操曲入門口伝之巻

 三月に柴田宵曲マイブームが到来して、現時点でこれだけ読んだ。
Life MUST Go on: 柴田宵曲 『古句を観る』
Life MUST Go on: 森銑三・柴田宵曲 『書物』
Life MUST Go on: 柴田宵曲 『明治の話題』
Life MUST Go on: 柴田宵曲 『俳諧随筆蕉門の人々 』
Life MUST Go on: 柴田宵曲 『新編俳諧博物誌』
Life MUST Go on: 柴田宵曲 『随筆集 団扇の画』
Life MUST Go on: 柴田宵曲 『子規居士の周囲』


 当然、どんな人なんでしょとか思ってウィキペディアの項目を覗いたこともあった。
 で、ウィキペディアの記事だったか、上記諸作品の解説だったかで、宵曲が三田村鳶魚の手伝いをしていたことを知った(『団扇の画』には、宵曲が鳶魚をテーマに書いた一遍も収録されている)。その流れで鳶魚の作品も読んでみようかいねと思ったのだけど、どっから手をつけていいのかわからない。青空文庫も鳶魚についてはまだまだ寂しい状況だ。さてはてと思いつつ、図書館で検索をかけてみたら、『未刊随筆百種』というシリーズがヒットした。写本でしか存在しない種本を活字にして出したということだろうと、見当がつき、鳶魚の作品を読んでみようかねからはズレるけれども、鳶魚の種本を覗いてみるのもいいかもしれんと一冊目を借りてみることにした。もちろん通読なんてできないだろうから、ぱらぱら見て、興味を覚えるものがあればそれだけ読むかくらいの気分だった。収録されていたのは「岡場遊郭考」「操曲入門口伝之巻」「新役龍乃庖丁」の三作品。「岡場遊郭考」はイラストたっぷりなものの、どう読んだらいいのかわからない(とっつきにくかった)ので、絵だけ眺め、「新役龍乃庖丁」は留守居役について語られていたけど興味が持てず、唯一楽しく読めたのが「操曲入門口伝之書」。内容はといえば、人形浄瑠璃についてで、動かし形のハウツーとかを五十三の和歌にしたよって感じ(数えてみたら歌の数は五十二だったけど、本文のまま五十三ってことにする)。じつは津原泰水も好きで、『たまさか人形堂物語』(amazon)と、その続編『たまさか人形堂それから』(amazon)はお気に入りのシリーズのひとつなのだ。そういうわけで、人形かと前のめりになった部分もある。脱線するけど、『たまさか人形堂』シリーズのある短編を読んだときには、生まれて初めてリカちゃん人形が欲しくなり、物欲も外からやってくるのだと驚いた。傑作である。
 あだしごとはさておきつ、「操曲入門口伝之巻」の序文めいた冒頭では

其傀儡の始る事甚遠し、されば事物紀原を稽れば、漢高祖平城に囲まれし時、陳平が策略を以て、木にて美人の形象をつくり、敵を偽りて勝利を得たり、是ぞ今行はる人形といふ物の権輿と見へたり、されども又列子を閲すれば、周穆王の時に、偃師といへる巧人あり、木にて人の形をつくりて舞はしむ、王その后と倶に是を観たまふに、此人形舞畢りて、目を瞬し、手を以て王の左右を招く、王怪しみ怒りて偃師を殺さんとす、偃師怖れて人形を壊して見せければ、漆膠をもってからくる者也.王是を見て大に其妙巧を感じたまひ、褒美を賜はりし

 と、古代から説き起こし(一文字目は「それ」と読み「傀儡」は「かいらい」で操り人形のこと)、人形という言葉の最初は殷の時代の~とか、日本で最初に人形の話が記録されたのは推古朝で~とかに軽く触れたあと人形遣いの名人たちを紹介したり浄瑠璃という名前の由来を語ったり、これこれのギミックはこのときできたみたいな話をしたあと、

人形遣ひ方の事は、其旧(もと)三議一統の書より起り、陰陽自然の事に帰す、深長に至りては草紙の上の沙汰に及ばずといへども、其大概を五十三首の和歌につゞりて、覚へ易からしむる事左の如し、

 と述べてメインのパートが始まる。歌にしたっていうのは、今だったら語呂合わせにしたみたいなもんなのかもとか、「はじめチョロチョロ、中パッパッ。赤子泣いても蓋とるな」みたいなもんかななどと思いつつ読み、それなりに楽しめた。
 それなりに楽しめたとなると、ほかの人にも紹介したくなるものであるが、軽くウェブを検索してもこいつのテキストは出てこなかった。著作権的にはとっくにパブリックドメインな作品でも、江戸時代までのものだと、校訂をした人に権利が発生するから、なかなかさわれないという話は知っているので不思議なことではないと思ったところで閃いた。この本(昭和2年刊)を底本にすれば、校訂者の鳶魚の著作権だって切れてるんだから絶対に問題ないだろう。
 ということでポチポチと入力を始めた。できあがったあとはそのままアマゾンのKDPへ。一昨日レビューが終わり、発売開始になったのがこれ。

 底本は旧字体なのだが、漢字変換の手間と読みやすさを鑑みて新字体にした。はじめのうちわかると思ったところにはルビを振りながら作業していたのだけど、アマゾンにファイル提出する段階で「巻」は「カン」って読むの、それとも「まき」って読むの? という疑問がわき、あれこれ検索するうちに、淡路人形芝居資料館のフェイスブックアカウントにぶつかり、そこで本文の写真を見ることができた。
淡路人形芝居資料館 - 引田家文書(上村源之丞座旧蔵資料) 「操曲入門口傳巻 そうきょくにゅうもんくでんかん」 ... | Facebook

引田家文書(上村源之丞座旧蔵資料)
「操曲入門口傳巻 そうきょくにゅうもんくでんかん」
 
 『口傳巻』は人形操りの心得を五二首の和歌と十三条の条文(口伝)で表したもの。人形遣いのバイブル的なものですが残念なことにあまり知られていません。

「二〇世紀における人形浄瑠璃の総合的研究」
 第一部 共同研究『操曲入門口伝巻』
PDF: https://researchmap.jp/mu2dqd5q6-48957/

音曲の司「操曲入門口伝之巻」
http://www.oneg.zakkaz.ne.jp/~gara/ongyoku/jouhou39.htm

 なるほどお、「かん」かあと思った直後、よく見ると字面が違っている(「之」がない)。紹介されているPDFをざっと眺めたところ、底本にした本は今の目から見ると写し間違いが色々あり、タイトルも写し間違っているということが判明した。であるならば、タイトルは間違っていることを踏まえて「かん」ではなく「のまき」でいかねばなるまいとタイトルの読み方は決まった。
 で、せっかく写真で本文見せてもらってるから、振ったルビについても確認確認と一行目から見ていったら、上記引用箇所内の「陳平が策略を以て」ってところ、「策略」って単語のルビが「さくりゃく」じゃなくて「はかりごと」に見える。そういえば、馬琴読んだときにもちょっとひねったルビがいっぱいついていたなあと思い出し、原文なしでルビが触れないことを痛感する。結果、振ったルビはほぼ全部消した。残っているのは底本のルビと一箇所だけ、これはないと読めないと思って加えた𪜈(←「とも」と読む。カタカナの「ト」と「モ」がくっついている)のとこだけ。ルビを消してから思ったんだけど、鳶魚はどうしてルビを無視したんだろうね。面倒だったのかな(画像見ると総ルビっぽいし)。個人的には総ルビで振っておいてほしかった。結構好きなんだよね、「策略」を「はかりごと」と読むみたいなルビ。上記PDFの37-38ページには

淡路人形研究家の中西英夫氏が調査をおこない、それらの翻刻を順次発表したのである③。『口伝巻』の翻刻は、一九九八年に「淡路人形浄瑠璃史料紹介五引田家文書その五」として、雑誌三原文化第五四号に掲載されている(四一-五五頁)
(中略)
その後『口伝巻』の影印と翻刻は二〇一一年に出版された『淡路人形浄瑠璃元祖上村源之丞座座本引田家資料』(引田家資料調査委員会、南あわじ市・財団法人淡路人形協会)に収録された。『口伝巻』を研究に用いる環境が整ったといえるであろう。

と書いてあるので、運がよければそのうち精度の高い翻刻を拝めるかもわからない(アマゾンではヒットしなかったし、古書サイト見ても「売り切れ」。いまだ値段すらわからずだけど)。っていうか、それこそ電子書籍にして売ってくれればいいのにと思わないでもない。
 なお、今回KDPした作品のお値段は216円に設定した。なお、電子書籍だとアマゾン以外のところでは、『未刊随筆百種』の復刻版(巻数が違っているようだ)を発売しているところもあってお値段大体2000円くらいだった。目に入ったやつは固定レイアウトになっていたけど、これはイラストだか挿絵だかの量が多いものもあるだろうから致し方ないというところか。「操曲入門」に関しては挿絵らしい挿絵はひとつしか入っていなかったので、フローレイアウトが可能だった。
 正直ニーズがあると思っているわけではないのだけど、以前キリル文字を入力しなきゃいけない成り行きになったときに、十年くらい前に作られた入力支援スクリプトのおかげでかなり助かったことがあり、作成者が「ごく微量のニーズに応えて」と言っていたのに倣ってみた。十年間で五部売れればいいくらいに思っている。(念頭にある読者モデルは、海外在住で日本語資料へのアクセスが難しい人形浄瑠璃研究者という、ほんとにいるのかどうかわからない人物。しかし、その人のために全Amazonで購入できる設定にしてある)。まあそれでも告知くらいしないと、万が一の読者とぶつからなくなってしまうかもしれないので、いちおう宣伝めいたエントリーを作成させてもらった。興味がある方のお越しをのんびりお待ちしております。


操曲入門口伝之巻


追記:思いついて神奈川権利図書館で検索してみたら『淡路人形浄瑠璃元祖上村源之丞座座本引田家資料』がヒットした。そのうち眺めにいこう。