この本の読書メモ。読み終わったときの感想はもう書いてある。
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のだけども、あんまりにもとりとめがないから、追記がてら。興味深かったところを抜いていこうかなと。
本書はタイトルからわかるように太平洋戦争関連本で特徴は「銃後」つまり「戦時下の社会一般」に焦点を置いたこと。そして、その「銃後」が「当時、何を考え、何を感じていたのかという点」に重点を置いてある。そして、「これを、つとめて当時の人々の発言――流言や投書や日記――から構成し、物語としての「太平洋戦争」記にまとめることにした」と序にある。
親本は読売新聞社から1997年に出た本で、この序を読んでいると何かへの反発があるなあというふうにも思えるし、2019年に読むと、
日本が侵略国であろうと、日本国民が戦争で甚大な被害を被ったことに変わりはない。「加害」というのも、被害の一環となる。誰も好き好んで加害者になったのではない。
などは危なっかしく見えもする(ほかにも割切った理解でいいのか、とか、現行の語り方で若者が耳を傾けるのかとか)のだけど、まだ97年当時の論調なので、こういったフレーズの意味も今とはまったく違うと思って読んだほうがよさそう。そのあとで、著者はこうも言っている。
こう考えてみても、それでもなお、「今の日本は、もちろん、昔とは違うけれども、やはり当時だけの問題として、なぜ日本だけが悪いのか?」と反問される方もいるだろう。そういう方にはこう申し上げたい。そもそも、「日本だけが」と「だけ」を主張することに意味があるとは思えない。(略)民衆にとって、戦争体験とはそんなに単純な論法で割り切れるようなものではなかった。
この最後のところも、(略)からうしろだけ読めば何を示唆しているのか不安になるけれども、そのまえの部分との兼ね合いで読むべきだろう。ほんとに時代は変わってしまったのである。
意外とずしっとくる指摘は以下。
当時、これら前線の悲劇を支え、戦争熱にかられ、兵士たちを戦場へと送り続けたのは、ほかでもない銃後である。戦場という極限状況は、銃後という(これとて異常な状況であることに変わりはないのだが)社会状況によって支えられていた。それはもう、一生懸命に、真面目な人ほど真摯に、戦争に協力したのである。
今のご時世も半世紀経ったらこんなふうに言われそうな気がするね。入る単語は戦争じゃないにしても。まあとにかく、こんなスタンスで話は始まる。