まえに『織田作之助 青空文庫で読めない短編全部盛り』(紹介記事)を作ったときに、長さの問題で短編とは言えないものの、青空文庫未公開の『文楽の人』も入れたいなあとちょっと悩み、どうせならオダサクの文楽関係エッセイとまとめてファイル作るかと作業を始めた。参考にしたのは森西真弓の「<研究ノート>織田作之助と文楽」(PDF)。結果、エッセイにはいまいち乗れなくて、単体リリースをした。
のだけれども、どうも物足りない。で、上記森西論文に『文楽の人』は『吉田栄三自伝』と『文五郞芸談』から多くを摂取して書かれているとあったので、元ネタも読めるようにできないかなあと検索したら、まず『文五郞芸談』が国会図書館デジタルコレクションで読めることがわかった。でダメ元で図書館当たってみたら、『吉田栄三自伝』があった。んじゃこの2冊もリリースしてみようと作業を開始したのだけど、いっそ合本の形のほうがいいか、いやもう『文楽の人』出しちゃってるし、バラで読みたい人もいるんじゃないか。でもまとめれば編集しましたって主張できるからKUに登録できるぞ、しかし……みたいな迷いにぶれぶれになりながら、段々にファイルはできていく。結局、単体の『吉田栄三自伝』(Amazon)、『文五郞芸談』(Amazon)、それと三作まとめた『文楽の人スペシャルパック』(Amazon)の三種類をリリースすることにした。一読者としての感想を言うと、明治から日中戦争始まったくらいまでの文楽の歴史を眺めるなら『吉田栄三自伝』がもっとも詳しく、異世界を覗きたい気分を満たすのは『文五郞芸談』かなという感じ。後者は芸人同士の嫉みから声を潰すために水銀しこんだの、目を潰したのとくらくらするようなエピソードが淡々とした筆致で書かれていて、一種独特の気分が味わえる。で、『文楽の人』は「吉田栄三」「吉田文五郎」の二つのパートからできていて、「吉田栄三」パートは「吉田栄三自伝」に重なるところも多いのだけど、見せ方が違うというか、織田作之助の筆にかかってエピソードに活気が出ている。読み比べると素材と料理は別物というのを実感させてくれる。「吉田文五郎」パートはかなり奇妙で吉田文五郞の一人称語りという形式を取っている。奇妙というのは執筆当時吉田文五郎はまだ生きていて、これが文五郞に取材して聞き書きを書いたものとはどこにも書いてなく、上記論文でも読めるあとがきでもこれが小説だと書かれているところ。文五郞はこれを読んだんだろうか、読んだとして何を思ったんだろう。そしてやはり、読み比べると素材と料理は別物という感じがする。もっというと、「血のついた人形」のエピソードに顕著だけども、織田作之助のあじつけの仕方がちょっと窺えるような気さえした。そういう効果が面白いので一冊にする価値もあるだろうと思ったわけ。
で、文五郞芸談は上記の国会図書館デジタルコレクションで読めるし、『栄三自伝』と『文楽の人』の「吉田栄三」パートは「音曲の司(ウェブサイト)」で読める。『吉田栄三自伝』がここ。
www.ongyoku.com
『文楽の人』の「吉田栄三」がここ。
www.ongyoku.com
おれが出したバージョンは全部新字新仮名遣いに改めた(『文楽の人』の底本に使った全集本が新仮名だったので統一したくなった)のだけど、旧仮名でも全然いけるという人には上記デジタルコレクションの『文五郞芸談』ともども選択肢になると思う。このサイトの存在は『吉田栄三自伝』の入力作業中に知ったのだけど、底本が違っていても(おれが使ったのは昭和23年版)大昔の本のかすれたルビをどう読むのかとか、この判読不能なくらい潰れてる漢字はなんだとかの難所で何度も参考にさせてもらった。大変ありがたかった。
なお、旧仮名を新仮名に直すなんてできて当然くらいに軽く考えてとりかかったお馬鹿なおれは、「は」を「わ」に直す「ぢ」「づ」を「じ」「ず」に直すくらいは想定していたのだけど、「あ」「い」「う」「え」「お」「つ」「や」「ゆ」「よ」あたりが大きいのか小さいのか判断しなきゃいけないとか、〳〵がどこから繰り返しているのかは実のところよくわからないとかいうことはまるきり予想していなかったので、ところどころ頭を抱えることになったのだけど、曾野話はまあ別途機会があったら書くことにする。いい加減長いし。
まとめると、
・『文楽の人スペシャルパック』というキンドル本をリリースした。
・収録作は織田作之助『文楽の人』吉田文五郎『文五郞芸談』鴻池幸武『吉田栄三自伝』の三本。
・全部新字新仮名にて収録。
・KU登録者は追加料金なしで読めます。
です。
ご興味ある方、よかったらぜひ。