サウンド、分子にコンテンポラリー・サウンド。この分数から生まれる魅惑的なサウンドビートルズであり、ローリング・ストーンズであり、そして、我らがチェッカーズなのである。

 そこまで持ちあげてるんだから、まあいいかという気もした。ビートルズストーンズチェッカーズって並べ方は大昔に読んだ『X Japan伝説』のバッハ、ブラームスYOSHIKIを思い出すくらいの「盛りすぎじゃね?」感あってとてもよかった。さすが「動脈の中で、チェック柄の血球が、いつも流れている」スージーさんである。『運命』をくささせたのは、この「チェック柄の血球」(要するに胸に刻み込まれたアイドルグループのイメージだ)のなせるわざだったんだろう。
 解散発表が『ミュージックステーション』だったのは言われて思い出した。テレビ欄見て、「へ?」ってなり、番組見たらタモリが「解散するの?」と尋ね、フミヤが「解散しますね」と答えていたような記憶が蘇った。悲壮感なさすぎて「あー、そうなのかあ」くらいしか思わなかったような気がする。引用されているコメントについては覚えていなかった。もちろんスージーさんのように「チェッカーズのことを忘れずに生きていこうと思った」なんてこともなかった。ってか、もうどう考えても強烈なファンじゃないか、このコメント(笑)
 あとデータでこの曲が『夜明けのブレス』より売れていたのがちょっと意外で、それなのにオリコン最高位は7位ってなっているので、売上ピークが発売当初と解散発表直後と二回あったのかなという気がした。発売当初にフミヤがよく「月にチェッカーズと書けばその文字はずっと消えない」みたいなコメントを出していたように思ったんだけど、あれは引用してくれないのか。そこが一番のメッセージだと思っていたのに。

そして、最後の曲『Present for you』に到達。『NANA』以降でいちばん売れたシングル、らしい。けども、最初からエピローグ感満載なのもあって、当時はあんまりいい印象なかったなあ、これ。
 スージーさんも曲がどうこうよりも解散までの逸話を拾って、最後の紅白を詳しく記述している。自分もその紅白はリアルタイムで見ていた。のだけれども、実はそれほど強い印象がない。紅白に至る年末音楽祭系の番組に出まくっていたチェッカーズを見ているうちになんか解散に納得がいってしまったところもあったし、10年前の曲を歌ってる姿からは最近は爆発的ヒットがなかったということを読み取っていたので、まあ仕方ないんじゃないの、残念だけど。くらいの気持ちで大晦日を迎えたせいもあると思う。
 だから、むしろ、びっくりしたのは、そのあとだったんだよね。93年1月発売の雑誌群にチェッカーズの記事が出るわ出るわで、そこではじめて「思っていた以上にインパクトのある出来事だったんだ」とわかった次第。覚えている見出しは「七人が伝説になった夜」で、これは武道館公演を扱っていた。伝説になったあと、紅白出たじゃんって思ったのを覚えている。このへんも社会現象になった時期がリアルタイムじゃないのでボリュームゾーンを形成しているファンの人たちとは感じ方が違ったんじゃないかと今は思う。そんなぼくでもスージーさんの書いた結論には頷けるのがチェッカーズのすごいところだ。「当時、チェッカーズの強烈なファンではなかった」と「はじめに」で書いたスージーさん、「おわりに」でこう言っている。

ファッション性、ビジュアル性、メディアミックス感覚まで考えると、「日本最後のロックンロール・バンド」は「後にも先にも横にも無い、日本唯一のチェッカーズ」だったのではないかと、あらためて感じ入るのだ。

 結局、それなんですよねえ。このワンフレーズ書くために一冊書いたんだから、スージーさんのチェッカーズ愛はなかなか溢れまくっていると思う。ナオちゃん推しな人は「いくらなんでもユウジびいきが過ぎないか」というより、ナオユキの貢献度を低く見積もりすぎではないかと思いそうな本ではあるものの、たぶんそうなった動機は「いくらなんでもユウジが過小評価されすぎではないか」という憤りにあるんだろうから、言わばアファーマティブアクションなんであって、七人全員凄かったんだぞというのが受け取るべきメッセージなんだろう。もちろん、ファンがそれをわかっているのは前提に「おれがユウジをどう語ればいいのか、教えてやらなくては!」っていうような課題を自分に課していたようにさえ、読み終わった現時点では思われるのだった。

 で、何度でも繰り返しますが、シングルのA面だけで一冊作ったのは素晴らしいんだけども、全然食い足りないから、全曲レビュー、六人全員インタビュー、メディアミックス戦略解説、伝説コレクションを一冊にまとめた600ページくらいの本を、今度は照れなしの煽りまくりの文体で、是非続編として書いてほしい。スージーさんが選ぶベストライブ集DVDとかオマケについてくればなおよし。楽しみに待ってるよー。

追記:読書メモ完結。全十三回。以下目次

スージー鈴木『チェッカーズの音楽とその時代』読書メモ1 タイトルのメッセージを妄想してみた - U´Å`U
スージー鈴木『チェッカーズの音楽とその時代』読書メモ2 『ギザギザ』から『星屑』まで - U´Å`U
スージー鈴木『チェッカーズの音楽とその時代』読書メモ3 『ジュリア』と『スキャンダル』あるいは「キラキラ」と「チャラチャラ」 - U´Å`U
スージー鈴木『チェッカーズの音楽とその時代』読書メモ4 『不良少年』から『HEART OF RAINBOW』 - U´Å`U
スージー鈴木『チェッカーズの音楽とその時代』読書メモ5『神様ヘルプ!』から第1期まとめまで - U´Å`U
スージー鈴木『チェッカーズの音楽とその時代』読書メモ6 NANA I Love you, SAYONARA - U´Å`U
スージー鈴木『チェッカーズの音楽とその時代』読書メモ7『WANDERER』から『ONE NIGHT GIGOLO』(あるいはみなさんのおかげです)まで。 - U´Å`U
スージー鈴木『チェッカーズの音楽とその時代』読書メモ8『Jim & Janeの伝説』から『Room』まで - U´Å`U
スージー鈴木『チェッカーズの音楽とその時代』読書メモ9 『Cherie』と『Friends and Dream』 - U´Å`U
スージー鈴木『チェッカーズの音楽とその時代』読書メモ10 『運命』から『夜明けのブレス』まで - U´Å`U
スージー鈴木『チェッカーズの音楽とその時代』読書メモ11 『さよならをもう一度』と『Love'91』 - U´Å`U
スージー鈴木『チェッカーズの音楽とその時代』読書メモ12 『ミセスマーメイド』から『今夜の涙は最高』まで - U´Å`U
スージー鈴木『チェッカーズの音楽とその時代』読書メモ13最終回 - U´Å`U

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スージー鈴木『チェッカーズの音楽とその時代』読書メモ12 『ミセスマーメイド』から『今夜の涙は最高』まで


チェッカーズの音楽とその時代
の読書メモ第12回
前回。
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で、『ミセスマーメイド』。大好き。
スージーさん評はといえば、

見事にタイトなリズムセクションに驚く。クロベエとユウジの最高傑作コラボレーションと言えるのではないか。エイトビートとシャッフルの中間で、がんがんにスウィングするリズムが、やたらと気持ちいい。また、この曲では、トオルのギターが、そのリズムセクションに、見事に絡みついている。

 うんうん、そうそう。イントロから前半のあいだは、意外とサックスが目立たないんだよねえ。最後は主役なんだけど。ここまでの曲はどれもこれも当時「大人~」と思って聴いてたんだけども、これは「かっけえ大人~」って感じだった(ジャケットも渋い大人感たっぷりだった)。ので、

あえて難点を言えば、当時のフミヤが好み執拗に繰り返していた「V字唱法」が気になるのだ。

と言われても、当時も今も「何言ってるんですか、あれが最高なんですよ!」と言わずにいられない。「メンバー同士のディスカッションの中で異論は出なかったのだろうか」って出るわけがないのだ(確信)。2018-2019のカウントダウンでこれが始まったときは「生で、ミセスマーメイド!」と無茶苦茶感激した。ただ、これに関しては(も?)チェッカーズでの演奏が聴きたかったよなあと。ライブソフトだとホワイトパーティーブルームーンストーンで見たけど、どっちも格好良かった(格好良かったしかいってないのだが、格好良かったしか言うことがないのだから仕方ない)。

 で、スージーさんに異論があるのだが、これって不倫ソングなんだろうか。「あの夏」になかよくなった相手と(たとえば来年また会おうねとか言っていて)「あの日のままのふたりの約束だけで何も知らずにきみを待っていた」ら、相手は会ってないあいだに別の出会いがあって結婚していたって話なんじゃないの? 「白いハンカチ取り出す君の指に何も言えずに唇噛んだ」ってそういう意味なんだと思っていたんだけど、『Cherie』の逆バージョンでミセスが出会いが眩しすぎて嘘ついてた話? この本読むまで不倫ソングだと思ったことが一度もなかったから、結構驚いた。ともあれ、今の時点で考えるなら、いちばん格好いいと思うシングルA面曲かもしれない。それだけに、その次の『ふれてごらん』を聴いたときの落胆は凄かった。「売れるわけねえだろ~」と思った。あまりのことに「大人~」とすら思わなかったのを覚えている。アルバムに入っていたら「いい曲~」って思ったかもしれないんだけど、シングルにすることはなかったんじゃないかと今でも思う。スージーさんも結構困ったようで、ユウジのベースプレイだけ語るって一点突破にかかっていた。

 この本は、ゴシップなど、メンバーにまつわる瑣末事をほとんど無視して、チェッカーズの音楽性だけを深く捉える本であり、つまりは、この曲におけるユウジのベースに「ふれてごらん」と主張する、おそらく史上初の本である。

 と、最後までユウジのベースだった。個人的には、この曲であえて聴き所を考えるなら、ナオちゃんのフルート。きらめく風の妖精たちが飛んでる様子をフルルル~って音で表現していて、聴いているとティンカーベルがフミヤのまわりを飛んでるようなイメージが浮かぶんだよね。
 なんだけども、このCDはカップリングの『トライアングル・ブルース』が格好いいんだよなあ。
www.youtube.com
 どうしてこっちをメインにしなかったんだろう。かなり本気で謎。個人的な話をすると、97年か98年くらいから藤井フミヤの曲すら聴かなくなって、例の本とクロベエ逝去で再結成の可能性も消えて、これでチェッカーズ聴くこともないなあと思ってた私が、突然何かに取り憑かれたかのようにyoutubeを漁って、押し入れの奥から眠っていたCDを引っ張り出してiTunesにインポートし、ずっとチェッカーズばかり聴くようになったのは、一昨年のある日、突然この『トライアングル・ブルース』が勝手に脳内再生されて、「無茶苦茶聴きたい!」って思ったのがきっかけだったりします。なので自分のなかでは名曲認識(確認したら作曲マサハルだった。おれもマサハルメロディーが好きらしい)。この曲がなかったら、たぶんチェッカーズをまた聴きだしたりはしなかったし、スージーさんの本も買ってない。カップリングまで論評してくれたら、この曲をどう料理するのか楽しみにできたんだけどなあ。

 で、「こんなの売れるわけねえだろー」って思った『ふれてごらん』の次に出た『今夜の涙は最高』に至っては「こんなん出してどーすんのさー」って思ったのだった。これは全然受けつけなかった。一回テレビで歌ってるのを見たけど、フミヤがリーゼントでエルビス・プレスリーが使いそうな形のマイクで歌ってて、もう「大人」通り越して「おっさん」に見えたのだった。なんかやる気を感じなかった。まあ、時期が時期だけにという気もする。自分的には解散の予兆を感じた曲。ただ一昨年、たぶんF-Bloodの映像を見たときにこれが歌われていて、それを聴いたときには悪くないと思った。コンセプトは坂本九だったとかそんな話も見たような気がする。

 そして、この曲へのコメント中、本書の帯にもなったあのフレーズ、「チェッカーズは、日本最後のロックンロール・バンドだった」の説明がされている。

 ぱっと見、チェッカーズは、キャロル、ダウン・タウン・ブギウギ・バンド横浜銀蝿という、(狭義の)ロックンロール・バンドの後継と捉えられる。そして83年から92年まで、日本におけるロックンロール・バンドのムーブメントを、孤立無援のかたちで守り続けたと言える。

 しかし、もう少しマクロに捉えてみると、そもそもロカビリーから和製ポップスの時代、そしてグループサウンズ(GS)の時代、そしてキャロル以降と、日本人が洋楽を取り入れてきた歴史には、ロックンロールがずっと基礎を成していたと言える。
 チェッカーズはその末裔(まつえい)であり、かつ、その後のシーンの変化まで見据えると、実は「日本における最後のロックンロール・バンド」と言えるのではないか。

 92年リリースのこの曲は、すでに絶滅危惧種となりつつあった「ロックンロール・バンド」としての底意地のようなものだったのではないかとのこと。そう思って聴き直すと、なんかロックンロール・バンドのプライドが乗っているように感じられるから不思議だ。少なくともこの曲に関しては、スージーさんの文章を読んだあとのほうが好きになった。

追記:読書メモ完結。全十三回。以下目次

スージー鈴木『チェッカーズの音楽とその時代』読書メモ1 タイトルのメッセージを妄想してみた - U´Å`U
スージー鈴木『チェッカーズの音楽とその時代』読書メモ2 『ギザギザ』から『星屑』まで - U´Å`U
スージー鈴木『チェッカーズの音楽とその時代』読書メモ3 『ジュリア』と『スキャンダル』あるいは「キラキラ」と「チャラチャラ」 - U´Å`U
スージー鈴木『チェッカーズの音楽とその時代』読書メモ4 『不良少年』から『HEART OF RAINBOW』 - U´Å`U
スージー鈴木『チェッカーズの音楽とその時代』読書メモ5『神様ヘルプ!』から第1期まとめまで - U´Å`U
スージー鈴木『チェッカーズの音楽とその時代』読書メモ6 NANA I Love you, SAYONARA - U´Å`U
スージー鈴木『チェッカーズの音楽とその時代』読書メモ7『WANDERER』から『ONE NIGHT GIGOLO』(あるいはみなさんのおかげです)まで。 - U´Å`U
スージー鈴木『チェッカーズの音楽とその時代』読書メモ8『Jim & Janeの伝説』から『Room』まで - U´Å`U
スージー鈴木『チェッカーズの音楽とその時代』読書メモ9 『Cherie』と『Friends and Dream』 - U´Å`U
スージー鈴木『チェッカーズの音楽とその時代』読書メモ10 『運命』から『夜明けのブレス』まで - U´Å`U
スージー鈴木『チェッカーズの音楽とその時代』読書メモ11 『さよならをもう一度』と『Love'91』 - U´Å`U
スージー鈴木『チェッカーズの音楽とその時代』読書メモ12 『ミセスマーメイド』から『今夜の涙は最高』まで - U´Å`U
スージー鈴木『チェッカーズの音楽とその時代』読書メモ13最終回 - U´Å`U

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スージー鈴木『チェッカーズの音楽とその時代』読書メモ11 『さよならをもう一度』と『Love'91』


チェッカーズの音楽とその時代
の読書メモ第11回。
前回。
gkmond.hatenadiary.jp
 さて『さよならをもう一度』に到達。スージーさんのコメントはどうじゃろ。

 売上枚数は14万枚に逆戻り。さらには最高位が7位。これはデビュー曲の《ギザギザハートの子守唄》の8位以来という低水準。低水準とは言え、ベストテンに入っているのだから、立派と言えば立派なのだが――いや、やはり凄く立派だろう。皮肉っぽい言い方をすれば。
 というのは、この曲、私にはいよいよチェッカーズらしさの薄っぺらい、普通の歌謡曲に聞こえたからである。これで7位というのは立派立派。「何があってもチェッカーズのシングルを買い続けるぞ」という、根強いファンの存在を感じずにはいられない。
(中略)
とにかくこの曲は、私には、いわゆる歌謡曲に聴こえた。チェッカーズらしさを感じることが出来なかったのだ。

 自分はこの曲嫌いじゃないので、このコメントにはいささかぎょっとした。地味でメリハリはないけど、全体いい雰囲気で進んで終わると思うんだよねえ。個人的にはB'zの『もう一度キスしたかった』とかと似た系統の曲ではないかと思っている(どっちか聴くともう片方を思い出すのだ)。チェカーズらしさという点についても、スージーさんがたびたび使うもんだから、そういやチェッカーズらしさとはなんぞやと考えるようになったんだけど、昔も今もメンバーの7人(厳密に言えばサポートふたり入る)が音と声を作ってることくらいのゆっるーいイメージしかない(しかし、本書で繰り返される再結成待望論みたいのを見るに、このゆっるーいイメージでさえスージーさんとは意見が合わない気がする。クロベエいないんだから再結成なんて問題外の外でしょと個人的には思うから、本書で再結成の話題が出て来ると割にイラッとするのだった)ので「らしさがない」と言われてもピンとこない。この曲で言えば、サビにかぶさる「♪kiss lonely night」「♪kiss throught the nihgt」とか、間奏のサックスとか、どう聴いてもチェッカーズ藤井フミヤチェッカーズになっているという指摘なら多少頷けるんだけど)。
 ピンと来ない曲でも何か書かなきゃいけない以上、なぜピンと来ないかを語りましたってことなんだとは思うんですけどね。で、思うのがシングル曲のA面だけ全曲紹介割り当てスペースすべて同じっていうコンセプトがここでは苦しかったんじゃなかろうか。もし、カップリング(あるいはB面)も紹介できるなら、『Hello』を中心にしてお茶を濁すことだってできたわけ(その場合はフミヤのあのラップどうなの? みたいなことが書かれそうだけど)で。ライブで聴いたほうがいい曲ってファンのコメントが載っていたのだけど、そうなんだあという印象。見たことのある映像だと動きなさすぎて、音源のがいいかなって思ってた。

 そして『Love'91』。わたくし、これが最初に買ったチェッカーズのシングルでございます。本書の感想にこう書いた。

個人的な話をすると、この『Love '91』 は初めて買ったチェッカーズのシングルで、たまに「なぜに最初気に入った曲が『Room』(1989)だったのに、シングル買うまでにこんなに間が空いたのか」と考えて答えが出ていなかったのだけど、今回この本読んで謎が一つ解けた気がした。露出が減ったので、飢えが出たのだ、たぶん。

 たぶんそういうことだったのだと思う。この曲に関してはテレビで見た記憶がまったくない(から、去年くらいこれを歌っているチェッカーズの映像を見つけたときはびっくりした)。正確に言うと、『運命』からこの曲まででは『夜明けのブレス』しか当時テレビで見た記憶はない。露出の量と売上がきっちり連動していたんじゃないかと思われる。『夜明けのブレス』については楽曲がよかったこと以上にフミヤの結婚が報じられたのが売上アップにつながったんだろうなあとか、この本の売上データ見て思った。
 それはさておき、そんなわけで当時、前情報ゼロで発作的にCDを買って聴いた私、わりと困ったのだった(笑)聴きたい曲のイメージは『Room』みたいなやつ、出てきたのはスッカスカの音で青空広がるようなイメージ。すげえギャップがあった。こ、これが大人の音楽かって思ったのと、フミヤの声が綺麗って思ったのはよく覚えてる。あとね、歌詞に出てくる風物がいちいちわからなかったよね。アンテナの低い中学生だったから。「立ち止まる一枚のウォーホル」の「ウォーホル」がわからないから「水色のマリリン・モンロー」もわからない。「プライスカード」もわからないから「ゼロを数えながら」の意味もわからない。「盗んでほしいと無茶を言う」はわかった。で、場面が見えてないから「まわりを見渡し突然キスをした、これでもう君のものさ」も誰が誰に(誰にと思ったんだ)キスをしたのかもわからないという。大人の世界は遠かった。
 逆にカップリングの『チャイナタウン』は不思議なことに前奏から親しみが持てたんだけど、今なんでか考えてみたところ、中国っぽい雰囲気を出そうとした前奏の頭のところが、ファミコン版『ドラゴンボール』のBGM(といっていいのかどうかわからないんだけど、ステージが始まるまえのところで鳴っていた曲)と似てたからだった。
 当時は「弾き返された」感だけが残ったこのシングル、その後感想が変化して、よくこれシングルにしたなあって思うようになった。冒頭の高杢の低音から入って最後まで綺麗にまとまってるし、いい曲だと思っているんだけど、売れる売れないで言ったら当時の売れ線からは遠く離れてたように思う。いや、それを言ったら、この曲が売れ線になるような時代はあったのか? と書いて、なんかのインタビューで「もう何していいかわからなくてとりあえず作った」みたいなことを読んだ記憶が蘇った。スージーさん曰くこの曲は曲調がドゥワップでリズムはロッカバラードでチェッカーズの原点みたいなものだと仰有っているが、たしかにそうなのかもしれない。というか、そうなんだろうと思いつつ、よく考えると、原点に戻るとこの曲になるバンドが社会現象になるくらい爆発的にヒットして10年間第一線にいたの、結構衝撃的じゃない? ええと、この曲知らない人、ちょっとここから試聴できるので、聴いてみてほしい。

 売れたバンドが成熟してここに至ったんじゃなく、これが原点だった(これは正しい捉え方)バンドがあれだけ売れたと考えると、チェッカーズを把握するのにその音楽性というアプローチはどれくらい有効なんだろうか。曲の善し悪し(いいんですよ、もちろんいいんです)はともかく、それですっきりと魅力の正体がわかったりするんだろうかと今更ながら疑問になってきた。ことに自分などは、この曲を聴いて首を傾げ、よくわからんと思ったのに、そのあと『I Have a Dream』出るよってテレビCM見て、お店に走っただけに、音楽性云々とは違う魅力を感じていたのではないかと今から考えると思うんだよねえ。とはいえ、たとえば音楽性なら色々話すことも出てくるだろうけど、「藤井郁弥の声がいい」とかだとそこで終わっちゃうから、音楽性ってアプローチも必要ではあると思う。

追記:読書メモ完結。全十三回。以下目次

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操曲入門口伝之巻

 三月に柴田宵曲マイブームが到来して、現時点でこれだけ読んだ。
Life MUST Go on: 柴田宵曲 『古句を観る』
Life MUST Go on: 森銑三・柴田宵曲 『書物』
Life MUST Go on: 柴田宵曲 『明治の話題』
Life MUST Go on: 柴田宵曲 『俳諧随筆蕉門の人々 』
Life MUST Go on: 柴田宵曲 『新編俳諧博物誌』
Life MUST Go on: 柴田宵曲 『随筆集 団扇の画』
Life MUST Go on: 柴田宵曲 『子規居士の周囲』


 当然、どんな人なんでしょとか思ってウィキペディアの項目を覗いたこともあった。
 で、ウィキペディアの記事だったか、上記諸作品の解説だったかで、宵曲が三田村鳶魚の手伝いをしていたことを知った(『団扇の画』には、宵曲が鳶魚をテーマに書いた一遍も収録されている)。その流れで鳶魚の作品も読んでみようかいねと思ったのだけど、どっから手をつけていいのかわからない。青空文庫も鳶魚についてはまだまだ寂しい状況だ。さてはてと思いつつ、図書館で検索をかけてみたら、『未刊随筆百種』というシリーズがヒットした。写本でしか存在しない種本を活字にして出したということだろうと、見当がつき、鳶魚の作品を読んでみようかねからはズレるけれども、鳶魚の種本を覗いてみるのもいいかもしれんと一冊目を借りてみることにした。もちろん通読なんてできないだろうから、ぱらぱら見て、興味を覚えるものがあればそれだけ読むかくらいの気分だった。収録されていたのは「岡場遊郭考」「操曲入門口伝之巻」「新役龍乃庖丁」の三作品。「岡場遊郭考」はイラストたっぷりなものの、どう読んだらいいのかわからない(とっつきにくかった)ので、絵だけ眺め、「新役龍乃庖丁」は留守居役について語られていたけど興味が持てず、唯一楽しく読めたのが「操曲入門口伝之書」。内容はといえば、人形浄瑠璃についてで、動かし形のハウツーとかを五十三の和歌にしたよって感じ(数えてみたら歌の数は五十二だったけど、本文のまま五十三ってことにする)。じつは津原泰水も好きで、『たまさか人形堂物語』(amazon)と、その続編『たまさか人形堂それから』(amazon)はお気に入りのシリーズのひとつなのだ。そういうわけで、人形かと前のめりになった部分もある。脱線するけど、『たまさか人形堂』シリーズのある短編を読んだときには、生まれて初めてリカちゃん人形が欲しくなり、物欲も外からやってくるのだと驚いた。傑作である。
 あだしごとはさておきつ、「操曲入門口伝之巻」の序文めいた冒頭では

其傀儡の始る事甚遠し、されば事物紀原を稽れば、漢高祖平城に囲まれし時、陳平が策略を以て、木にて美人の形象をつくり、敵を偽りて勝利を得たり、是ぞ今行はる人形といふ物の権輿と見へたり、されども又列子を閲すれば、周穆王の時に、偃師といへる巧人あり、木にて人の形をつくりて舞はしむ、王その后と倶に是を観たまふに、此人形舞畢りて、目を瞬し、手を以て王の左右を招く、王怪しみ怒りて偃師を殺さんとす、偃師怖れて人形を壊して見せければ、漆膠をもってからくる者也.王是を見て大に其妙巧を感じたまひ、褒美を賜はりし

 と、古代から説き起こし(一文字目は「それ」と読み「傀儡」は「かいらい」で操り人形のこと)、人形という言葉の最初は殷の時代の~とか、日本で最初に人形の話が記録されたのは推古朝で~とかに軽く触れたあと人形遣いの名人たちを紹介したり浄瑠璃という名前の由来を語ったり、これこれのギミックはこのときできたみたいな話をしたあと、

人形遣ひ方の事は、其旧(もと)三議一統の書より起り、陰陽自然の事に帰す、深長に至りては草紙の上の沙汰に及ばずといへども、其大概を五十三首の和歌につゞりて、覚へ易からしむる事左の如し、

 と述べてメインのパートが始まる。歌にしたっていうのは、今だったら語呂合わせにしたみたいなもんなのかもとか、「はじめチョロチョロ、中パッパッ。赤子泣いても蓋とるな」みたいなもんかななどと思いつつ読み、それなりに楽しめた。
 それなりに楽しめたとなると、ほかの人にも紹介したくなるものであるが、軽くウェブを検索してもこいつのテキストは出てこなかった。著作権的にはとっくにパブリックドメインな作品でも、江戸時代までのものだと、校訂をした人に権利が発生するから、なかなかさわれないという話は知っているので不思議なことではないと思ったところで閃いた。この本(昭和2年刊)を底本にすれば、校訂者の鳶魚の著作権だって切れてるんだから絶対に問題ないだろう。
 ということでポチポチと入力を始めた。できあがったあとはそのままアマゾンのKDPへ。一昨日レビューが終わり、発売開始になったのがこれ。

 底本は旧字体なのだが、漢字変換の手間と読みやすさを鑑みて新字体にした。はじめのうちわかると思ったところにはルビを振りながら作業していたのだけど、アマゾンにファイル提出する段階で「巻」は「カン」って読むの、それとも「まき」って読むの? という疑問がわき、あれこれ検索するうちに、淡路人形芝居資料館のフェイスブックアカウントにぶつかり、そこで本文の写真を見ることができた。
淡路人形芝居資料館 - 引田家文書(上村源之丞座旧蔵資料) 「操曲入門口傳巻 そうきょくにゅうもんくでんかん」 ... | Facebook

引田家文書(上村源之丞座旧蔵資料)
「操曲入門口傳巻 そうきょくにゅうもんくでんかん」
 
 『口傳巻』は人形操りの心得を五二首の和歌と十三条の条文(口伝)で表したもの。人形遣いのバイブル的なものですが残念なことにあまり知られていません。

「二〇世紀における人形浄瑠璃の総合的研究」
 第一部 共同研究『操曲入門口伝巻』
PDF: https://researchmap.jp/mu2dqd5q6-48957/

音曲の司「操曲入門口伝之巻」
http://www.oneg.zakkaz.ne.jp/~gara/ongyoku/jouhou39.htm

 なるほどお、「かん」かあと思った直後、よく見ると字面が違っている(「之」がない)。紹介されているPDFをざっと眺めたところ、底本にした本は今の目から見ると写し間違いが色々あり、タイトルも写し間違っているということが判明した。であるならば、タイトルは間違っていることを踏まえて「かん」ではなく「のまき」でいかねばなるまいとタイトルの読み方は決まった。
 で、せっかく写真で本文見せてもらってるから、振ったルビについても確認確認と一行目から見ていったら、上記引用箇所内の「陳平が策略を以て」ってところ、「策略」って単語のルビが「さくりゃく」じゃなくて「はかりごと」に見える。そういえば、馬琴読んだときにもちょっとひねったルビがいっぱいついていたなあと思い出し、原文なしでルビが触れないことを痛感する。結果、振ったルビはほぼ全部消した。残っているのは底本のルビと一箇所だけ、これはないと読めないと思って加えた𪜈(←「とも」と読む。カタカナの「ト」と「モ」がくっついている)のとこだけ。ルビを消してから思ったんだけど、鳶魚はどうしてルビを無視したんだろうね。面倒だったのかな(画像見ると総ルビっぽいし)。個人的には総ルビで振っておいてほしかった。結構好きなんだよね、「策略」を「はかりごと」と読むみたいなルビ。上記PDFの37-38ページには

淡路人形研究家の中西英夫氏が調査をおこない、それらの翻刻を順次発表したのである③。『口伝巻』の翻刻は、一九九八年に「淡路人形浄瑠璃史料紹介五引田家文書その五」として、雑誌三原文化第五四号に掲載されている(四一-五五頁)
(中略)
その後『口伝巻』の影印と翻刻は二〇一一年に出版された『淡路人形浄瑠璃元祖上村源之丞座座本引田家資料』(引田家資料調査委員会、南あわじ市・財団法人淡路人形協会)に収録された。『口伝巻』を研究に用いる環境が整ったといえるであろう。

と書いてあるので、運がよければそのうち精度の高い翻刻を拝めるかもわからない(アマゾンではヒットしなかったし、古書サイト見ても「売り切れ」。いまだ値段すらわからずだけど)。っていうか、それこそ電子書籍にして売ってくれればいいのにと思わないでもない。
 なお、今回KDPした作品のお値段は216円に設定した。なお、電子書籍だとアマゾン以外のところでは、『未刊随筆百種』の復刻版(巻数が違っているようだ)を発売しているところもあってお値段大体2000円くらいだった。目に入ったやつは固定レイアウトになっていたけど、これはイラストだか挿絵だかの量が多いものもあるだろうから致し方ないというところか。「操曲入門」に関しては挿絵らしい挿絵はひとつしか入っていなかったので、フローレイアウトが可能だった。
 正直ニーズがあると思っているわけではないのだけど、以前キリル文字を入力しなきゃいけない成り行きになったときに、十年くらい前に作られた入力支援スクリプトのおかげでかなり助かったことがあり、作成者が「ごく微量のニーズに応えて」と言っていたのに倣ってみた。十年間で五部売れればいいくらいに思っている。(念頭にある読者モデルは、海外在住で日本語資料へのアクセスが難しい人形浄瑠璃研究者という、ほんとにいるのかどうかわからない人物。しかし、その人のために全Amazonで購入できる設定にしてある)。まあそれでも告知くらいしないと、万が一の読者とぶつからなくなってしまうかもしれないので、いちおう宣伝めいたエントリーを作成させてもらった。興味がある方のお越しをのんびりお待ちしております。


操曲入門口伝之巻


追記:思いついて神奈川権利図書館で検索してみたら『淡路人形浄瑠璃元祖上村源之丞座座本引田家資料』がヒットした。そのうち眺めにいこう。