猫と蚊帳

 前エントリに引き続き『古句を観る』(amazon青空文庫)から。
 夏の項にこんな句が入っていた。

蚊屋釣ていれゝば吼(ほ)える小猫かな    宇白

 吼えると来たか。まあわかるけどと思いつつ、コメントを読んだ。やっぱり「吼える」にこだわっていた。

 水鳥がさえずるということはないといったら、いや『源氏物語』にあるといって例を挙げた話が、『花月草紙』に書いてあった。猫が吼るというのもざらにはない。例証を挙げる必要があれば、この句なども早速持出すべきものであろう。猫が不断と違ったような声を出すのを、「吼る」といったものではないかと思う。
 吉村冬彦(よしむらふゆひこ)氏がはじめて猫を飼った経験を書いた文章の中に、蚊帳のことが出て来る。この句を解する参考になりそうだから、左に引用する。

我家に来て以来一番猫の好奇心を誘発したものは恐らく蚊帳であったらしい。どういうものか蚊帳を見ると奇態に興奮するのであった。殊に内に人がいて自分が外にいる場合にそれが著しかった。背を高く聳(そび)やかし耳を伏せて恐ろしい相好(そうごう)をする。そして命掛けのような勢で飛びかかって来る。猫にとっては恐らく不可思議に柔かくて強靭な蚊帳の抵抗に全身を投げかける。蚊帳の裾(すそ)は引きずられながらに袋になって猫のからだを包んでしまうのである。これが猫には不思議でなければならない。ともかくも普通のじゃれ方とはどうもちがう。余りに真剣なので少し悽(すご)いような気のする事もあった。従順な特性は消えてしまって、野獣の本性が余りに明白に表われるのである。
蚊帳自身かあるいは蚊帳越しに見える人影が、猫には何か恐ろしいものに見えるのかも知れない。あるいは蚊帳の中の蒼(あお)ずんだ光が、森の月光に獲物を索(もと)めて歩いた遠い祖先の本能を呼び覚すのではあるまいか。もし色の違った色々の蚊帳があったら試験して見たいような気もした。

 われわれも猫を飼った経験はしばしばあるが、不幸にしてこういう観察を下す機会がなかった。猫と蚊帳についてこれだけ精細な観察を試みたものは、あるいは他に類がないかも知れない。宇白の句は僅に「吼る」の一語によって、猫の蚊帳に対する奇態な興奮を現したに過ぎぬが、とにかく観察のここに触れている点を異とすべきであろう。

pp.152-153

 で、コメントを読み終えてさっぱりわけがわからなくなった。元の句は蚊帳に放り込んだら子猫がすげえ勢いで鳴いたという話をしているんだと思うのね、それならわからないじゃない。ケージに入れたときみたいな反応だろうと思うから。ところが、コメントに引用されている吉村氏*1の文は蚊帳の外にいる猫がマジギレみたいな話なので、句を解する参考になるのか? そして、猫って蚊帳にこんな反応するのか? と理解が進むどころか謎が深まってしまったわけである。で、母親(70)に尋ねてみた。猫とは蚊帳に興奮するものであるのか? 回答は「覚えなし」であった(そのついでに蚊帳は麻製だったとか入るときには裾のところをしゃしゃしゃと振り、ついている蚊を払ったところで間髪入れずささっと入るものであるとか、そもそも蚊帳を吊しているのは網戸がなかったからだとか豆知識をいっぱい仕入れた。いかんせん蚊帳なんて入ったことはほとんどないのだ)。なお寺田のエッセイは「ねずみと猫」(青空文庫amazonキンドル版)。引用箇所は「四」冒頭なんだけど用字が違うのでグーグルでフレーズ検索してもヒットしなかった。出典はこちらのブログに教えてもらった。
onibi.cocolog-nifty.com

 で、このくだりを読んだときに思いだしたのがこのツイート。


「もし色の違ったいろいろの蚊帳(かや)があったら試験してみたいような気もした」寺田寅彦、その後試験したんだろうか。「どういうものか蚊帳を見ると奇態に興奮するのであった。殊に内に人がいて自分が外にいる場合にそれが著しかった。」と書いてあるんだから、一回ってことはないだろうし、となると理由は子猫だったからとも言いきれない。追試してたら色々面白そうなんだけどなあ。


古句を観る (岩波文庫)

無料のキンドル版はこちら。

 読み終わったので感想書いた。
gkmond.blogspot.com

*1:誰かと思ったら寺田寅彦ペンネームなんだって。