豊洲PITに行ってきた(前半執筆時期12月3日くらい)

 先日ブックオフに行ったらば、中古CDコーナーに『SCREW』『エンジェル』『PURE RED』と家のなかで紛失中のタイトル3点が安く並んでいて、中古なのに気が咎めた(買っても印税が発生しないから)ものの、一度は定価で購入しているんだから、まあ許してくれと入手し、取り込みにちょっと苦労してAmazonでデータの確認をしていたら、『エンジェル』のカセットテープ版なんてものが出てきて、こんなもん売ってたのかと驚き、驚いた勢いのままTwitterにリンクを流したら、いいねしてくれた人がいて、その人のタイムラインを覗いてみたところ、フミヤのツアーが始まったよとのツイートがあり、そっかもう始まったのねとオフィシャル見に行くと、チケットがまだ売り切れていないじゃないかというとことでなんとなく購入してしまい、ゆりかもめに揺られて豊洲PITまで行ってきた(一文で書いたがざっと一ヶ月くらいの期間がある話である)。

 前回フミヤのライブに行ったのは2018−2019カウントダウンライブで、そのときは後から知った話でその場では気づかなかったんだけど、入場時に気分上がりすぎたファンがフェンスを倒したんだかずらしたんだかというトラブルがあったそうな。今回はオールスタンディングのライブハウスが舞台。近くでみようなんて思ったら怪我しそうだし、まわり女性だらけだと押し合いへし合いは避けたいしということで、後ろのほうの空いているところで見ると心に決め、入場もギリギリ、というプランで出発したのだが、電車に乗ってしまうと「途中で遅延とかあって遅刻したらなんだし」みたいな気分になり、会場近くのお店で時間潰せばよかろうなんて思って会場前に新豊洲に到着。そしたらなんか、まわりに時間潰せそうな場所が見当たらず(探し方が悪かっただけかもしれない)、結局会場近くの人だかりに加わるしかなかった。すげえ寒かった。あんな寒かったのはエルムに行ったとき以来である。開場するとすぐに番号のカウントが始まって「○番から○番の方どうぞー」みたいなアナウンスが聞こえてくるが、当方2412番。毎秒一人入るとして40分かかるので、『OOOP!』でも聴いてようと再生ボタンぽち。そしたら案外早く入場できた。係の人たち迅速なお仕事ありがとう。荷物は外のコインロッカーに入れた(が、入れるのはともかく、帰りに出すのが人あふれてて大変だったので、違うやり方があったんじゃなかろうかと思った。)。会場は人が集まっているので暖かく、大変助かった。

 で、ライブである。ショッキングピンク(っていうんだろうか、あの色)のシャツがとても似合っていたフミヤさんが歌い出し、それが知らない曲だったので、あとで検索せねばと考える、そんなスタートから、おーこれ、あーこれ、ひゃっほうでMCからのまさかのあれ、くらいのところで、また来ようと思っていた。(まだツアー中で、どうもこういう話にもネタバレという概念があるらしいため、ぼやぼやにぼかしました)。このあたり、シンプルなステージセットと照明が洗練されたアングラ感(何それ)みたいのかもしててとてもよかった。そんなふうに思ったからかスタンディングエリア後方から見る上半身だけのフミヤが澁澤龍彦みたいにも見えた。似てるかどうかといえばたぶん似てないんだけど。

 

追記。2019/12/31 YouTubeライブ配信されてたやつ、アーカイヴになった! わーい! なお、映像でちゃんと見れば、おれだって藤井フミヤ澁澤龍彦の区別はつくので、猛烈な勢いで記憶が上書きされていっているのだけど、当日の遠目に見た印象もそれはそれであとで懐かしくなるかもしれないので、そのままにしとく。このあと、ネタバレまくりゾーンなので、そんなもん読むまえにまあ映像見てくれ。

 

 

 というようなことをライブ行った直後に書いて、曲名出せないのがつまんなかったから放置していたのだけど、無事にツアーも終わったので改めて。一曲目はTime Limitであった。勝手にBETから始まるんじゃねえかなあと思っていたので、前奏で、え、何これってなって、歌始まって、え、ほんと知らない曲だよ、油断してたと思った。帰宅後速攻で購入した。結構中毒性の高いいい曲である。

 二曲目はMy Typeであった。「かーなーりー、マイタイプ♩」ってとこで客席に指を差すと黄色い声が沸いて、しかもそれが振り切れてる感じでもなく、後ろのほうの私、勝手に様式美など感じていた。にしてもさすがに年季の入ったモテ男はモテしぐさが似合う。そしてそのままLady Sister Babyへ。出だしのベースが生だと迫力あってよかったが、マイクのエコーが強かったのかこちらの耳の問題か、フミヤが曲の途中でなんか言ってるのは聴き取れなかった。そしてそっから「めーがみーをー♩」って次の歌始まりわーいってなった。ソロのシングルだと『女神』が一番好きかもなので。生で聴いたのは二度目だけど歌ってくれると嬉しい。

 で、MCが入りーのーから、大人な曲が来るって言うんでなんじゃらと思った途端、赤いライトとともに始まったのはチェッカーズの「そのままで」最初に買ったアルバムの二曲目で、当時まさに「大人だ」と思った曲。そしてまたしても知らない曲。これも覚えておかねば(同じ雨って曲だった)と思いつつ音に身を任せていると、やがて「点線」が始まる。これも聴けてラッキー感のある名曲だと思う。で、「わらの犬」を懐かしい気持ちで聴き、「Endless Snow」のトゥルル、トゥルル、トゥルル♩に嬉しくなり、MCが入って「そのドアはもう開かない」「Another Orion」「ラブレター」「True Love」と流れていった。で、普段、他の曲はいいんだけど、「Another Orion」ばかりは、音が少なすぎて今聴くのは厳しい(音源でイメージ作ってるから離れすぎるって意味ね)というイメージを持っていたのだけど、この日はとてもいい感じの声に思えた。むしろ他曲よりクリアに聴こえたくらいで、帰り道では勝手に本日のベスト認定したりした。

 で、MCで昭和平成令和みたいな話をして平成元年の歌を歌うと宣言。そう聴いてもなんだんべ。平成元年ってことは「Seven Heaven」のなんか? まさかプロローグ? などと抜け作なことを考えていた私、Roomの前奏始まって感涙にむせぶ。そうじゃん、Room平成元年っていうか「Seven Heaven」に収録されてるじゃん、なんで最初に閃かなかった。うわ、無茶苦茶嬉しい。生でRoomだよ。かっけえって思ってから30年経って、ついに生で聴いちゃったよと頭がすっかりパーになったところで大好きな「ミセスマーメイド」に移行し、もうこの数分間はおれのためのメニューみたいな満喫感。すげえよかった。じつによかった。2017ー18カウントダウンの最初3曲も痺れ倒したけれども、それと同じくらいよかった。で、「ミセスマーメイド」終わって、静かになって、MC入るのかと思いながら余韻に浸っていたら「こーよーいのふーたりは」って、まさかの「One more glass of Red wine」スタート。マジか、100vのペンギンより先にこっちを生で聴くのか。これはしっかり聴かなきゃ、と思っていると突然小芝居が始まり、フミヤが「じゃーんけーん」とか言って片手をあげる。二千五百本の腕が呼応する。おれもたしかチョキ出して負けた。サザエさんでもっと鍛えておけばよかった(サザエさんが今もじゃーんけーんってやってるかは知らない、っていうか、まだサザエさん放映しているのかも知らない、そういえば。とにかく負けたのである)。気分的にはここがクライマックスだったかもしれない。この日のことを思い出すとまず浮かぶのがあの二千五百本の腕である。

 で、MCで「それじゃ後半行こうか」というので、まだ半分なのか、嬉しいーと油断していたら実際には7割くらいのところまで来ていたので、畳み掛けるように、「Tokyo City Night」「Crystal Blood」「La La La Stranger」「GIRIGIRIナイト」と進んでいき、「WE ARE ミーハー」の前奏でキャーって声が上がるのと同時に「ラストソング!」との無情な宣告。「キャーーーエーーー」みたいに反応切り替えた皆様の反射神経に感心したり。サックス吹きながらコーラスもカバーする尚ちゃんもかくやな切り替わりだった。

 そしてアンコール。流れてきたのは「DO NOT」。強気。ファルセットちゃんと出るのか。うわ、出てるすげーーーー。感激。そのあとのMCで情け容赦なく次でおしまいを宣言して「Tonight」歌って終了。あっという間であった。27日にはYouTubeでライブのリアルタイム配信やってて(あんなにアングル替えられるのすごいね、生なのに)、声は配信の方が聞き取りやすい気がしたんだけども、やはり聴くなら会場でありということも再確認できた。お客さんの声とか様子とか配信だとほとんどわかんないし、音の厚みは全然違うし、何よりも照明の効果が客席から見てナンボで設計されてんだよね。ライトの使い方がほんと上手なのは、カメラ越しだとあんまりわかんなくてもったいない。来年はなんとF-BLOODのツアーがあるというので、また行こうと思っている。準備で唯一(たぶん)持っていなかった「天国までの百マイル」も買った。びっくりするくらいいい曲だったので、これも生で聴いてみたい。楽しみ楽しみ。

 

デートとは

  先日、「デートの約束」というのは重畳表現(馬から落馬とか頭痛が痛いみたいなやつ)ではないかという話になり、その場で広辞苑が引かれた。

    広辞苑によれば、

デート【date】
①日付。時日。
②日時や場所を定めて異性と会うこと。あいびき。「彼女と―する」

で、文脈的には2の意味だったため、「会うこと」なんだから重畳表現と考えなくてもいいんでね?  となったのだけど、おれはこの「異性と」ってのが引っかかった。これだと同性愛者が排除されねえか?  と思ったのである。広辞苑といえば今回の改定でLGBTの語釈にダメ出しが出たのも記憶に新しい。ちなみに恋愛を引くと、

れん‐あい【恋愛】
(love の訳語)男女が互いに相手をこいしたうこと。また、その感情。こい。

となっている。これより後に出た大辞林の四版では

れん あい[0]【恋愛】
(名)スル
互いに恋い慕うこと。また、その感情。ラブ。

と、異性愛に限定されない語釈になっていて較べると広辞苑は古臭いなあとか思った。どれくらい古臭いかというと、先のデートの語釈に「あいびき」という言葉が出ているが、その「あいびき」の語釈は「男女の密会」。おおっぴらに会ったらデートじゃねえのかよ、いつの時代だよってなもんであり、執筆担当者が相当な高齢者だったんだろうかとか思った。あ、いや、このエントリーは広辞苑の古さをあげつらいたいわけではない。広辞苑がこんな語釈を出していたので、ほかの辞書はどんな語釈になってるか眺めてみたという話を書くつもりなのである。

   まずは上で「恋愛」を比較した大辞林から見てみよう。

デート[1]〖date〗
(名)スル
①日付。
②男女が前もって時間や場所を打ち合わせて、会うこと。「昨日彼女と━した」「━を申し込む」

残念ながら「デート」のアップデートはなされなかったようである(「デート」の関連語に「デートフラグ」とか「デート難民」とかあって、アップデートチャンスはあったように見えるのだがもったいない)。次回に期待。

   大辞林を出している三省堂はほかにも現代語の収録が早くて有名な『三省堂国語や語釈がネタ化して知名度抜群な『新明解国語辞典』もある。それらはどんな語釈を出しているのだろう。まず『三国』

デート〔date〕[一](名)①日付。②年代。[二](名・自サ)日や時間を決めて、恋人(コイビト)と会う<こと\約束>。「初—・夫婦(フウフ)で—する」

    出版時期は大辞林よりまえなのに、三国は異性愛限定してなかった。ちょっと感心。

『新明解』は、

デート① 
━する(自サ)〔date=日付、年月日〕
〔愛し合う男女が〕日時を決めて、各自の家以外の場所で会うこと。また、その約束。

異性とという限定にプラスして「愛し合う男女ときた。TOKIOのデビュー曲に「これはデートなのか?」って歌詞があったはずだが、この定義では悩む時点ですでにデートではない。ついでに「おうちでデート」を新明解は認めない。そう言えば、『三国』も恋人同士が会うことという語釈なので、付き合っていなければデートとは言えないという判断だった。なんかおかしい気もする。初デート前に交際スタートって、ナンパか見合いしかなくね?    それとも交際前のお二人が遊びに行くことには違う単語が存在しているのだろうか。

    で、これが『大辞泉』になると微妙に違うニュアンスになって、長瀬の悩みが成立する。

デート(date)
[名](スル)
1 日付。
2 恋い慕う相手と日時を定めて会うこと。「遊園地でデートする」
3 時計の文字盤に付属するカレンダーで、日付だけを表示するもの。→デーデート

「恋い慕う相手」と会うのがデートなのでこの語釈なら相手がどう思っていようが当人が好きな相手と会うのならデートと考えてオッケーだ。異性愛の限定もないし、すごいぞ大辞泉TOKIOのあの歌詞解釈できるの、大辞泉だけじゃないか(相手から見て「これはデートなのか」と悩んでいるわけだ)。ちなみに「恋愛」の語釈も、

れん‐あい【恋愛】[名](スル)特定の人に特別の愛情を感じて恋い慕うこと。また、互いにそのような感情をもつこと。「熱烈に―する」「社内―」

と、新明解みたいにネタ化することはできない地味さながら堅実にまとめてあった。いい辞書だな、おい。CDロムの使えなさに嫌気さして使ってなかったけど、これを機に扱いかえようかな。

    大辞泉を出してる小学館には『日本国語大辞典』という国内唯一の国語大辞典があって、それの精選版はコトバンクでも引ける。せっかくだから引いてみた。

デート
〘名〙 (date)
① 日付け。年月日。〔外来語辞典(1914)〕
※大導寺信輔の半生(1925)〈芥川龍之介〉「西洋歴史のデエト」
② (━する) あらかじめ約束をして、異性の友人と待ち合わせて、会うこと。
※現代娘のX(1955)〈仁戸田六三郎〉娘の本能「もし『デート』以上の相手がある場合は、それにはそれ相応の信頼感をよせる」

「異性の友人」なので、異性愛限定になっていること、友人としている分、大辞泉よりも広い範囲になっていことが特徴か。異性愛限定については、この辞書が多分ここまで引いた辞書で一番古いものなので、致し方ないところだろう。むしろ全然新しい『広辞苑』や『大辞林』といった中型辞典の進歩のなさはなんなのかという話である。

   コトバンクではほかに『世界大百科事典』もヒットした。国語辞典と百科事典の違いが出てたのでこれまた引用しておく。

デート【date】
もともと〈日付け〉を意味するデートという言葉が,〈男女が日時を決めて会うこと〉という意味で広く使われるようになったのは,19世紀末から20世紀初頭のアメリカにおいて男女交際に関する新しい独特の社会慣習(いわゆるデート制度)が形成されてからのことである。 結婚前の若い男女,とくに10歳代の男女が,結婚を前提とすることなく(したがって,必ずしも相手を固定することなく)交際するというデートの慣習は,はじめ都市の中産階級を中心として形成されたが,20世紀に入るころから一種の若者文化として広く普及しはじめ,同時にさまざまのルールやエチケット(たとえば,男性が女性を自宅まで迎えに行くこと,帰りはきちんと送り届けること,デートにおける性的行為はペッティングまたはネッキングを限度とすること,など)も整備されるにいたった。

   文化史のお勉強になってしまった。

   ところで、おれの生活環境の問題なのか年齢的問題か、あんまり「デート」って単語を耳にしないような気がするんだけども、これってまだ死語になってないよね?   なんか単純に「会う」とかに置き換わっている気がするんだけど……(って言ったら、そんなことはないと言われたのだが、実感に乏しい)。

 

   ほかの辞書をさらに覗いてみようかとも思ったが、長くなったのでこれくらいで。