山田風太郎 警視庁草紙―山田風太郎明治小説全集〈1〉〈2〉

警視庁草紙〈上〉―山田風太郎明治小説全集〈1〉 (ちくま文庫)
山田 風太

4480033416
筑摩書房 1997-05
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 山田風太郎の明治もの。連作短編。初出は1973年の雑誌連載*1で、75年に文藝春秋(78年文庫化)、94年に河出文庫からも発売されている。読んだのは97年刊のちくま文庫*2。明治に生き残ってしまった江戸人たちの絡み合いを描いた連作短編で上巻には9本を収める。どれもこれも不可能犯罪の発生がイベントとして出てくるが、驚くべきは虚実を混ぜ合わせる手腕だ。
 これまで山田風太郎は数冊だけ目を通し、自分にはあまり合わないと思っていたのだけど、これは本当に面白い。第一話のゲストキャラクターが三遊亭円朝と半七老人であることに驚き、勢いづくままに読み進めていったが、昭和を背負うことになる人々の父親や、明治を背負って立つことになる人々の幼年期などをさりげなく織り交ぜて、見事な稗史を構築していて、どれほど調べ上げたのかと圧倒された。
 無論史料のつぎはぎだけでは小説にならないので、ミステリー短編としての枠組みもあるし、江戸の生き残りたちの意地も語られる。
 ネタバレにならないところで自分が大変感銘を受けたのは、最後に収められた「最後の牢奉行」。
 伝馬町牢獄から市ヶ谷・谷町へと監獄が移るという頃のこと。江戸時代に代々牢奉行を務めてきた岩出帯刀の十七代目は、明治になってからは牢番として牢獄に勤めていた。もともと牢獄に家もあったのが、そこからも追い出され、そりの遭わない上司にいびられながらも、先祖代々仕えてきた伝馬町の牢獄に添い遂げたいという一念で、そこに自分の居場所を求め続けていた。
 そんな彼に殺しの嫌疑がかかる。これを主人公たちがはらってやったその後日談。
 伝馬町牢獄最後の日、火事が上がり、火の手は伝馬町の牢獄へと迫った。

 さて、こんな場合、禁獄してある囚人たちをどうするか。
 旧幕時代には、「切放し」という不文律があった。牢の鍵をあけて、囚人をいっせいに解き放つのである。鎮火後ふたたび牢に帰って来ることを命じて、囚人を自由に逃走させるのである。

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 この習慣は明暦の大火のときにはじまり、作ったのは初代もしくはそれに近い石出帯刀。本来そのような権限を牢奉行は持っていないのだが、彼ら代々の石出帯刀は囚人の焼死を防ぐため、これを断行した。
 山田はこれを評して「徳川期唯一にして最大のヒューマニズム」と言っている。
 それから牢奉行という身分がどのようなものであるかの説明が始まる。それによれば、牢奉行とは「武士の世界では一種の賤職に過ぎ」ず、結婚も武士とはできないような状態だった。それゆえこの「切放し」を告げる時こそ、石出家にとって唯一にして最大の誇りを発揮する晴れ舞台であった。
 だが、この伝馬町最後の日の火事において、十七代目岩出帯刀は牢奉行ですらなく、牢獄を司るのは明治の役人。役人は火事にただただ狼狽し、囚人のことなどまるで頭にない。
 そこに十七代目石出帯刀がやってくる。

 なんたる姿が開花のこの明治八年に出て来たものか。銀箔を押した鉄の兜頭巾、非羅紗の胸当に定紋打った石帯、それに大石内蔵助みたいな華麗きわまるだんだら染めの火事羽織をつけて、片手に采配をにぎっている。――しかし、牢役人たちが呪縛されたのは、そのアナクロニズムのいでたちではなく、凄絶無比の気魄であった。

 帯刀は役人から牢獄の鍵を受け取ると、片っ端から扉を開けていく。

「囚人ども承れ」
 と、彼はさけんだ。
「なんじらここで焼き殺されるは無惨のきわみなれば、石出帯刀、独り責任をもってゆるし放つべし」
 すでに牢屋敷の四方にあがる万丈の炎を背に、仁王立ちになって、逃げるべき方角を采配でさしているのは――あの影薄い初老の十七代石出帯刀であった。
 彼は半月前、牢から釈放されると、そのまま大伝馬町の自宅で静養していたのである。
 彼はよばわった。
「足にまかせていずこへでも逃げゆき、火が鎮まったのちは、一人残らず帰牢せよ。この義理たがえずばわが身にかえて、なんじらの命助けつかわす。さもなくてこの約定たがえて帰らざる者あらば、地の果て雲の果てまで探しぬき、その身はおろか一家一族逆さ磔に成敗するぞやっ」

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 明らかな負け組である江戸の遺物が輝きを取り戻す、いや燃え尽きる前の最後のきらめきを見せる、その一瞬を切り出すために、この一編は書かれたのだろう。そして、そのきらめきは眩しいほどに鮮明な印象を読者の胸に刻みつける。
 歴史が勝者の作るものである以上、こうしたものを掬い取る仕事は決して歴史家にはできない。歴史家がそれと似たようなことをするときには、単に勝者を批判するダシとして使うだけだ。敗北の宿命を背負った英雄を描くのは物語の仕事で、本書はそうした点において、真の物語だ。
わくわくしながら下巻も読もうと思う。


追記:下巻まで読み終えた。仕方ないことだと思いつつも、ラストシーンの虚しさは呑み込みにくい。歴史の怒濤に呑み込まれるというよりも、物語に引きずり込まれていくという方が正確な気がする。フィクションを読んで人間の姿云々いうのは馬鹿らしいけれど、山田風太郎は本作で、人の弱さを見事に描ききったと思う。どんな弱さかといえば虚しさを抱え続けられないという弱さだ。隅のご隠居はそれを抱え込んで生きているように見えたけれど、わずかに綻んだところから政府をからかい始めてしまう。元同心の兵四郎はその結果、かつての判断を投げ捨てて、自ら自嘲するような死地へと赴く。

高みの見物ってやつは、どうも虚しいねえ。そりゃ、生きてねえ、ということじゃあねえかなあ。共喰いをやるあいつらこそ、この世に生きてる連中のような気がするんだよ

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 こんな台詞で兵四郎は生活の面倒を見てくれた女を捨てて、出て行ってしまう。読み終えたばかりで作品世界から戻ってきてない頭では、当時全国各地にこんなことを言っている人間がいたんじゃないかと思えてしまう。今だって日々似たような台詞は世界のあちこちで言われているんだろう。
 しかしどうにも共感できないのは、おいていかれる方に目が向いてしまったせいなんだろう。兵四郎が虚しさを忘れる祭りへ出かけていき、そこで華々しく「生きた」として、十年間面倒を見てきたお蝶は? という気がしてならない。兵四郎はこれからクライマックスを迎えることが出来ると思われるが、お蝶の方は長すぎるエピローグを生きなければならず、自分が耐えられなかったそれを押しつけてさっさと死にに行くってのは釈然としないものがある。
 もちろん、この呑み込みにくさまでも含めて非常に傑作だとは思う。
 兵四郎の決意は決して賞賛されてはおらず、むしろ他のキャラクターたちの決意の場面と並べられることで、兵四郎を含む全体の決壊として描かれていて、そこに重苦しい熱狂が刻み込まれている。

 その書かれ方が素晴らしいだけに、読み終えた後に重いものが残ってしまう。

警視庁草紙〈下〉―山田風太郎明治小説全集〈2〉 (ちくま文庫)
山田 風太

4480033424
筑摩書房 1997-05
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関連書籍:武藤誠 明治の炎 「警察手眼」の世界

明治の炎

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啓正社 1997-11
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 元警察大学校校長である著者が川路利良の「警察手眼」の解説をした本。ページが持たなかったのか、後半は日本警察史の概説みたいになっていたり、同じはなしが繰り返されたり、話があっちにいったりこっちにいったりしていた。特に面白いと思ったのは、川路とは全然関係ないのだが、日本初のポリスは横浜の居留地で誕生した*3という話(ただし、日本の警察制度はフランスに範を仰いだのに対して横浜のそれはイギリス式だったのだとか)と、神戸もやっぱり居留地の中では独自の警察制度があって、兵庫県から独立していた話(こっちは明治三十二年まで続いたのだとか)だろうか。ほかに「福翁自伝amazon)」に書かれていた「警察制度整備と慶応大学三田移転に関する裏話」の引用も面白かった。

*1:下巻の書誌データによればオール讀物1973年7月から74年12月号まで

*2:ここら辺の記述はウィキペディア山田風太郎」と、「山田風太郎書誌」に拠った。

*3:明治十年まで存在