岡和田晃 マーク・ウィンチェスター編『アイヌ民族否定論に抗する』

アイヌ民族否定論に抗する
岡和田 晃

4309226205
河出書房新社 2015-01-27
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 ツイッターで話題だったのと、アンテナ登録してる『Danas je lep dan.』に告知記事が出てたのとで、覗いてみることにした。
 知識皆無の人間(つまりおれ)が、内容まとめるなんて無理なので、どんな本なのか書いてあるところを引用してみる。

岡和田 最初に確認しておかねばならないのは、この本は私とマークさんとの共編著という体裁ではありますが、私たちが監修者という立場からそれを統一しているわけではない、ということですね。ただし、一点の例外はあります。その例外とは、この本の参加者はいわゆるアイヌ民族否定論に対して明確に「NO」という意見がある人に限っているということで、ここについては首尾一貫しています。
 お声がけをした方々へお見せした企画書から整理・抜粋しますと……。

アイヌ民族否定論へのカウンター言説の提示をベースにしつつ、現在、第一線で活躍している作家と研究者たちが、自分たちの専門分野/関心領域に引きつける形でアイヌについて語ることで、文化の多様性を拒否するアイヌ民族否定論ではなしえない自律した価値の提示を行ないます。
アイヌについて深い予備知識を持たない一班の読書人を読者として想定し、アイヌの専門研究者と、広い意味でのマイノリティの問題をテーマに据えている作家やアーティストといった多種多様な論客が同じ本で意見を発することで、一般の読書人にとっても入りやすい、現代を読み解くうえで画期となる本にできればと思います。

 ……というのが、本書のコンセプトです。
(中略)
岡和田 (…)アイヌ民族否定論が猖獗を極めているにもかかわらず、それに真正面から抗する言説はインターネット上で有志が個々に小規模で行っているものが存在するのみ。(…)一冊まるまるカウンターというコンセプチュアルな企画は、いまに至るまで前例がありません。
(中略)
マーク 私たちが今回の企画で全面的にアイヌを打ち出したのは、二度と彼ら(アイヌ民族否定論者=引用者註)がそのテーマを取り上げたくないように「しばく」ためでした。二度とアイヌ民族否定論が出ないこと。この本を読めばそれが空論だとわかるし、差別だともわかる、と。

 で、以下に目次も出しておく。

 で、感想なんだけど、おれっていい歳まで生きてきてて、これまでほんとにアイヌのこと知らなかったなあというのが、まずひとつめ。執筆陣のなかでは寮美千子が同じような地点から話を始めているので、入りやすかった。

 結局50歳になるまでの半世紀、わたしはついに、在日コリアン被差別部落出身者、生活保護受給者に会わないままだった。もしかしたら、どこかで出会っていたのかも知れないが、わからなかった。それらの人々と向き合うことになったのは、自らの意思で奈良に転居してからだ。関西では、在日コリアン被差別部落も、関東よりずっと存在感が強い。
 こういうことを語ると「育ちがいいんです、という自慢かよ」と揶揄されることがあるが、そんなつもりは毛頭ない。一介の公務員の娘だ。この社会は、そんな娘でも、生まれてから半世紀の間、非差別者という存在にまったく出会わないまま暮らせてしまうという社会なのだ、ということだ。目には見えなかったが、明らかに、わたしはある階層に属していた。そして、その階層のなかにいるだけで事足りてしまう人生というものが存在するのだ。わたしのようにして育った人は、首都圏には多いだろう。格差社会は確実に存在する。

 親が公務員というわけではないが、おれってまさにこの階層なのね。だもんだから、正直に言うと、本書があまれる契機になった、「アイヌ民族なんて、いまはもういないんですよね。せいぜいアイヌ系日本人が良いところですが、利権を行使しまくっているこの不合理。納税者に説明できません」ってツイートを初めて見たとき、これがヘイトであることは把握できたんだけど、何を言ってるのか、よくわからなかった。おれの理解だと○○系ってのは、先祖が○○って意味*1で○○人ってのは、国籍が○○だったから、ここでいう「アイヌ民族」と「アイヌ系日本人」って同じものじゃないの? ってな感じに首を傾げてた。そのあとあれこれ見てようやく、「ああ、これ他者のアイデンティティを否定するって話なのか」と理解できた。この辺、同じく寮美千子

多数派は、自分が何者であるのかに関して無頓着でいられる。日本に住む多数派の和人たちは、「わたしは何という民族か」などと考えずにすむ。

 ということばの正しさを、おれ自身が実例になって証明した形だ。民族って、おれの自己意識のなかにはなかったわ、というか、国籍とかぶってたわ。これ、国籍の話をしてるんじゃないんだね……。
 で、どうやらアイヌ民族否定論ってのは、「純粋なアイヌ」「ほんとうのアイヌ」みたいなものは、今いる人たちとは別物だから、もうアイヌ民族なんてものはいないって論法らしいんだけども(マジでよう言うね、そんなこと)、それについての返答として中村和恵がオーストラリアのキュレーター、ジョン・マンダィンが日本で学生と交わしたやりとりを紹介してる。おれとしては、これで充分じゃないのと思ったんで、引用しとく。

彼(マンダィン:引用者)の現代アボリジナル美術についての話の後、学生がこんな質問をした。
 いまの話は白人に影響されて変わってしまった人たちのことですよね。先住民族というのは昔からの伝統的な文化をいまも守っている人のことでしょう。もうそういう文化は死に絶えてしまったということですか。みんな混血になって、ほんとうのアボリジニはもういないんですか。
 マンダィンはこれに対し、こう答えた。
 ぼくは自分のことをほんとうのアボリジニだとおもっているのだけれど。きみはチョンマゲも結っていないし、刀も差していないね。けれど、ぼくはきみが日本人だとおもっていますよ。ほんとうの日本人って、きみのことじゃないのかな。違うの?

 この学生ってのが、大学生なのか高校生なのか中学生なのかはわからんので、発言がどう見ても無神経なところは問わないし、その学生と同じ年のおれがこの質問を発さないとも限らないけど、おれがこの学生だったら、この答えで納得すると思うんだよね。だって、自分が何者かを、どうして他人から決めつけられなきゃいけないんだよ。
 という話を、テッサ・モーリス=スズキが理路整然とまとめてるんで、そっちも引用する。

 アイヌアイデンティティを否定するために社会構築主義ポストモダニズムを動員する保守的な論者のやることは、矛盾だらけに思えます。ある特定の人々が日本語を話したり「異質な」身体的特徴を持っていなかったりしているために「本物のアイヌではない」と主張することによって、これらの論者自身は、そうとは言わずに人種や民族(エスニシティ)に関するもっとも堅苦しく時代遅れの近代主義的な考え方を提唱していることになるのです。これらの考え方では、「本物の」民族集団はさして変化しない身体的・文化的特徴のショッピング・リストで区別できるという前提にたっています。人種や民族の構築主義的な再考の試みのほとんどは、このような静的なカテゴリーの導入を拒否するものです。しかし、それは民族的アイデンティティの現実を否定することを意味するものではありません。私が『日本を再発明する』という著書で主張しているように、日本人としてのアイデンティティの感覚は間違いなく強力なもので、多くの人々に共有されています。しかし人がそのアイデンティティを経験し、または理解する仕方は、その人その人で大きく異なります。ある人は、日本の特定の場所や風景を自分に帰属するものだと確認することで「日本人のアイデンティティ」を形成します。言語やその他の文化を通して形成する人がいれば、親族やコミュニティを介して形成する人もいます。自分が「日本人」であるとの自己認識を抱いているそれぞれの人たちは、複雑で広範囲にわたる様々な人生経験に基づきそのような規定をしています。同じことは、アイヌとして自らを規定している人々にとっても当てはまるのです。ただし、アイヌとその他の先住民族の場合には、代々の差別と文化的抑圧が、日本人のそれとは異なる状況をつくりだしてきました。アイヌとその他の先住民族の場合には、差別された経験がそれ自体で自分たちの個人的なアイデンティティを形成する核心的な要素の一つになってしまうのです。ある人が西洋の料理を食べている、あるいは神道の儀式に参加していないことを理由に、日本人のアイデンティティに関する権利を否定するのはおかしいでしょう。現在の「新しいアイヌ("new Ainu")のアイデンティティを偽りだとして否定するということは、そうした「新しい日本人("new Japanese")」が自分たちの日本人としてのアイデンティティを捏造していると否定するのと同じくらいにおかしな話です。

 ちなみに、ここで言われている「静的なカテゴリーの導入を拒否する」ってことについては、東條慎生がコンパクトに説明してる。

 国連宣言に(民族の:引用者)定義がないのは、「民族の客観的定義」が多数派による少数派の抑圧、差別を担ってきた、ということへの反省でもある、ということだ。「客観的定義」を言いつのる行為の差別性に向き合うことが「現代の学問的潮流」の背景にはあり、だからこそアイデンティティが重要とされる。

 あと「単一の定義で世界中の先住民族の多様性を捕捉することは不可能であり、普遍的定義に到達することは望ましいことでも可能でもない*2」ってことも理由みたい。そりゃそうだわな。
 長くなってきたからそろそろ打ち切るけど、この記事読んでる人が、どっかで「アイヌ民族なんてもういない」とかいう言葉に触れたばかりで、しかもおれと同じくらいうっかりさんだった場合のために(いや、正直言うと、おれのようなうっかりさんじゃない、冷静沈着、合理的知性の持ち主であっても)勧めとくけど、ググると大量に出てくるであろう否定論を読みあさるまえに、この本読んどいたほうがいいよ。こんな本書くやつは売国奴の左翼とか決めちゃうまえに。ってのはさ、仮にだよ、万が一、今いるのは自称アイヌだけで、本物のアイヌはもういないんだとしたら(おれはそう思ってないぞ、念のため)、ぼくら和人は、戦後になってから民族浄化をコンプリートしたってことなんだよ。それって誇るようなことだと思うか? 

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*1:本書を読み終わってみると、そう単純な話でもなさそうなのだけど、そう思った記録ということで。

*2:国連先住民作業部会議長ダエスの発言