ピョートル・クロポトキン(Wikipedia)の話を森元斎『アナキズム入門 (ちくま新書)』で読んでいたときに、略歴になんか見覚えがあるなあと思い、何で読んだ話とリンクしてるんだろうと考えたら、かつてKDPしたこれ
で「ペートル、クラポキン候」と書かれていた人物だった(この人の脱獄は同書クライマックスのひとつ)。だもんだから、にわかに勝手な親しみを覚え、代表作だと書いてある『相互扶助論』なんかも見つつ、言及署名をポチポチ検索していくと、本書『麺麭の略取』はなかなか入手しにくい状況にあることがわかった。いや、ほんと言うと『麺麭~』も『相互~』も両方出しちゃえと思っているので、入手しやすいしにくいってのは言い訳かもしれない。何しろ『アナキズム入門』で無政府主義の聖者とか言われている人物の代表作を『相互扶助論』なら大杉栄が、『麺麭の略取』なら幸徳秋水が訳しているのだから、それだけでどっちも覗いてみたくなる。きっとほかにも覗いてみたくなる人がいるはずだってことで作業を始めた。底本は『幸徳秋水全集第七巻』。内容はウィキペディアにもまとまっている。
ja.wikipedia.org
底本そのままの旧字体だとKindle内蔵辞書が機能しないので新字新仮名に直した。一部漢字は開き、ルビも増やした。個人的には国名や通貨単位が漢字なのは当時の趣があって好きなんだけど、志のままで「シリング」と読めというのは厳しいように感じられ、とはいえルビを振ると前後が開きすぎるっつーことで、通貨単位についてはカタカナに改めた。なら国名も独逸じゃなくてドイツのほうが一貫してるよなと思いつつ、そうすると露国みたいな表記はどうする? となって、触るのをやめた。地名も触らなかった。巴里を「パリ」と読むか「パリー」と読むか、みたいなとこに自信が持てなかったからである。ルビは「パリ」で統一したんだけどさ。
タイトルの「略取」は辞書を引くと「力ずくで奪い取ること」とあるので、物騒なイメージだけども、原題La Conquête du Painのconquête は「征服、獲得」の意味で、内容的にも「いかにしてパンを行き渡らせるか」がテーマなので、『麺麭の獲得』とかのほうが正確だったかもしれない。ここはちょっと誤訳気味に思った。まあしゃあない。
文語文なのでちょっととっつきにくいかもしれないけれど、数ページ読むとなれてくる。なれてしまえば案外普通に読めるのは、幸徳のリズム感がいいからなんだろう。一個だけ気をつけなきゃいけないのは、「しかも」の用法で、現代語の「しかも」は「おまけに」の意味なんだけど、幸徳は「おまけに」のほかに「しかし」の意味でも「しかも」を使っているので、前後を見て順接か逆説か判断しなきゃならない。要するに「しかも」を今の「しかも」で読んだら続きのつながりかたが変だぞってときには、「しかも」を「しかし」の意味で読み直してねってこと。たとえば第三章に、
彼れは言(いっ)た、「銭さえあれば、余は余が要する一切の物を買い得るのだ」と、しかもこの人の考えは謬(あやま)っていた、
こんな例がある。この「しかも」を「おまけに」の意味で読んでも意味が通らない。「しかし」「だが」で読む必要がある。第五章の
遂にコンミュンはその失策を悟って、共同の賄(まかない)所を開始した、しかも余りに遅かった、
これも同じパターン。この「しかも」の使い方だけ頭に入れて、わからない単語で困ったら内蔵辞書使うようにすれば、内容的にはすんなりと頭に入ってくるように書かれた良書である(もっとぶっちゃけると、単語レベルでわからなかったら各漢字見てプラス評価かマイナス評価かだけあたりをつけてそのまま進んじゃっても理解という意味では大したダメージはないと思う。気楽に進んでほしい)。
世の中厳しいわあってなったときの処方箋として「才覚でのしあがる」(ひっくり返せば自己責任ってことだ)ばかりが喧伝されるけど、世の中のほうを変えてやれという方向を見るやり方もあり、そのなかには「そもそも政府っている?」という考え方もある。そう言われれば当然「政府がなくなってどうやって世の中動かすんだよ、バトロワかよ」と思うわけだけど、そうはならないやり方もあるんだというのが、本書でクロポトキンが説いている内容である。十九世紀末の考えがそのまま現在でも当てはまると思うのは虫が良すぎるだろうけど、自己責任論以外の考え方が見当たらなくなりかけちゃってる今だから、こういうのを叩き台に使ってそこから考え始めるのは有効かもしれない。
お値段は480円にしてみた。キンドル・アンリミテッドに登録していれば追加料金なしで読める。ってことで、よかったら覗いてみてね。







