スージー鈴木『チェッカーズの音楽とその時代』読書メモ6

前回。
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第二期に入った。『NANA』に対するスージーさんの印象ってかなり悪いのね。今までの照れ隠しかおいおいみたいなツッコミを入れる余地が残ってない感じ。アイドル時代の第一期がよっぽど好きだったんだろうなあとか思った。引用してる歌詞も助詞間違えてるし……。

チェック柄のコスチュームを脱ぎ捨てた7人は、夢の世界から西麻布という現実に降り立ち、芸能人と飲んだくれ、戯れる男たちとなったのである。

 あの歌詞でそこまで想像できるのかとびっくりした。リアルタイムだとこんなふうに見えるものだったんだろうか。いや実を言うと「メンバーの喜びが、ビンビンと伝わってくる曲である」ってところから、印象が違うんだよね、音源初めて聴いたとき、喜びより気迫を感じた身としては。高校生くらいのときは「脱アイドルへの気迫」みたいに解釈してたけども、今考えれば「コケたら終わり」な背水の陣で出てきた音だったように思う。でもってサビの「未来に感じ濡れてくれ」とか「過去を引き裂け」とかも、『True Love』がファンへのメッセージなら、やっぱりファンへのメッセージだったんじゃないのかね。「思い出へ流れてゆく涙はおれのこの手じゃふけない」けども、どうか新しい自分たちについてきてほしいっていう。
 あら、今反射的に思いついただけだったのに、これだとNANA=スージーさんみたいに路線変更を残念に思っていたファンじゃんね。やっぱりもうちょっと『NANA』には優しい眼差しを注いであげた方がよかったんじゃなかろうか。そんなこと言うぼくはもちろん『NANA』好きです。いちばんよかったのはチェッカーズじゃなくなるけど2017-2018のカウントダウンライブのときの演奏。前奏のジャーン、ジャッジャーン、ジャッジャーン、チャーン、で会場揃って「ハッ!」のあと、一瞬謎の無音。その一瞬で戸惑いがさざなみのように広がったのを待っての演奏再開っていう流れがあって楽しかった。

 で、『NANA』を下げた反動か次の『I Love you,SAYONARA』は珍しくストレートに褒められている。『ジュリア』『POPSTAR』に続いて3曲目かな。世界観がいいのだそうな。

 チェッカーズとそのスタッフのクレバーさはこのあたりにある。
 つまり、《NANA》と《I Love you,SAYONARA》の、このような世界観の違いを、(おそらく)意識的・戦略的に打ち出していることのバランスを取るクレバーさ。マンネリズムを回避する、このようなクレバーさがあって初めて、「解散まで本格的な低迷期を迎えなかった希有なバンド」になれたのだと思う。
 作曲は、当時のチェッカーズにおける音楽的キーパーソンだったユウジ。やたらとキャッチーなサビも含め、コンテンポラリーでかつ「売れる音」になっている。

 どうせなら、イントロのサックスの気持ちよさにも言及してほしかった。最初のあれと、「♪きーらいと言ーうしーかー」のまえのジャジャジャジャージャジャジャがいいと思うんだけど。まあ、「含め」だから全部入ってるってことでしょうけど。英語版もあるんだよね。歌詞覚えてないけど。そっちもなんかいい具合だった。好きな演奏はフミヤがソロになったあとのNHKホールかどっかのライブ。ユウジがゲストで来てたやつ。なんかとても楽しそうに歌ってた。WHITE PARTYのアンコールの『ジュリアに傷心』もそうだけど、ちょっと「懐かしの」って文脈入ると楽しそうに歌うんだよねえ、フミヤって。

スージー鈴木『チェッカーズの音楽とその時代』読書メモ5

前回。
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今回、『神様ヘルプ!』からなんだけど、この曲、スージーさんに言わせると、「ネオGSとしてのチェッカーズ」を最も体現した曲らしい。

 今回は「パロディバンド」としてのチェッカーズを考えてみたい。「パロディバンド」と言ってしまうと、日本では「コミックバンド」のような響きを持ってしまうが、ここで言う「パロディバンド」とは「過去の音楽家や音楽スタイルを、批評的に模倣するバンド」という意味である。

 で『神様ヘルプ!』がパロディにしているのはグループサウンズだと。タイトルからザ・テンプターズの『神様お願い!』を連想すると。まあ、そりゃそうだね。ところで、『神様お願い!』って90年代にどっかのバンドがシングルにしてなかったっけ? 本書はKUWATA BANDの名前が出ていて、ウィキペディアにもいくつか名前が載っていたんだけど、どれもピンと来ない。なんて言ったっけなあ、あの人たち。そのバージョンでしか聴いたことがないから声は結構しっかり再生されるんだけど。
 まあいいや。『神様ヘルプ!』に話を戻すと、イントロ格好いいよね。パパパ、パパパ、パパパパ~~、ズズズズズズ、ジャジャーンみたいな流れが。でもって「ふたりシャナナでハートブレイク」のシャナナが今でもよくわからない。ところで、

最後に余談。フミヤの「おばさんパーマ」は、彼の「髪型史」の中で、私が最もかっこいいと思うものである(異論は認める)。

このおばちゃんパーマが
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これのことなら、割と頷いてしまう。あとドーム公演あたりの頭とだいぶあとのほうのウニみたいな頭も好きだったなあ。ソロになってからで印象強いのは天使の羽みたいな頭かなあ。センチュリー・カウントダウンのときの髪型もおばちゃんパーマ系だったけど、あれもかっこいいと思った。

 さて次は『OH! POPSTAR』。すごい珍しい曲だ。何がってスージーさんの感想が。

私の率直な感情を伝えれば「好き!」。少なくとも、ここまでのシングルの中では一番好きだ。

 オリコン連続一位を逃した曲だからか、すげえ素直に好きって言っててびっくりするじゃねえか。これは先にライブ映像見て「カッケー」ってなったんだけど、その印象が強かったからか、音源聴いたときに「遅い」って印象が先に立った。あと、観たライブ映像とキーも違っていたんじゃないかという気もする。なんか緑色と黒と狐の尻尾みたいなふわふわしたものの印象が残る衣裳だった。あの演奏はとってもよかった。しかしようやくスージーさんの言うことにうんうんと頷けて嬉しい。良い曲ですよ、これ。なんだけどさ、

「屋根裏の部屋」に2人で暮らしていた。そして自分(のちのポップスター)が「ギター弾ける仕事見つけた」までは良かったが、売れていく中で、彼女とは疎遠になっていく。シビれるのは、ポップスターに成り上がった自分が写っている街角のポスターを、その彼女がブーツの先で蹴って破るシーンだ。そして自分は歌う――「♪誰のために歌えばいいの?」

 つまりはこの歌詞、チェッカーズ自身の経験に基づいて書かれている「ような」感じで作られているのである。「ポップスターのメタ世界」という発明。この瞬間に、ここまでしつこく書いてきた「久留米のヤンキー性」と商業主義が、見事に融合するのである。

 の前半部は2番の歌詞冒頭「街角の壁に笑う俺のポスター見かけるたびにブーツの先で破って泣いたよ」を踏まえてるんだけど、ポスター破ったの、彼女だったの? おれは「俺」だと思ってた。で次の「星に手が届きそうな部屋でいつしか二人の愛も粉雪みたく川面に溶けたね」がカットバックで入ってくるイメージだった。ほかにそう言ってる人見当たらないから、おれの勘違いだったみたいなんだけど、一番で上昇気流なのに二番冒頭から自分のポスター蹴って泣いてる→内面に入って別れの場面みたいな流れの方が映像綺麗だと思うんだけどなあ。そして、最後の段落はすげえ余計だと思ったのだった、ちゃら~ん
 で、次がいまだにタイトルの意味がよくわからない『Song For U.S.A』。これは聴いてるうちに「フミヤいい声だなあ」って思ったのを覚えている曲。最初の五曲はメロディーとか音作りがキャッチーで気持ちよかったんだけど、これは声がいいと思った。同名の映画もあって深夜放送録画して見た。今となっては藤井尚之浅野温子のまわりをご機嫌なステップでまわるみたいな場面とマイルスってミュージシャンが交通事故で死んじゃう場面の「マイルス!」ってフミヤの叫び声しか覚えてないんだけどさ。
 で、スージーさん、ここで曲の解説全部放棄して(タイトルの由来解説を期待していたのに)ここまでのチェッカーズの総合的な功績についてまとめはじめる。2は自分たちの立ち位置に批評的だったと考えるならそうだねと思う。3もたぶんそうなんだろう。1のモダニズムの放棄ってどうなんだろうね。「日本人が作り、日本人が聴くことで完結する自給自足ポップスがチェッカーズにおいて完成したのである」なら、なんでその結果歌われるのが「♪This is the Song for U.S.A」になるのかまで書いてくれれば、膝を打ったかもしれない。
 

スージー鈴木『チェッカーズの音楽とその時代』読書メモ4

前回。
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『あの娘とスキャンダル』の次は『俺たちのロカビリーナイト』。スージーさんの曰く「とても地味な印象の一曲」。この頃(85年夏)は阪神が躍進していて「チェッカーズよりタイガース」だったと書いてあり、「あー、そういえば」とか思った。しかし、と話は展開する。

それから30数年の時が過ぎた今、この曲の歌詞をしげしげと眺めると、また新たな発見がある。一言で言えば「無国籍オールディーズの完成形」。

で、普段歌詞カードなんか見ないで音だけ聴いているおれとしては次のくだりにちょっと噴いた。

驚くべきことに歌詞カードでは「不良少年」と書いて「ロカビリー」と読ませている。これは「本気」と書いて「マジ」と読ませるよりも、相当に無理やりだと思うのだが、不良少年の物語と設定することで、チェッカーズの魅力の源である「久留米のヤンキー性」が表出する。

 後半部分についてはそういう見方もある(結構スージーさんの曲評価に顔を出す「ヤンキー性」なんだけど、おれはあんまりポイントと思えないんだよね)くらいなんだが、この前半には笑ってしまった。「♪あの頃はみんなロッカビリーと呼ばれ、てたね」みたいに聞こえてて、ロカビリーって人間? とは思っていたんだけど、不良少年のルビだったとは(知ってたはずなんだけど、忘れてた)。
 思わず、『当て字・当て読み漢字表現辞典』(amazon)を引っ張りだして引いてみた。あった。辞典すげえ。さらにそれで思い出したおれが記憶する限りチェッカーズの歌詞で最大に無茶なルビだと思った「連弾ぶ」(←一発で読めますか?)も引いたら、そっちも載ってた。この辞典やりおる。その項目の横にもまだロカビリーナイト出てきて三度驚いた。

【絶叫(さけ)ぶ】(歌詞)涙ロカビリー好きだと絶叫(さけ)び〔チェッカーズ「俺たちのロカビリーナイト」(売野雅勇)1985〕
【連弾(さけ)ぶ】(歌詞)ロックン・ロールのピアノが連弾(さけ)ぶよ せつないねと〔チェッカーズ「OH!! POPSTAR」(売野雅勇)1986〕

 それはともかく、スージーさんは最終的に「当時この曲を意識的に遠ざけたことを、今となって少し後悔する」と仰有るのだけど、おれはこれ、いつ聴いても「マジか、これが一位取ったのか」って思っちゃうんだよねえ。いや、流れのなかで出て来るぶんにはいいんだけどさ、『今夜の涙は最高』とかと一緒で、これだけが入ったレコード買う気になるか? くらいに思うんだわ。7×10に入っていたライブの映像は好きだけど。
 もう一個、意外な発見があったのは補論ってところ。

85年8月12日、チェッカーズ西武球場(当時)でコンサートを開催。その様子を収めたDVDが『THE CHECKERS CHRONICLE 1985 Ⅰ Typhoon' TOUR』。この日に起きた大惨事が日航機墜落事故。いくつかの情報を総合すると、墜落寸前の飛行機は、西武球場の近くを飛行していると見られている。

DVDはこれ。

 さーて次は『HEART of RAINBOW』12インチシングル作品。よくわかんねえけど、マキシシングルみたいなもんか?(読んでる人若かったらマキシシングルって単語ももしかして死語?)尾崎豊の『卒業』も12インチシングルだったんだって。曲の特徴は「フミヤのボーカルがシングルトラックなのである」。シングルトラックってなあに? という疑問のある方、『チェッカーズの音楽とその時代』を読みましょう。技術的な話も書いてあるけど、個人的に面白かったのは、

そして当時は、グリコ・アーモンドチョコレートのCMソングとして聴いて「可愛い曲だなぁ」と思い、「サザンオールスターズのニューアルバム『KAMAKURA』のついでとして買っておこうか」くらいの意識だった。

グリコ・アーモンドチョコレートのCMは、今でも動画サイトで見ることができる。メンバーのつくしん坊のような髪型が異常に可愛い。

 ここを読んだ人のどれくらいが立ち止まったかはわからないんだけど、思いだしてほしい。読書メモ第2回の『ギザギザハート』のコメント部分、

「ハードロック少年」としては、「可愛い」と同調するのは、さすがに、色んな意味ではばかられる。

 ハードロック少年は二年足らず(発売日-発売日なら丸2年だけど、同級生からの口コミ来るまでのタイムラグ考えれば2年足らずである)でチェッカーズのまえに陥落していたのだ。「可愛い」からシングル買っちゃうまでに。チェッカーズすげえわあ。

 それはさておき、実はこの曲のレビューが本書通していちばん不満だったりする。意見が合わないとかいう以前の問題で不満だったりする。ちょっとウィキペディアの『HEART of RAINBOW』の項目を見てほしい。

「HEART OF RAINBOW ~愛の虹を渡って~/ブルー・パシフィック」(ハート オブ レインボウ ~あいのにじをわたって~/ブルー・パシフィック)は、1985年9月21日にリリースされたチェッカーズの8枚目のシングル(12インチシングル)。

解説
両A面シングル扱いで、「HEART OF RAINBOW ~愛の虹を渡って~」はグリコアーモンドチョコレートのCMソング、「ブルー・パシフィック」はTDKカセットテープのCMソングであった。
企画シングルとして発売された為、ランキング番組などで披露される事はなかった。

 両A面なのに、なんで『ブルー・パシフィック』無視すんのさあ。むっちゃ格好いい曲じゃんよー。

スージー鈴木『チェッカーズの音楽とその時代』読書メモ3 

前回
スージー鈴木『チェッカーズの音楽とその時代』読書メモ2 - U´Å`U

さてさて、今日はジュリアに傷心から。

シングル売上枚数だけで言えば、この曲こそがチェッカーズのピークである。また1984年の暮れに発売されながら、翌1985年を席巻し、その年の年間ランキングの1位に輝く。

 ってことで、文句なしの名曲と個人的には思っているのだけど、前曲を上げて解説曲を落とすがパターンのスージーさん、今回はどうか。

ここではヤンキー性も見事に復活。「東京のビジネス性」と「久留米のヤンキー性」が両立している。

 褒めてた。そして「チェッカーズリズムセクション=ドラムスとベースのバンドだと思う」と言い、「特にこの曲では、そのリズムセクションが映えている。イントロ冒頭のドラムスの連打と、曲中を跳ねて駆け回るベースの『日本全国の小中高の女の子の胸をかきむしらせる感じ』はどうだろう。ぜひ改めて、注目して聴いていただきたいものだ」

 で、歌詞のパンチラインとして注目しているのが「♪俺たち都会で大事な何かを失くしちまったね」と「夢の他に何もない部屋」の二つを挙げている。確かに確かにと思った。わたくしも幼いみぎり、「俺たち都会で~」はなんとなく口ずさんでいましたよ。住んでたの、どっちかって言えば田舎だったけど。記憶だと売上82万枚って言っていた気がするんだけど、本書のデータは70万枚。色んなカウントがあるようだ。でもって、ここが売上的にピークというのも実感としてわかる。ここまでの五曲は全部流行り歌として、その辺の子が口ずさんでいるのを聞いたのだけど、これ以後、チェッカーズの曲は当時のおれの耳に入るところ(つまり芸能人とか歌番組に興味のない小学生)までヒットしなくなった。85年のあいだに社会現象としてのチェッカーズは終わったんじゃないかなあ。いや、こんな条件の小学生がデビュー曲から五曲目まで全部知ってたってのが驚きなんだけどね。実際、のちに二枚組のベスト(これ)を買って再生したら、次から次へと聞いた覚えのある曲かかって「げ、これも、これもチェッカーズなのか?」って腰を抜かしたし。最初の売れ方が尋常じゃなかったんだと思う。何があったんだろうね。

 ついでに思い出したんだけども、チェッカーズという単語と遭遇したのはたぶんこのあたり、あれやこれやの歌を歌っている人たちという認識はなく、何者かも知らなかったが名前だけ。どっから入ってきたかと言えば、週刊少年ジャンプ。『ハイスクール奇面組』という漫画があって、そこにたしかシブがき隊がチラっと出て(テレビ画面のなかか何かで)、でその場面にチェッカーズの名前があったような気がする。もしかすると絵もあったかもしれない。

 それはさておき、スージーさん的には、85年が「日本全国のチェッカーズへ」化けた年という見え方だったらしい。そして『あの娘とスキャンダル』の感想は

この曲を初めて聴いたとき、「向こう側に行ってしまったな」という感じがしたものだ。

 繰り返して悪いけど、むっちゃ好きだよね、チェッカーズ。で、あの娘とスキャンダルは「何となく軽薄だし、何よりも『久留米のヤンキー性』が(また)封印されている」と不満げだ。

《ジュリアに傷心》がキラキラしているとすれば、こちらはチャラチャラしている

もろもろまとめれば、「作品」というより「商品」としてとても優秀な曲という結論になる。

 あー、チャラチャラしてるってのはわかるかも。軽快で楽しい曲だけど。この曲は解散したあと7×10見て初めて聴いた。ライブ映像からだったので、そのあと音源聴いたときに違和感あったなあ。テンポとか違ったような気がする(最近はずっと音源だけなので、すっかり馴れている)フミヤがソロになってからの2000年~2001年カウントダウンの演奏が個人的には好き。すっげえ楽しそうで。「タヌキだっていいじゃない!」は映画のフレーズで、一回挑戦したものの、あまりにもあまりな感じでまったく合わず、フミヤがどっかにさらわれたあたりで再生やめちゃったんだよなあ、そういえば。最後どうなるんだろ、あれ。

スージー鈴木『チェッカーズの音楽とその時代』読書メモ2 

前回
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そんなわけで本編。デビュー曲『ギザギザハートの子守唄』のレビューではスージーさんとチェッカーズの出会いが語られていた。1983年秋、著者は高校二年生。授業で一緒の女子から「これ、知ってる? チェッカーズっていうねん。めっちゃ可愛いねん!」と切り抜きらしき写真を見せられる。

極彩色のファッションに身を包んだ少年7人組の写真(「月刊明星」の切り抜きと思われる)。中でも、真ん中で頬笑んでいる少年が、同性・(ほぼ)同年代の目からしても、妙な気分になるくらいに、やたらと可愛い――が、「ハードロック少年」としては、「可愛い」と同調するのは、さすがに、色んな意味ではばかられる。

 で、「なんや、ようわからんなぁ。俺、最近、洋楽しか聴いてへんから、わからんわ」とだけ答えたそうである。で、その次の週ラジオから「新しい、いや新しすぎたからか、なかなか理解できないイントロ」が流れてきた。それがギザギザ。感想は、

これはオシャレなのか、コミックソングなのか――わからない。
そんな理解不能さは、歌に入って、さらに極まる。日本語だ。それも、歌詞がツッパリソングなのだ。「♪仲間がバイクで死んだのさ」とくるから、横浜銀蝿(よこはまぎんばえ)とか、のちの虎舞竜にも通じる。

 パーソナルヒストリー部分はここで終わっている。当時を指折り数えてみると、おれは小学一年生だったので、このデビューの頃ってリアルタイムでは全然知らないのだが、なんか流行り歌的にほかの子が歌ってるのを耳にしていたように思う(多分84年になってからだろうけど)。コミックソング? という第一印象はよくわかる。『7×10』ってソフトで当時のPVを90年代になってから見たけど、やっぱりコミックソングなんじゃない? って印象の出来だったし。最後に「日本のみなさん、こんちわー、チェッカーズ」みたいな声入ってた記憶ある。だからFinalの一曲目でこれが歌われたのは割とびっくりした(解散後のライブ音源CDでもびっくりしたし、のちに動画見てもびっくりした。Final Lapの途中でボーカル三人出て来たところで。こんなにカッケー格好してギザギザハートから始めるの? って*1)。

 それよりも、「へえ、そうだったんだ!」って思ったのは、「真ん中で頬笑んでいる少年が、同性・(ほぼ)同年代の目からしても、妙な気分になるくらいに、やたらと可愛い」ってところ。これは年齢近くないとわかんない感覚なんだろうなあ。初めて見たときにはすでに立派な大人っていうふうにしか見えなかったからか、昔の動画、例えばGoツアーとかを最近見て、セクシーっていうのは理解できるようになったんだけど、可愛いだけはどうしても感じられないんだよねえ。

 で、スージーさん、このチェッカーズの出会いエピソードで「1983年の段階で、そこから10年以上前のハードロックをありがたがっているような、コンサバティブな少年には、この新しい文化を理解するのに、もう少し時間が必要だった」って書いてるんだけど、これってチェッカーズが新しかったってことを印象づけるための文飾だよね、たぶん。少なくともラジオでギザギザハート聴いた段階で、「うお、これ、いい!」ってなってたはず。じゃないと、涙のリクエスト(この曲の「無国籍オールディーズ」というコンセプトこそがチェッカーズに火をつけた起爆剤だったというのが著者の考え)の、

私は当時この曲を聴いて、少々がっかりしたことを憶えている。《ギザギザハートの子守唄》に詰め込まれていた、それこそギザギザした違和感のようなものが薄いのだ。

 なんて感想が出てくるわけないもん。彼らが「日本全国の小中高の女の子の胸をかきむしらせる感じ」を打ち出すまえにすでに期待値あがっていたからがっかりするわけで。(ちなみに、涙のリクエストも流行り歌的に誰かが歌っているのを聞いていた気がする。サビだけ。)
 でもって、思わずニヤニヤしてしまうのが、その次の哀しくてジェラシーの感想だ。

この曲は、歌謡曲っぽさが過ぎると言おうか、《涙のリクエスト》にあるキュートさに欠けるとも言える。「♪男と女はすれ違い」のような、湿った歌詞世界は当時のチェッカーズに似つかわしいとは、言いにくい。

 いや、このあと、「怒濤の4分音符連打は、一度聴いたら忘れることができない」って褒めてるんだけど、がっかりしたって言った涙を引き合いに「前曲にあったキュートさが欠けている」って涙のリクエストも好きだったんじゃないの? と茶々を入れたくなる感じですよね(笑)湿った歌詞世界って言うけど、メロディーのせいなのか、湿ってると思ったことはないなあ。(これもリアルタイムは流行り歌的に以下略でサビだけ知ってた)
この曲はこのライブバージョンが好き。
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たしかこのソフトに入っていたと思う。


 四曲目の星屑のステージでもこのパターンが繰り返されるの、すげえ好き。同曲は「周到に仕組まれた曲作りによって、チェッカーズの新しい側面の提示に成功し、60万枚の売上枚数を叩き出したという曲なのである」と持ちあげてからの~

 ただし、1点だけケチをつければ、その分、商売っぽさが前面に出ているということだ。

 その結果、TBSのテレビドラマ「うちの子にかぎって…」の主題歌タイアップも決まるのだが、商売っぽさの代償として、《ギザギザハートの子守唄》《涙のリクエスト》《哀しくてジェラシー》という初期3部作にあった、福岡久留米のヤンキーによる八方破れのパワーのようなものが失われている感じがするのだ。

 ヤンキーじゃなくて不良……はいいとして、絶対、星屑のステージも好きですよね、スージーさん。
 なんか著者に茶々入れるばかりのエントリーになってしまったのだが、東京ドーム公演段階でもファンの性別構成比9:1で女子多数とかだったチェッカーズの初期に転んだ男性ファンなんて隠れキリシタンみたいな気分だったんじゃないかと思うんだよねえ。その癖が残ってる感じして、非常になんつーか、共感できるんだ、この語り口。先輩! って感じで。うーん、楽しい。

*1:7×10じゃフミヤだってデビュー当時の思い出として「参ったなあ、これ歌うのかなあ」って思ったって言ってたんだよ

スージー鈴木『チェッカーズの音楽とその時代』読書メモ1 タイトルのメッセージを妄想してみた

 『チェッカーズの音楽とその時代』(amazon)を読んだ。2019年に出る、チェッカーズのシングル総まくり解説本。アマゾンでもうすぐ出ますみたいの見たときは、なぜに? なぜに? うれしーーー。ってなった。で、最近近所に気に入ってる本屋もあるので、アマゾンではポチらずに取り寄せをお願いし、ただただ待っていたのだが、昨日ようやく入荷のお知らせをもらったので、喜び勇んで入手してざざざざっと読んでみた。読書感想はいずれまとめるつもりだけども、この記事
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でも書いたように、最初のブームに間に合わなかった後発組だったのもあって、「あの曲はここがいい」の「この曲はどーのこーの」とチェッカーズできゃっきゃうふふできた記憶がほとんどない身としては、人様の感想を見るたびに、なんかコメントとか入れて遅ればせのきゃっきゃうふふをしたいという欲求もありつつ、文字で知らない人とそれやって火傷せずに終わるとも思えないって経験則もあったりするもんだから、この全シングル解説に書いてあることに「えー」とか「わかるー」とかくちばし挟んで今更の追体験をやってみたくなってしまったのだった。そんなわけで読書メモ1です。2以降もあるんじゃないかと。ってことでまずはギザギザハートの子守唄……ではなくて、「はじめに」から。
 書いてあるのは本書執筆に至る流れと中身について。発売日はチェッカーズが初めて『ザ・ベストテン』で1位を獲得した3月29日に合わせた。BS12トゥエルビの音楽番組『ザ・カセットテープ・ミュージック』でチェッカーズ特集をやってマサハルとユウジ(敬称略以下同じ)について語ったあと、音楽サイト『リマインダー』主催のイベントでマサハルと対談、それを聞きに来ていたのが本書の編集者で原稿執筆依頼になったのだとか。でタイトルの由来。

 本タイトルを分解する。タイトルの前半=「チェッカーズの音楽」は、これまで、意外なほどに語られなかった彼らの音楽そのものと、しっかり向き合いたいという意志を示している。今一度シングル曲を丹念に聴きこみ、その魅力の幅・高さ・奥行きを正確に測定するという、けれん味のないアプローチを心がけた。

 タイトルの後半「その時代」は、あの80年代を、でいるだけリアルに描き出したいという目論見を表す。具体的には、私のパーソナルヒストリーの中にチェッカーズを位置づけるという、少々差し出がましい手法を用いた。

 で、本書全体を見たうえで考えるに「はじめに」最大の山場フレーズが来る。

さて。先に白状すれば、私は当時、チェッカーズの強烈なファンではなかった。チェッカーズよりも、ビートルズレッド・ツェッペリンはっぴいえんどなどの方を好んで聴いている若者だった。

 でも、そうでなければ見えて来なかったものもあると思っている。ユウジのベースの向こう側にポール・マッカートニーを、マサハルのメロディの向こう側に、ロイ・オービソンを、そしてフミヤのボーカルの向こう側に沢田研二を見据えることが出来たのは、リスナーとして色んな回り道をして来たからという自負もある。

 なんでここが山場なのかと言いますと、すっげえ面白いことに、チェッカーズに熱狂した思い出ってのは全然書かれていないのね、各曲に対してリアルタイムで感じた不満と聴き直してみて気づいた美点みたいな構成で書かれたところばっかりと言ってもいいくらいなんだけど、リアルタイムでの感想のほとんどが「期待してたのと違った」にまとめられるわけ。なかには文字面読んで、この人チェッカーズ好きじゃないんじゃない? とか、仕事で分析しただけなんじゃない? とか、あとになってやっといいところがわかったんだね、とか、思いそうなんだけど、おれとしては、これがさあ、すっげえわかるんだわ(笑)まさにまさに、そういう感想になるバンドですよね、チェッカーズってってなもんで。自分もシングル集め出したときに、割と頻繁に今言語化するなら「物足りない」って印象を持ったものだった(というか、一発目から「これはいい!」って思ったの、ミセスマーメイドとブルムーンストーンくらいじゃないかなあ、後期だと)。でもぼやきつつ聴き続けちゃうところが楽曲のぱっと見じゃ分からない魅力というか、魔力というか、実力というか。

そっから考えるにスージーさん、リアルタイムでもかなりチェッカーズ好きだったんじゃないかと思うのね。ほぼすべての曲にリアルタイムでの印象が書かれているし、生まれて初めて買ったシングルCDがJim&Janeの伝説だって書いてあるし、さよならをもう一度を聴いて「これはチェッカーズ、長くないぞ」と思ったとも書いてあるし。なのに、どこにもハマったとか、持ってかれたとか書いてないのはなぜかと考えるに、より魅力を感じたほかのアーティストがいたというのはもちろんほんとにあったんだろうけど、歌番組全盛だったこともあって、作品買わなくてもいつも視界の端にチェッカーズがいたからなんだろうというのが、作者より10歳下のおれの予想。あともう一個の予想として、やっぱりあれですよ、スーパーアイドルグループで出たグループなんで、強烈なファンだったと自覚するのが照れくさいってのもあるかも。その辺、リアルタイムじゃなかったおれにはよくわからない文脈があるのかもとも思った。いやだって、そもそも、強烈なファンだった時期もなく、こんな本出します? 楽曲分析なら出すかもしれないけどさ、そこにパーソナルヒストリー絡めて語るんだよ? というわけで、このタイトルの命名は、著者の「あんま大きい声じゃ言いたくないからその辺汲んでね」ってメッセージも籠もってる気がするのだった。

予定では次回は曲の解説読みながらきゃっきゃうふふ(独り相撲)するつもりです。
追記:先に感想書いた。
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事実と異なるなら、えらい目に遭わされそうじゃない?

ただの雑感ですよ。
こんなことが話題になってますね。
www.asahi.com

 本州と九州を新たに結ぶ「下関北九州道路」(下北道路)の事業化調査をめぐり、国土交通副大臣塚田一郎氏は、安倍晋三首相と麻生太郎副総理の地元事業と紹介した上で、「国直轄の調査に引き上げた。私が忖度(そんたく)した」と語った。北九州市で1日にあった福岡県知事選の自民党推薦候補の集会で語った。塚田氏は2日、発言を撤回し、謝罪した。

 塚田氏は自民参院議員(新潟選挙区)で麻生派。所管官庁の副大臣が政権中枢に配慮し、その地元へ利益誘導をしたと認める発言で、国会などで批判が出そうだ。
(中略)
塚田一郎・国土交通副大臣自民党参院議員)が2日、福岡県政記者クラブに文書で送ったコメントの要旨は次の通り。

 1日に行われた自民推薦候補の応援演説で、「総理とか副総理が言えないので、私が忖度(そんたく)した」「これは総理と副総理の地元の事業だよと言われた」「私は物わかりがいい。すぐ忖度する。分かりましたと応じた」と発言しましたが、一連の発言は事実と異なるため撤回し、謝罪申し上げます。

国交副大臣、「安倍首相と麻生氏を忖度」発言を謝罪:朝日新聞デジタル

 あきれてものが言えないような発言ですが、文脈切り取りなんて思っちゃう人がいるかもしれませんので、がっちり写していたNHKの記事から該当部分を引用してみましょう。

「11年前に凍結された。
コンクリートから人という、とんでもない内閣があった。
安倍総理大臣は悪夢のようだと言ったが、まさにそのとおりだ。
公共事業はやらないという民主党政権ができて、こういう事業は全部凍結してしまった」

「皆さんよく考えてください。
下関は誰の地盤か。安倍晋三総理大臣だ。
安倍晋三総理大臣から麻生副総理の地元への、道路の事業が止まっているわけだ。
吉田参議院幹事長と大家敏志参議院議員副大臣室に来て、『何とかしてもらいたい』と言われた。
動かしてくれということだ。
吉田氏が私の顔を見て、『塚田、分かっているな。これは安倍総理大臣の地元と、麻生副総理の地元の事業なんだ。俺が、何で来たと思うか』と言った。
私はすごくものわかりがいい。
すぐそんたくする」

「総理大臣とか副総理がそんなことは言えない。
森友学園などでいろいろ言われているが、そんなことは実際ない。
でも私はそんたくする。
それで、この事業を再スタートするためには、いったん国で調査を引き取らせてもらうことになり、今回の予算で国直轄の調査計画に引き上げた」

塚田国交副大臣「そんたく」発言の詳細 | NHKニュース

 はい。で、これについて「一連の発言は事実と異なるため撤回し、謝罪申し上げます」とコメントしたそうで、応援演説で大嘘ぶっこきましたってのも有権者をなんだと思ってるのって話になるわけですが、個人的には、「事実と異なる」ってのが嘘なんだろうと思われてなりません(計画の凍結は福田政権下だったので、その点については事実と異なるとはいえ)。根拠はこの記事。

headlines.yahoo.co.jp

安倍晋三首相は衆院内閣委で、塚田国交副大臣の発言について「発言は問題だが、本人がしっかり説明し、このことを肝に銘じて職責を果たしてもらいたい」と述べ、罷免を否定した。

首相、塚田氏の罷免を否定(共同通信) - Yahoo!ニュース

 現内閣は辞任ドミノを恐れているのか、国民をとことん馬鹿にしてるのかはわかりませんが、基本罷免を避けるという戦略を取っているので、これだけじゃ問題が起きたときに内閣が何も動かないいつもの無能ぶりを示しているだけで、コメントが事実と異なることの根拠にはならないとか鋭いことを考えちゃう人もいそうですが、石破派の扱いを思い出してほしいわけです。自分の不利益になるような動きがあったときの、総理の決断力と行動力とその徹底ぶりは日頃の滑舌の悪さ、頭の悪さが嘘のようなスピード感を持ちます。それが今回、総理・副総理ともどもありもしない意向を吹聴されてそれが報じられてしまったわけで、普段の総理であれば、こりゃもう自民党にいられないレベルの嫌がらせに走るのは確実ですよ。どころか、適当な嫌疑リークして牢屋から出さないくらいのことはやりかねない。ところが、上のように、「泥はてめえでかぶれよ。今回助けてやったことは絶対忘れるんじゃねえぞ。今後も汚い仕事は任せたからな」と読めなくもないコメントひとつで罷免を拒否しているわけです。今までの総理のあれこれを考えれば、「事実と異なる」って説明のほうが事実と異なってると思わなきゃ、記憶力に問題ありでしょう。総理自身は記憶力その他に問題があるのでこれで幕引きできると信じていらっしゃるのでしょうが。

追記:幕引きできなかったので蜥蜴の尻尾切りが発動しました。
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塚田一郎国土交通副大臣(55)=参院新潟選挙区=は5日、道路整備を巡り「安倍晋三首相や麻生太郎副総理(兼財務相)が言えないので、私が忖度した」と発言した問題の責任を取って辞表を提出した。国交省で記者団に明らかにした。事実上の更迭で、統一地方選衆院大阪12区、沖縄3区補欠選挙への影響を抑えるための判断とみられる。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190405-00000044-kyodonews-pol

 罷免する気はないと言って一日で前言撤回できないから辞表出させた(「議員辞職まではしなくていいから、しばらく大人しくしておれ」みたいに因果を含めたんでしょうね)のを、「事実上の更迭」って一周まわって総理の英断っぽい単語で伝える共同通信なんなの? って感じはしますが、自分に不利益がありそうな奴を切るのが早い総理の行動基準は一貫しています。上で書いたように、ほんとに事実と異なる発言だったなら、発覚時点で罷免していたはずなので、こりゃやっぱり事実と異なるが事実と異なってるんだろうなと改めて。
 なお、塚田氏の言い訳のなかには「嘘という認識はないが、事実と異なる発言だった」という意味不明なものも出ていました。
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 まあ、資質考えれば辞めて当然なわけですが、更迭までに時間の空いたことからわかるのは総理がこの話を知った時点では「そんなの大したことじゃないし、誰も気にしやしないよ、うっせーな」と思っていたということです。一時期しきりに「膿を出し切る」とイキッていた総理ですが、自分自身が患部であることがわからないどころか、たぶん何が膿なのかすらわかっていません。