川島高峰 『流言・投書の太平洋戦争』読書メモ3


 この本の読書メモ。
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 第一章第二節 緊張から熱狂へ

 大詔が出た結果、献金が殺到した。12月17日には第七十八臨時会議で「大東亜戦争目的貫徹決議案」が満場一致で採決された。これに先駆け全国の地方議会でも、同様の決議文が続々と採決された。
 また、東京では十日午後一時から新聞社八社の共同主催で「米英撃滅国民大会」が小石川後楽園で催され、数万の観衆がこれに詰めかけた。演説者は、徳富蘇峰緒方竹虎正力松太郎三木武吉など。これは相当な盛り上がりで、「戦争熱は短期間で国民統合を強化していた」と評されている。戦況を早く知りたくてラジオを購入する人が増えたともあり、カラーテレビの普及の話など思い出した。

メディアは戦争のたびに大きく発展するものである。日露戦争の時には農村地帯で新聞購読者が増えた。その後の、新聞は戦争のたびに戦況報道を競い、購読者を増やしてきた。日中戦争期にはラジオによる戦地からの中継放送が行われ、これにより聴取者を増大させていった。しかし、メディアは民衆統制の有効な手段であり、ラジオが地方・全国レベルでの統制を、回覧板が地域の統制メディアとして活用された。

 戦地からのラジオ中継があったというのは知らなかった。あと世界地図がよく売れたんだって。逆に映画館はアメリカ映画の上映をしないと業者が申し合わせたため、客足が激減したそうだ。料亭も閑古鳥が鳴いたとある。

こうした傾向は個人主義的傾向の払拭(ふっしょく)ということで歓迎された。「最も顕著なことは物資不足を訴える不平不満が市民生活から消滅し」、「これまで自分の利害ばかりを中心に『某店では抱き合わせでないと売ってくれない』だの『私の家では家族一同イカの夢ばかり見ている』といった不平不満がなくなり建設的試案が投書の形で書き綴られ始めた」として、新聞もこの傾向を評価した(『神奈川新聞』十二月十日)。

 なんか戦争起きたらSNSにどんな書き込みが溢れるか予想する一助になりそうな話だ。労働争議にも変化が出た。次の引用の出典は『特高月報』。

 労働争議の発生は更に著減し、また係争中のものもその早急解決に拍車を加え、其他出勤率向上、欠勤、早退、遅刻の現象、作業能率増大等の好現象となりて現われ、就中(なかんずく)従来職場に於て見受けられたる階級的観念または待遇上の不満に基く各種の不穏落書は其跡を絶ち、これに代わりて聖戦完遂の意気を高調せるものを散見せらるゝ実情。

 こういうご時世だから団体交渉とかしてる場合ではないって感じだったのかね。勝てそうな予感ってのはすごい力があるもんだ。
 で、これも十日に『決戦生活訓五訓』というものが発表になる。

一、強くあれ、日本は国運を賭している。沈着平静職場を守れ
二、流言に迷うな、何事も当局の指導に従って行動せよ
三、不要の預金引出し、買溜めは国家への反逆と知れ
四、防空防火は隣組の協力で死守せよ
五、華々しい戦果に酔うことなく、この重大決戦を最後まで頑張れ

 これを要約すると、①職分奉公、②防諜、③貯蓄奨励、④防空、⑤長期戦の覚悟――の五点である。この五点は敗戦まで民衆統制の原則として繰り返し強調されていった。

 著者は特に防諜を取りあげ「防諜とは国民自身による相互監視システムにほからなからなかった」と言い、川越警察の防諜に関する指導方針をまとめた「防諜概説要綱」(1941年5月)を引く。

一、自己の持場を厳重に守ること
二、各々自己の言葉を慎むこと
三、自己の持ち物に注意すること
四、他人の言葉や記事等に軽々しく迷わされぬこと
五、自分の行いを慎み、つけ入られる隙を作らぬこと

と、常時の緊張を国民に強いるのである。防諜の真の狙いは、スパイという「非国民」が魑魅魍魎(ちみもうりょう)のごとく暗躍している印象を与え、相互監視のシステムを作ることで国民を強力に統制することにあった。
 同要綱の「結び」にそのことがよく現れている。「結び」は「要は真の日本、真の日本人となること」という言葉で始まり、さらに、

 防諜の根本は日本国民が至誠奉公の念に燃える真の日本人になること……外来思想、即ち自由主義個人主義思想も徹底的に排除して真の日本人に立還らねばならない……日本が本当の日本、自首独往の日本となり日本人が真の日本人となって、はじめて真の防諜が出来る。

と、「真の日本人」を繰り返す。(中略)「真の日本人」と「非国民」は背中合わせなのである。開戦後はこれに罰則の強化がつけ加えられる。

 新聞等でも防諜特集が多く組まれたが、対策としては「“軍の事は知らぬ”これぞ国民の合言葉に」という『三猿主義』が決まって持ち出されたとある。「真の日本人」とは「見ざる、聞かざる、言わざる」者ということなのであると著者はまとめている。なんかこれって、戦後も「軍」を「政治」に替えた処世術としてずっと生きていたんじゃないかという気がする。
 あと知らなくて意外なところに名前が出てきたと思ったのは、今和次郎考現学という単語とセットで覚えていた名前だったのだけど、アメリカニズムの一掃を掲げて、「いまだ残存する“アメリカ臭”風物の記録撮影」し、「銀座に見る敵性ぶりはまだ相当なもの、〈中略〉これでも戦争している銃後かと疑われる」という批判を行った興亜写真報国会の指導役だったんだって。「欲しがりません勝つまでは」を世に送り出した花森安治や、戦意高揚詩を書いたことへの反省文を全詩集あとがきに延々と書かなきゃいけなかったまどみちおなんかのことを連想した。しかし、この「銀座に見る敵性ぶりは~」って難癖の付け方も、今でもありそうだよな。非国民ってことばは反日に入れ替えれば「ああ、こういう感じね」と思うし。このあと、緒戦の勝利に大はしゃぎする新聞の見出しが引用されているんだけど、「大統領、一時は失神状態 国務省も蜂の巣!」「敗報相次げど施す術なし 狂わん許(ばか)りのルーズヴェルト」など、見てきたようななんとやらで記事を書いているのが読売新聞なのも現代に通じている気がする。『太平洋戦争と新聞』(amazon)という本の冒頭で、朝日と毎日は社員が突き上げやって経営陣を入れ替えたって話が紹介されているんだけど、読売なんて上の「米英撃滅国民大会」で演説してる正力松太郎が『巨人の星』の時代になってもまだふんぞり返っていたいて、原水爆禁止運動への反動キャンペーンも打ってるし、ここはほんと戦前から今に至るまで連綿と受け継がれた価値観みたいのがあるんだろうなと思う。今ウヨ的な言説で目立つ新聞と言えば、そりゃもちろん産経だけどさ、どっちも戦前戦中を温存してるわな。
 そんなことも、と思ったのは、灯火管制やら自粛やらの結果、昭和16年の大晦日には除夜の鐘が鳴らなかったという記述。楽観ムードのときすでにこうなのかって感じがした。