ななころびやおき『ブエノス・ディアス・ニッポン』

 数ヶ月前、国籍法の話について調べているときに、この記事を見つけた。
○○○!知恵袋 国籍法は改悪なんでしょうか?←ブログは現在はてなに移行、非公開で運用中。
 俺は国籍法の話(例の外国人が押し寄せて、日本が乗っ取られるって奴)を聞いたとき、いくらなんでも嘘でしょうと思いつつ内心ビビって、思わず最高裁判決全部プリントアウトして読んだ(難しくて頭が本当に痛くなった)りし、騒いでる連中が誤解しているか、俺の頭が相当愉快なことになってるか、どっちかだなと思っていたところだった。ってのは、俺の検索能力だと、ヤバイ! ヤバイ! 日本終わた! みたいな記事ばっかり目に入ってきて、反対派の言ってることはリスクの度合いの設定が狂ってると思う一方で万が一当たってるんだったら、おまえらおかしいよって言っていいのか悪いのか、最後の判断ができてなかったんだよね。
 そんな時上記の記事を見つけた。正直救われた気持ちになった。これで反対派の言うことを無視できると思った。なんでかって、法律のプロが法律について発言するのは、自分の信用をかけていると思えたからだ。どこの誰だか分からない有志がいくらまとまったところで、現場で戦っている人の言うことを無視できるだけの説得力なんてない。この反対運動はマスヒステリーに違いない、と確信できたのは、上記他関連エントリーのおかげだった。

 そのとき本書の存在を知ったので、感謝の気持ちと、今後似たようなことがあったときにビビらないでいられるように、と思って、本書を買った。
 紹介文はこんな感じ。

片道のチケットを握りしめ、海のむこうからやってきた新しい隣人たち。コンビニ弁当を作る工場で、同級生と机をならべる教室で、申請者でごった返す入管の窓口で、不法滞在で勾留されている留置所で・・・。彼らの目にうつった「もうひとつの日本」の姿とは?外国人事件専門の弁護士が紹介する、悲しくもたくましい、ひとりひとりの物語。
あなたはニッポンに住む外国人のコトをどれだけ知っていますか?

 出てくる人の出身国はスリランカ、エジプト、コロンビア、フィリピン、ルーマニア、ペルー、パキスタンボリビアバングラディシュ、アメリカ、他に在外華僑やナイジェリア人と日本人のハーフ(日本国籍)の人も登場した。悲しい話もあり、理不尽な話もあり、たくましさを感じる話もある。法律の話も出てくる(丁寧に説明してくれているんだけど、それでもなお俺には難しかった)。
 ところで、この手の本はいくら絶賛しても読むのは最初から人権問題とかに熱心な人たちなんだろうと思う訳なんだが、俺は強く主張したい。本書を読むべきなのは、外国人がなんとなく怖い、積極的に排斥したいって程じゃないけど、やっぱりなんか……という人、特に俺と同世代(三十代)は必読だと思う。
 なぜか。それは本書が一貫したフェアネスに貫かれているからだ。
 我々は人権の話と聞くと「悪いのは日本で、日本人は反省しなければいけない」という文脈で語られる教育で育ってきた。もう何もかも自国が悪いと教えられてきた。平成最初の十年くらいを思い出すと、アジアの人にごめんなさいを言い続けないといけませんから始まって、かわいいねと言えばセクハラ、ちょっと厳しくしかり飛ばせばトラウマ、弱ければ正義で弱者の敵は全部悪。乱暴すぎるくらい単純化してまとめればこんな空気を吸ってきた。そこで権利とは非弱者だった我々に突きつけられた脅迫の武器にさえ思われた。
 これは読む人が読めば怒り狂いそうな状況理解だろうし、それくらい強く言っていかなければ世の中変わらないという主張者たちの絶望感にまったく目を向けない理解でもある。頭が悪いって言われそうな話でもある。
 ただね、物を知らないという批判は甘んじて受けるし、上に挙げたような色々な犠牲者ひとりひとりは、それぞれ大変なんだということにはもちろん頷くにしても、あのバブル期の人権的主張=「日本が悪い」の反省強要プレッシャーみたいな空気の後遺症ってのは、俺の年代には残っているような気がする。少なくとも俺には残っている。だからいまだに社会問題に目を向けましょう的書物って読んでいて居心地が悪い気持ちになることが多い。なぜかと言えば、そこに描かれているのは絶対善対絶対悪の構図に読めて、かつ読者である俺は絶対悪の側に立たされるからだ。進んで弾劾される側になんて立ちたくない。だから俺は人権とか社会問題とかをテーマにした本は苦手である。
 この辺を同感と思ってくれる人でも読める、外国人問題の本が実は本書。ここに書かれているのは、絶対善対絶対悪の話じゃない。悪い奴も出てくるけど、それは日本人だけじゃない。官僚だけでもない。肩書きや身分、国籍に関係なくできることを頑張っている人たちと、想像力に欠ける人たちや制度が描かれている。筆者は制度の理不尽や矛盾には持てる知識を駆使して問題提起を行う。だけど壁になっている人に対して悪のレッテルを貼ることはしない。たたきのめすのが正義だとも叫ばない。ここに書かれているのは「幸せに、普通に生きられる人が増えたらいいな」っていう願い(ウィッシュじゃなくてホープね)なんだと俺には思われた。外国人は天使じゃない、でも悪魔でもない、それぞれ事情があって日本にやってきた人間なんだということが書かれている。そして日本人も一方的な無自覚の差別加担者としてだけ描かれているわけじゃない。事故で記憶を飛ばしちゃったスリランカ人に住居を提供してあげた人がいる。保険がきかなくて医療費が払えず、脳腫瘍の子供の命を諦めようとする華僑の人に、治療費がどうとか言うよりお子さんの命だろうと治療を続行を引き受ける医者がいる。在留特別許可を願い出た不法滞在者に手続が終わるまで捕まらないように気をつけろよと声をかける入国警備官がいる。つまり類書で正義感から見落とされがちな、出来る範囲で頑張る人々がちゃんと拾われている。俺がフェアネスと言うのはこういうバランス感覚だ。これはたぶん相当な努力の結果なんだ。国籍法の記事にも感じたことだけど、著者は何かを強制するというやり方を信じていない。理屈が正しければ必ず納得されるとも思っていない。そして一部の優秀な人さえいれば世の中が変わるとも思っていない。だから本書には、著者と立場の違う人にも場所を残してある。役所が冷たいという場面であっても「彼らはこんせつていねいに対応するにはあまりにも忙しすぎる」と、相手の事情を汲んでいる。決して一方的に我々を糾弾する本ではないのだ。
 あとがきにもこう書いてある。

この本は、気の毒な外国人に同情してやれ、と市民に呼びかけるためのものではないし、日本の制度はこんなにひどい、と社会の暗部を告発するために書かれたわけでもない。片道のチケットを握りしめて海を渡り、日本の片隅でたくましく生きる彼女ら彼らに対する尊敬と、どん欲な生への情熱とユーモアに彩られたひとりひとりの「物語」に対する感動が、執筆の動機になった。だから、多くの読者からは姿がみえにくかったり、ときには誤解されがちな彼女ら彼らが、紙に吹きつけられたインクの染みから抜け出して、泣いたり、怒ったり、笑ったりすることがあるならば、筆者にとってこれにまさるよろこびはない。

 この本は、俺たちの倫理を責めてこない。俺たちの不勉強を罵らない。俺たちに立ち上がらなければお前も悪人だと脅してこない。可愛そうな人を理解しろ目を背けるなと迫らない。ただ必死に生きている人のことを知ってくださいと言ってくるだけだ。俺たちが知ってあげるだけでもすこしだけ世の中は優しくなる。俺はそう思う。
 だから俺の同類にはこの本を読んで欲しい。無駄に怯えないために。無駄な怯えが誰かを踏みにじらないために。凡人である我々は聖者にも全知にも天使にもなれないが、知ることで本能的な恐怖を飼い慣らすことならできる。知ることでリスクの大きさをより正確に計ることが出来る。それは俺たち自身にとってもメリットのあることだろう。
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いしけりあそび(著者ブログ) あなたはニッポンに住む外国人のコトをどれだけ知っていますか?

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