灌仏、誕生日、数え年

前エントリに引き続き『古句を観る』(amazon青空文庫)から。

 こんな句が収録されていた。

灌仏(かんぶつ)の日に生れけり唯の人    巴常(p.183)

で、こんなコメントがついていた。

 天上天下唯我独尊といって生れた釈迦(しゃか)と同じ日に、ただの平凡な人間が生れる。仏縁あって同じ日に生れる、という風にこの作者は見ていない。釈迦と同じ日に当前(あたりまえ)の凡夫も生れる、という世間の事実を捉えたものであろう。
 芭蕉にも奈良で詠んだ「灌仏の日に生れあふ鹿の子かな」という句がある。場所は仏に因縁の多い奈良であり、日も多いのに灌仏の日に生れるということが、芭蕉の興味を刺激したものと思われる。畜生の身ながら、かかるめでたき日に生れ合うことよ、というほど強い意味ではない。奈良で鹿が子を産むのを見た、それがあたかも灌仏の日であった、という即事を詠んだのである。この方は現に眼前に生れたところを捉えたのだから、軽い事実として扱うことも出来るが、今生れたばかりの子供を「唯の人」と断定するには多少の無理がある。釈迦に比べればどう転んでも「唯の人」に過ぎぬ、というような意味とすれば、益々理窟臭くなって来る。鹿の子ならそのままで通用する事柄も、「唯の人」という言葉を用いたために、いささか面倒なのである。
 芥川龍之介氏の『少年』という小説の中に、バスの中の少女の事が書いてあった。フランス人の宣教師が今日は何日かと問うと、十二月二十五日と答える。十二月二十五日は何の日か、と重ねて問われたのに対し、少女は落著き払って「きょうはあたしの誕生日」と答えるのである。この答を聞いて微笑を禁じ得なかったという作者の気持には、例の皮肉が漂っているようであるが、「クリスマスの日に生れ合う少女」も、面白い事実でないことはない。但こういう事実は散文の中においてはじめて光彩を放つべき性質のもので、俳句のような詩に盛るには不適当である。芭蕉の句が比較的離れ得たのは、眼前の即事を捉えたせいもあるが、ものが「鹿の子」で、「唯の人」というが如き理智を絶しているために外ならぬ。(pp.183-184)

 へえ、そうなるんだあと思ったのが、「この方は現に眼前に生れたところを捉えたのだから、軽い事実として扱うことも出来るが、今生れたばかりの子供を『唯の人』と断定するには多少の無理がある」。古典文法真面目にやってなかったんで、なんでそう思うのか説明できないんだけど、この句を読んだときにおれが思ったのは「唯の人=作者」だったんだよね。自嘲の歌に見えた。なんで「眼前に生まれたところを捉えた」と言いきれるんだろう。と、ここまで書いたときに、あれ、でもこの句が書かれたときって誕生日ってどういう扱いなんだっけ? という疑問が湧き、そういや数え年なんてものを使っていたような気がすると思い、例によってウィキペディアに飛んだ。

ja.wikipedia.org

数え年(かぞえどし)とは、年齢や年数の数え方の一つで、生まれてから関わった暦年の個数で年齢を表す方法である。即ち、生まれた年を「1歳」「1年」とする数え方である。

以降、暦年が変わる(元日(1月1日)を迎える)ごとにそれぞれ1歳、1年ずつ“年をとる”(例:12月31日に出生した場合、出生時に1歳で翌日には2歳となる。また1月1日に出生した場合は、2歳になるのは翌年の1月1日になる)。数え歳や数えともいい、年齢以外の項目では足掛け(あしかけ)ともいう。年齢の序数表示(たとえば、満年齢の0歳をあらわす英語の “first year of life” など)とは異なる。

これに対し、誕生日前日24時を過ぎた時点で加齢・加年する数え方を「満年齢」「満」といい、生まれた年を「0歳」「0年」として暦年が変わるごとに加齢加年する数え方を「周年」という。

 そうすると、誕生日は意識されていなかったのか?(いやでも釈迦の誕生日が伝わってるなら誕生日って概念はありそうだよなあ)
 と、よくわからなくなったので素直に検索をかけてみた。
 出てきたのがこの記事。
shinbun20.com

現在では、個人の誕生日をお祝いすることは一般的になっていますが、もともと日本には誕生日をお祝いする習慣がありませんでした。

 なるほど、と納得したのも束の間、

個人の誕生日を祝うようになるずっと前から、日本には、ある伝統的な誕生日の風習があります。
それが、七五三です。七五三が行われるようになったのは、室町時代頃といわれています。
当時は、現在ほど医学が発達しておらず、栄養も乏しかったため、乳幼児のうちに亡くなってしまう子どもは少なくありませんでした。
そこで、七五三の歳まで無事に育ったことへの感謝を込めて、また、幼い子どもから少年・少女へと成長するひとつの節目を祝う意味を込めて、神様に祈りを捧げるようになったことが、七五三のはじまりです。

 はい? 待って。祝うの祝わなかったのどっち?
 ということでもっかいウィキペディア行って七五三を眺めることにした(子どもいないから興味持ったことないし、自分がやったのは遙か昔だから覚えてないんだよね)
ja.wikipedia.org

旧暦の15日はかつては二十八宿鬼宿日(鬼が出歩かない日)に当たり、何事をするにも吉であるとされた。また、旧暦の11月は収穫を終えてその実りを神に感謝する月であり、その月の満月の日である15日に、氏神への収穫の感謝を兼ねて子供の成長を感謝し、加護を祈るようになった。

江戸時代に始まった神事であり、旧暦の数え年で行うのが正式となる[1]。

神事としては、感謝をささげ祝うことが重要であるとの考え方から、現代では、数え年でなく満年齢で行う場合も多い。出雲大社に神が集まるとされる、神在月(他の地方では「神無月」)に、7+5+3=15で15日となり11月15日となったと言う説もある[要出典]が、実際には曖昧(そもそも神在月・神無月は旧暦10月のこと)。

明治改暦以降は新暦の11月15日に行われるようになった。現在では11月15日にこだわらずに、11月中のいずれかの土・日・祝日に行なうことも多くなっている。

北海道等、寒冷地では11月15日前後の時期は寒くなっていることから、1か月早めて10月15日に行う場合が多い。

 これを見る限り、誕生日とはあんまり関係がないようだ。ところで、さっきの数え年の項目見てて割と素で驚いたのが、

日本でも古くから数え年が使われていたが明治6年2月5日の「太政官布告第36号(年齡計算方ヲ定ム)」を受け、満年齢を使用することとなった。

ただし明治6年太政官布告第36号では年齢計算に関しては満年齢を使用することとしながらも、旧暦における年齢計算に関しては数え年を使用するとしていた。

1902年12月22日施行の「年齢計算ニ関スル法律明治35年12月2日 法律第50号)」で、明治6年太政官布告第36号が廃止され、満年齢に一本化されることとなった。

しかし一般には数え年が使われ続けたことから、1950年1月1日施行の「年齢のとなえ方に関する法律(昭和24年5月24日 法律第96号)」により

国民は、年齢を数え年によつて言い表わす従来のならわしを改めて、年齢計算に関する法律明治35年法律第50号)の規定により算定した年数(一年に達しないときは、月数)によってこれを言い表わすのを常とするように心がけなければならない。

と国民には満年齢によって年齢を表すことを改めて推奨し

国又は地方公共団体の機関が年齢を言い表わす場合においては、当該機関は、前項に規定する年数又は月数によつてこれを言い表わさなければならない。但し、特にやむを得ない事由により数え年によつて年齢を言い表わす場合においては、特にその旨を明示しなければならない。

と国・地方公共団体の機関に対しては満年齢の使用を義務付け、数え年を用いる場合は明示することを義務付けた。

数え年 - Wikipedia

お誕生日新聞にはもっとコンパクトにこう出ている。

日本で個人の誕生日が祝われるようになったのは、昭和24年に「年齢のとなえ方に関する法律」が制定されて以降に、満年齢での数え方が普及しはじめてからだと言われています。

誕生日を祝うようになったのはいつから?由来や風習を知ろう | お誕生日新聞オンラインショップ

 そんな新しかったとは知らなんだ。少年探偵団とかで誕生日祝いやってる場面あったら地味に最新風俗を取り入れてたってことなんだね。
 なんの話だったっけ。あ、そうそう。これだ。

灌仏(かんぶつ)の日に生れけり唯の人    巴常

 生まれたばかりの子どもの話してるんじゃなくて自分が釈迦と同じ日に生まれたって言ってるんじゃなかろうかって思ったって話だった。調べだしたときには誕生日を意識してないならこれを自分のことと取るのは苦しいかと思っていて、あれこれ見た結果、この句をひねった人の生きていた時代に誕生日を祝うことはまずなかろうということも納得がいったし、それを前提に宵曲も目の前で子どもが生まれた可能性しか考えてないのではないかと思うわけなんだが、最初の思い込みの強さのゆえか、やっぱりおれはこれ自分のことを言ってるように読んでしまう。いやだって、毎年盛大にお祝いされてたわけでしょ、灌仏会って。だったら絶対「おまえが生まれたのはこの日だよ」って話を聞かされて育つはずじゃない。となると、年を取るのが元旦だったとしても、生まれた日は意識してることになるでしょ。「けり」が伝聞過去なら「って、母ちゃんが言っていた(自分は記憶ない)」で成り立つ気がする(が、さっきも言ったように古典文法得意じゃないので「けり」の詠嘆の用法のほうにこの読みを否定する何かがあるのかもしれない)。
 ってことでまた辞書を引いてみる。
kobun.weblio.jp

(1)詠嘆の「けり」それまで気付かずにいたことに初めて気付いた気持ちを表す用法。その驚きが強いとき、詠嘆の意が生ずる。断定の助動詞「なり」と重ねて、和歌に好んで用いられた。

 あー、「それまで気付かずにいたことに初めて気付いた気持ち」って言うなら、自分の話なわけねえかあ。(そうなの? 気づかずにいたこと限定なの? って疑いの気持ちもやや残っているけど、根拠がないので呑み込むことにする。考えてみれば引用している芥川の作品は大正年間のもので、数え年の時代だった。で、これを引いている以上、有名人とたまたま同じ誕生日であることを当人が意識しているという可能性が解釈の網からこぼれるはずはない。そのうえで、唯の人=作者を検討すらしないんだから、なんか根拠があるに違いないとも思えてきたし。)ここまで来てようやく宵曲さんと同じ感想になる。

今生れたばかりの子供を「唯の人」と断定するには多少の無理がある。

 だろ。なんでこんな単語選択したのさ。


古句を観る (岩波文庫)

無料のキンドル版はこちら。

 読み終わったので感想書いた。
gkmond.blogspot.com