俥の字

『明治の話題』(amazon)の「人力車」という項目を眺めていたら、こんな記述にぶつかった。

人扁に車と書いて人力車の意味になる字は、紅葉山人の発明と称せられるが、本人が後藤宙外(ちゅうがい)に話したところでは、上海発行の「滬報(こほう)」にこの字を使ってあるのを見て、それを輸入したまでださうである。

 へえ。その字、国字だとか言ってなかったっけと、ちょっと驚いたのでついでにウィキペディアの「人力車」の項目も覗いてみた。
ja.wikipedia.org

人力車に関する車の文字はすべて俥とも表記した。俥の字は本来は中国象棋の駒の名称に使われるだけの漢字であったが、明治以降の日本において中国にそのような漢字があることに気付かずに、人力車を表すために作られた国字の一種である(中国にもともとあった漢字の字体に暗合したものであるので、正確には国字ではない。)。そのため「俥」(くるま)一文字だけで人力車を表している。

 ちゃんと国字ではないって書いてあった。


明治の話題 (ちくま学芸文庫)

戯れ歌 たわけ宰相

思いつくままに。

法の支配 反対語は?と尋ねられ返答できぬたわけ宰相
舌もつれ私が国歌ですなどと本音おもらしたわけ宰相
片棒を担いだ籠はサギにして今日も元気だたわけ宰相
今年の一文字何か尋ねられ「責任」ドヤ顔たわけ宰相
年の瀬にウルトラ駄本を宣伝も在庫だぶつくたわけ宰相
知りもせぬエンゲル係数振り回し周囲慌てるたわけ宰相
わたくしは立法府の長でござい森羅万象たわけ宰相
報告書忙しくて読んでないゴルフはできるぞたわけ宰相
何しても忘れてくれる民草を愛してやまぬたわけ宰相

追加2019/03/11

破綻した嘘嘯いて得意顔3.11の日たわけ宰相

灌仏、誕生日、数え年

前エントリに引き続き『古句を観る』(amazon青空文庫)から。

 こんな句が収録されていた。

灌仏(かんぶつ)の日に生れけり唯の人    巴常(p.183)

で、こんなコメントがついていた。

 天上天下唯我独尊といって生れた釈迦(しゃか)と同じ日に、ただの平凡な人間が生れる。仏縁あって同じ日に生れる、という風にこの作者は見ていない。釈迦と同じ日に当前(あたりまえ)の凡夫も生れる、という世間の事実を捉えたものであろう。
 芭蕉にも奈良で詠んだ「灌仏の日に生れあふ鹿の子かな」という句がある。場所は仏に因縁の多い奈良であり、日も多いのに灌仏の日に生れるということが、芭蕉の興味を刺激したものと思われる。畜生の身ながら、かかるめでたき日に生れ合うことよ、というほど強い意味ではない。奈良で鹿が子を産むのを見た、それがあたかも灌仏の日であった、という即事を詠んだのである。この方は現に眼前に生れたところを捉えたのだから、軽い事実として扱うことも出来るが、今生れたばかりの子供を「唯の人」と断定するには多少の無理がある。釈迦に比べればどう転んでも「唯の人」に過ぎぬ、というような意味とすれば、益々理窟臭くなって来る。鹿の子ならそのままで通用する事柄も、「唯の人」という言葉を用いたために、いささか面倒なのである。
 芥川龍之介氏の『少年』という小説の中に、バスの中の少女の事が書いてあった。フランス人の宣教師が今日は何日かと問うと、十二月二十五日と答える。十二月二十五日は何の日か、と重ねて問われたのに対し、少女は落著き払って「きょうはあたしの誕生日」と答えるのである。この答を聞いて微笑を禁じ得なかったという作者の気持には、例の皮肉が漂っているようであるが、「クリスマスの日に生れ合う少女」も、面白い事実でないことはない。但こういう事実は散文の中においてはじめて光彩を放つべき性質のもので、俳句のような詩に盛るには不適当である。芭蕉の句が比較的離れ得たのは、眼前の即事を捉えたせいもあるが、ものが「鹿の子」で、「唯の人」というが如き理智を絶しているために外ならぬ。(pp.183-184)

 へえ、そうなるんだあと思ったのが、「この方は現に眼前に生れたところを捉えたのだから、軽い事実として扱うことも出来るが、今生れたばかりの子供を『唯の人』と断定するには多少の無理がある」。古典文法真面目にやってなかったんで、なんでそう思うのか説明できないんだけど、この句を読んだときにおれが思ったのは「唯の人=作者」だったんだよね。自嘲の歌に見えた。なんで「眼前に生まれたところを捉えた」と言いきれるんだろう。と、ここまで書いたときに、あれ、でもこの句が書かれたときって誕生日ってどういう扱いなんだっけ? という疑問が湧き、そういや数え年なんてものを使っていたような気がすると思い、例によってウィキペディアに飛んだ。

ja.wikipedia.org

数え年(かぞえどし)とは、年齢や年数の数え方の一つで、生まれてから関わった暦年の個数で年齢を表す方法である。即ち、生まれた年を「1歳」「1年」とする数え方である。

以降、暦年が変わる(元日(1月1日)を迎える)ごとにそれぞれ1歳、1年ずつ“年をとる”(例:12月31日に出生した場合、出生時に1歳で翌日には2歳となる。また1月1日に出生した場合は、2歳になるのは翌年の1月1日になる)。数え歳や数えともいい、年齢以外の項目では足掛け(あしかけ)ともいう。年齢の序数表示(たとえば、満年齢の0歳をあらわす英語の “first year of life” など)とは異なる。

これに対し、誕生日前日24時を過ぎた時点で加齢・加年する数え方を「満年齢」「満」といい、生まれた年を「0歳」「0年」として暦年が変わるごとに加齢加年する数え方を「周年」という。

 そうすると、誕生日は意識されていなかったのか?(いやでも釈迦の誕生日が伝わってるなら誕生日って概念はありそうだよなあ)
 と、よくわからなくなったので素直に検索をかけてみた。
 出てきたのがこの記事。
shinbun20.com

現在では、個人の誕生日をお祝いすることは一般的になっていますが、もともと日本には誕生日をお祝いする習慣がありませんでした。

 なるほど、と納得したのも束の間、

個人の誕生日を祝うようになるずっと前から、日本には、ある伝統的な誕生日の風習があります。
それが、七五三です。七五三が行われるようになったのは、室町時代頃といわれています。
当時は、現在ほど医学が発達しておらず、栄養も乏しかったため、乳幼児のうちに亡くなってしまう子どもは少なくありませんでした。
そこで、七五三の歳まで無事に育ったことへの感謝を込めて、また、幼い子どもから少年・少女へと成長するひとつの節目を祝う意味を込めて、神様に祈りを捧げるようになったことが、七五三のはじまりです。

 はい? 待って。祝うの祝わなかったのどっち?
 ということでもっかいウィキペディア行って七五三を眺めることにした(子どもいないから興味持ったことないし、自分がやったのは遙か昔だから覚えてないんだよね)
ja.wikipedia.org

旧暦の15日はかつては二十八宿鬼宿日(鬼が出歩かない日)に当たり、何事をするにも吉であるとされた。また、旧暦の11月は収穫を終えてその実りを神に感謝する月であり、その月の満月の日である15日に、氏神への収穫の感謝を兼ねて子供の成長を感謝し、加護を祈るようになった。

江戸時代に始まった神事であり、旧暦の数え年で行うのが正式となる[1]。

神事としては、感謝をささげ祝うことが重要であるとの考え方から、現代では、数え年でなく満年齢で行う場合も多い。出雲大社に神が集まるとされる、神在月(他の地方では「神無月」)に、7+5+3=15で15日となり11月15日となったと言う説もある[要出典]が、実際には曖昧(そもそも神在月・神無月は旧暦10月のこと)。

明治改暦以降は新暦の11月15日に行われるようになった。現在では11月15日にこだわらずに、11月中のいずれかの土・日・祝日に行なうことも多くなっている。

北海道等、寒冷地では11月15日前後の時期は寒くなっていることから、1か月早めて10月15日に行う場合が多い。

 これを見る限り、誕生日とはあんまり関係がないようだ。ところで、さっきの数え年の項目見てて割と素で驚いたのが、

日本でも古くから数え年が使われていたが明治6年2月5日の「太政官布告第36号(年齡計算方ヲ定ム)」を受け、満年齢を使用することとなった。

ただし明治6年太政官布告第36号では年齢計算に関しては満年齢を使用することとしながらも、旧暦における年齢計算に関しては数え年を使用するとしていた。

1902年12月22日施行の「年齢計算ニ関スル法律明治35年12月2日 法律第50号)」で、明治6年太政官布告第36号が廃止され、満年齢に一本化されることとなった。

しかし一般には数え年が使われ続けたことから、1950年1月1日施行の「年齢のとなえ方に関する法律(昭和24年5月24日 法律第96号)」により

国民は、年齢を数え年によつて言い表わす従来のならわしを改めて、年齢計算に関する法律明治35年法律第50号)の規定により算定した年数(一年に達しないときは、月数)によってこれを言い表わすのを常とするように心がけなければならない。

と国民には満年齢によって年齢を表すことを改めて推奨し

国又は地方公共団体の機関が年齢を言い表わす場合においては、当該機関は、前項に規定する年数又は月数によつてこれを言い表わさなければならない。但し、特にやむを得ない事由により数え年によつて年齢を言い表わす場合においては、特にその旨を明示しなければならない。

と国・地方公共団体の機関に対しては満年齢の使用を義務付け、数え年を用いる場合は明示することを義務付けた。

数え年 - Wikipedia

お誕生日新聞にはもっとコンパクトにこう出ている。

日本で個人の誕生日が祝われるようになったのは、昭和24年に「年齢のとなえ方に関する法律」が制定されて以降に、満年齢での数え方が普及しはじめてからだと言われています。

誕生日を祝うようになったのはいつから?由来や風習を知ろう | お誕生日新聞オンラインショップ

 そんな新しかったとは知らなんだ。少年探偵団とかで誕生日祝いやってる場面あったら地味に最新風俗を取り入れてたってことなんだね。
 なんの話だったっけ。あ、そうそう。これだ。

灌仏(かんぶつ)の日に生れけり唯の人    巴常

 生まれたばかりの子どもの話してるんじゃなくて自分が釈迦と同じ日に生まれたって言ってるんじゃなかろうかって思ったって話だった。調べだしたときには誕生日を意識してないならこれを自分のことと取るのは苦しいかと思っていて、あれこれ見た結果、この句をひねった人の生きていた時代に誕生日を祝うことはまずなかろうということも納得がいったし、それを前提に宵曲も目の前で子どもが生まれた可能性しか考えてないのではないかと思うわけなんだが、最初の思い込みの強さのゆえか、やっぱりおれはこれ自分のことを言ってるように読んでしまう。いやだって、毎年盛大にお祝いされてたわけでしょ、灌仏会って。だったら絶対「おまえが生まれたのはこの日だよ」って話を聞かされて育つはずじゃない。となると、年を取るのが元旦だったとしても、生まれた日は意識してることになるでしょ。「けり」が伝聞過去なら「って、母ちゃんが言っていた(自分は記憶ない)」で成り立つ気がする(が、さっきも言ったように古典文法得意じゃないので「けり」の詠嘆の用法のほうにこの読みを否定する何かがあるのかもしれない)。
 ってことでまた辞書を引いてみる。
kobun.weblio.jp

(1)詠嘆の「けり」それまで気付かずにいたことに初めて気付いた気持ちを表す用法。その驚きが強いとき、詠嘆の意が生ずる。断定の助動詞「なり」と重ねて、和歌に好んで用いられた。

 あー、「それまで気付かずにいたことに初めて気付いた気持ち」って言うなら、自分の話なわけねえかあ。(そうなの? 気づかずにいたこと限定なの? って疑いの気持ちもやや残っているけど、根拠がないので呑み込むことにする。考えてみれば引用している芥川の作品は大正年間のもので、数え年の時代だった。で、これを引いている以上、有名人とたまたま同じ誕生日であることを当人が意識しているという可能性が解釈の網からこぼれるはずはない。そのうえで、唯の人=作者を検討すらしないんだから、なんか根拠があるに違いないとも思えてきたし。)ここまで来てようやく宵曲さんと同じ感想になる。

今生れたばかりの子供を「唯の人」と断定するには多少の無理がある。

 だろ。なんでこんな単語選択したのさ。


古句を観る (岩波文庫)

無料のキンドル版はこちら。

 読み終わったので感想書いた。
gkmond.blogspot.com

障子に開いた指の穴と未使用の靴

前エントリに引き続き『古句を観る』(amazon青空文庫)から。

 こんな句が収録されていた。

涼風や障子にのこる指の穴    鶴声(p.156)

 障子に穴が空いていて風が入ってくるのね、程度のイメージだったが、こんなコメントがついていて、一気にイメージが変わるところがまず面白かった。

「おさなき人の早世に申遣(もうしつかわ)す」という前書がついている。

 イメージ変わらなかった?
 で、宵曲もこの句に関連して連想が色々働いたのか、コメントがこのあとも妙に長い。まず小泉八雲に言及。

この句について思い出すのは、小泉八雲が「小さな詩」の中に訳した「ミニシミルカゼヤシヤウジニユビノアト」という句である。この句の作者は誰か、八雲の俳句英訳に関する最も重要な助手であった大谷繞石(おおたにじょうせき)氏が、この句の下に(?)をつけているのを見ると(全集第六巻)あるいは出所不明なのかも知れない。

続いてケーベル博士(ウィキペディア)に言及。

ケーベル博士が日本の詩歌について語った中に
おお、「障子」の孔(あな)を通って来る風の寒いこと、私は硬くなる――これもお前の小さい指の仕業しわざだ!
とあるのは、何に拠ったものかわからぬが、やはりこの句を指したものであろう。

 いったい何語になったのを重訳して戻したんだろう(ロシアの人っぽいからロシア語なのか、それともフランス語とかドイツ語とかなのか)。なかなかダイナミックになっている。「この句」ってのは八雲の「ミニシミルカゼヤシヤウジニユビノアト」のことね。

 で、「身にしみる」というのは秋の季語(なんだってさ)なんだけど、八雲の説明(障子の「軟かい紙へ指を突込んで破るのを子供は面白がる。すれば風がその穴から吹き込む。この場合、風は実に寒く――その母の心の底へ――吹き込むのである。死んだその子の指が造った小さな穴から吹き込むからである」)が喚起するのは冬のイメージでずれる。やはり秋の句と解釈すべきだろうし、状況説明なしにそのような解釈をするのがほとんど無理ではないかと八雲の句の話をまとめ、その句と比較して鶴声の句はちゃんと前書がついているので、作者が自分の亡児を思い出しているのでなく、他人が子を失ったのに同情しているのだということがわかると述べる。また、

 第二にこの場合の障子は夏の障子で、しめ切って中に籠っている場合ではない。涼風はその穴から吹入るものと解せられぬこともないが、夏のことだから明放してあったとしてもいい。即ちこの「指の穴」は眼に訴えるので、その穴から吹込む風が身に入む、というほど深刻ではないのである。第三に「のこる」という一語が前書と相俟(あいま)って、世に亡い子供の残した形見であることをよく現している。子供は世の中に残す痕跡の少いものだけに、僅なものが親の心を捉えずには置かぬのである。一茶が亡児を詠じた「秋風やむしり残りの赤い花」でも、子供がむしり残した花というところに、綿々たる親の情が籠っている。この句の生命は繋って「のこる」にあるといっても、過言ではあるまいと思う。第四に――もう一つ附加えれば、「指のあと」という言葉は「指の穴」の適切なるに如(しか)ぬであろう。畢竟(ひっきょう)「のこる」という言葉を欠いたから「あと」といってその意を現そうとしたものであろうが、その点は不十分な嫌がある。
 障子の穴から吹込む風が身に入みることによって、今更の如くかつてその穴をあけた亡児を思い出すというのは、一見悲痛な感情を描いたようで、真に凄涼なものを欠いているのを如何(いかん)ともすることが出来ない。鶴声が他人の上を思い遣るに当って、障子の穴を点出したのは、この意味において遥に自然である。俳句が強い人情を詠ずるに適せぬことは、先覚の夙(つと)に説いている通りだから、繰返す必要もあるまいと思う。

 とも言っている。おれの感覚で行くと、こんな俳句送りつけられたら「涼風やじゃねえよ!」と逆上しそうな気もするのだけど、まあそれはそれとして、場面切り取ったってことについてはとても上手だなあと思った。で、この句を読んで連想したのがヘミングウェイが書いたとされる超有名な六単語の短編For sale: baby shoes, never worn. どんな状況で書かれたのかって部分は諸説あり、それどころか今ウィキペディアの項目を見たら、そもそもこれヘミングウェイがほんとに書いたのか? っていう、ヴォルテールのあれとかドストエフスキーが外套に述べたコメントみたいな話の匂いがプンプンしてきたわけだけども、誰がいつどう書いたかはともかく、この六単語はとても有名なのは確かで、それは字面の向こう側を想像して悲しさが湧いてくるからという理由なんだろう。
 この六単語と比べると、鶴声の句はまったく聞いたことがなかったわけなんだけど、何気に負けてないと思うんだよね。おまけに叙述トリック的なひねりのショックもあるし。せめて国内くらいは同じくらい知られてもいいんじゃないかとか思ったのだった。


古句を観る (岩波文庫)

無料のキンドル版はこちら。

 読み終わったので感想書いた。
gkmond.blogspot.com

猫と蚊帳

 前エントリに引き続き『古句を観る』(amazon青空文庫)から。
 夏の項にこんな句が入っていた。

蚊屋釣ていれゝば吼(ほ)える小猫かな    宇白

 吼えると来たか。まあわかるけどと思いつつ、コメントを読んだ。やっぱり「吼える」にこだわっていた。

 水鳥がさえずるということはないといったら、いや『源氏物語』にあるといって例を挙げた話が、『花月草紙』に書いてあった。猫が吼るというのもざらにはない。例証を挙げる必要があれば、この句なども早速持出すべきものであろう。猫が不断と違ったような声を出すのを、「吼る」といったものではないかと思う。
 吉村冬彦(よしむらふゆひこ)氏がはじめて猫を飼った経験を書いた文章の中に、蚊帳のことが出て来る。この句を解する参考になりそうだから、左に引用する。

我家に来て以来一番猫の好奇心を誘発したものは恐らく蚊帳であったらしい。どういうものか蚊帳を見ると奇態に興奮するのであった。殊に内に人がいて自分が外にいる場合にそれが著しかった。背を高く聳(そび)やかし耳を伏せて恐ろしい相好(そうごう)をする。そして命掛けのような勢で飛びかかって来る。猫にとっては恐らく不可思議に柔かくて強靭な蚊帳の抵抗に全身を投げかける。蚊帳の裾(すそ)は引きずられながらに袋になって猫のからだを包んでしまうのである。これが猫には不思議でなければならない。ともかくも普通のじゃれ方とはどうもちがう。余りに真剣なので少し悽(すご)いような気のする事もあった。従順な特性は消えてしまって、野獣の本性が余りに明白に表われるのである。
蚊帳自身かあるいは蚊帳越しに見える人影が、猫には何か恐ろしいものに見えるのかも知れない。あるいは蚊帳の中の蒼(あお)ずんだ光が、森の月光に獲物を索(もと)めて歩いた遠い祖先の本能を呼び覚すのではあるまいか。もし色の違った色々の蚊帳があったら試験して見たいような気もした。

 われわれも猫を飼った経験はしばしばあるが、不幸にしてこういう観察を下す機会がなかった。猫と蚊帳についてこれだけ精細な観察を試みたものは、あるいは他に類がないかも知れない。宇白の句は僅に「吼る」の一語によって、猫の蚊帳に対する奇態な興奮を現したに過ぎぬが、とにかく観察のここに触れている点を異とすべきであろう。

pp.152-153

 で、コメントを読み終えてさっぱりわけがわからなくなった。元の句は蚊帳に放り込んだら子猫がすげえ勢いで鳴いたという話をしているんだと思うのね、それならわからないじゃない。ケージに入れたときみたいな反応だろうと思うから。ところが、コメントに引用されている吉村氏*1の文は蚊帳の外にいる猫がマジギレみたいな話なので、句を解する参考になるのか? そして、猫って蚊帳にこんな反応するのか? と理解が進むどころか謎が深まってしまったわけである。で、母親(70)に尋ねてみた。猫とは蚊帳に興奮するものであるのか? 回答は「覚えなし」であった(そのついでに蚊帳は麻製だったとか入るときには裾のところをしゃしゃしゃと振り、ついている蚊を払ったところで間髪入れずささっと入るものであるとか、そもそも蚊帳を吊しているのは網戸がなかったからだとか豆知識をいっぱい仕入れた。いかんせん蚊帳なんて入ったことはほとんどないのだ)。なお寺田のエッセイは「ねずみと猫」(青空文庫amazonキンドル版)。引用箇所は「四」冒頭なんだけど用字が違うのでグーグルでフレーズ検索してもヒットしなかった。出典はこちらのブログに教えてもらった。
onibi.cocolog-nifty.com

 で、このくだりを読んだときに思いだしたのがこのツイート。


「もし色の違ったいろいろの蚊帳(かや)があったら試験してみたいような気もした」寺田寅彦、その後試験したんだろうか。「どういうものか蚊帳を見ると奇態に興奮するのであった。殊に内に人がいて自分が外にいる場合にそれが著しかった。」と書いてあるんだから、一回ってことはないだろうし、となると理由は子猫だったからとも言いきれない。追試してたら色々面白そうなんだけどなあ。


古句を観る (岩波文庫)

無料のキンドル版はこちら。

 読み終わったので感想書いた。
gkmond.blogspot.com

*1:誰かと思ったら寺田寅彦ペンネームなんだって。

相住、同棲、ルームシェア

 前エントリに引き続き『古句を観る』(amazon青空文庫)から。

あひさしの傘(からかさ)ゆかし花の雨    淀水

 という句の説明みたいな文章で、

「あひさし」は二人でさすの意、相合傘(あいあいがさ)のことであろう。こういう言葉があるかどうか、『大言海』などにも挙げてはないが、相住(あいずみ)、相客(あいきゃく)等の用例から考えて、当然そう解釈出来る。
 花の雨の中を相合傘で来る人がある。「ゆかし」は「暖簾(のれん)の奥ものゆかし」とか、「御子良子(おこらご)の一もとゆかし」とかいうのと同じで、傘の内の人は誰だか知りたい、という意味である。艶といえば艶なようなものの、少しつき過ぎる嫌(きらい)がある。但(ただし)普通の春雨よりは、花の雨の方がいくらかいいかと思う。

p.77-78

 と書いていて、そこに出てきた相住(あいずみ)という言葉を知らなかったので「ほう」となった。考えてみれば相客って言葉も知らない。まずは相客から片付けるかと辞書を引いた。
kotobank.jp

デジタル大辞泉の解説

あい‐きゃく〔あひ‐〕【相客】

1 同じ場所で、たまたまそこに来合わせた客。
2 旅館などで、他の客と相部屋になること。また、その客どうし。

大辞林 第三版の解説
あいきゃく【相客】
① 宿屋で、同室に泊まり合わせた客。
② 人の家などを訪ねたとき、たまたまそこに居合わせた客。

精選版 日本国語大辞典の解説
あい‐きゃく あひ‥【相客】

〘名〙
① 同時に、同じ所に来合わせた客。
※虎明本狂言・飛越(室町末‐近世初)「今日すきにまいるが、あいきゃくは某次第と申てまいった」
② (宿屋などで)二人以上の客が、同室に泊まり合わせること。また、その客。
浮世草子・御前義経記(1700)二「相客(アヒキャク)なきを幸に」

 なるほど。
 で、相住。見た瞬間、「これってルームシェアの漢語だか和語だか? あのカタカナ語、漢字で書けるのか?」となんか感心した。で、早速辞書を引いたところ、精選版日本国語大辞典には

あい‐ずみ あひ‥【相住】

〘名〙 同じ家にいっしょに住むこと。また、その人。同居。あいやどり。あいずまい。
※源氏(1001‐14頃)玉鬘「あひずみにも、忍びやかに心よくものし給ふ御方なれば」

 とあり、大辞林は収録がなく、大辞泉

デジタル大辞泉の解説
あい‐ずみ〔あひ‐〕【相住み】

同居すること。また、同居人。
「―にも、忍びやかに心よくものし給ふ御方なれば」〈源・玉鬘〉

 と出ていた。で、広辞苑だと、

同居。同棲。

 とあって、例文は上記二辞書と同じだった。
 同棲が入ってくるとルームシェアとは意味がズレて来そうな気配もあるなと思い、ルームシェアも引いてみた。
kotobank.jp

知恵蔵の解説
ルームシェア
1つの住宅に他人同士が同居する住まい方。欧米では、ルームメイト募集に見られるように一般的である。日本では、住宅の各部屋に鍵や個別のシャワーがないため、これまで普及しなかった。しかし、ミングル居住のような特別の住宅が登場し、また近年は、インターネットの発達で募集が容易になり増加。一方、1人暮らしの高齢者が仲間と暮らす形態も注目されている。これは、老後の安心感を高め、住居費を安くするだけでなく、1人暮らしの孤独死という悲惨なケースの防止にもつながる。
(小林秀樹 千葉大学教授 / 2007年)

デジタル大辞泉の解説
ルーム‐シェア(room share)

家族や恋人ではない人と、同じ住居の中で生活をすること。個室を専有し、台所・食堂・浴室・便所などは共用とするのが一般的。マンション・アパートの場合はフラットシェア、一戸建てはハウスシェアともいう。

大辞林 第三版の解説
ルームシェア【room share】
他人同士が、共同で一つの部屋を借り、分け合って住むこと。フラット-シェア。

 やはり国語辞書はどちらも「他人」という関係性に着目している。大辞泉のほうは動詞っぽく、大辞林は名詞っぽく説明してるの、ちょっと面白い。あと大辞林のほうが語釈は短いけど「共同で一つの部屋を借り」ってところに目配りを感じる。

 この定義からするとルームシェアしててそっから交際ってなるとルームシェアを解消して同棲するようになりました(引っ越しはしていません)みたいな言い方も可能っぽいな。

 そんなわけで相住みて「これってルームシェアのことじゃね?」って思ったおれの直感はいささか外れていたようだ。

 ところで、同棲も検索してみた
kotobank.jp

前提が「男女」で語釈書かれているのは、これから段々変わっていきそうだと思ったのだった。そして、『とっさの日本語便利帳の解説』の解説にも「へえ」となった。

同棲
日本では男女が一緒に住むこと。中国では「同居」。「同棲」は人以外の動物の場合。

 これ、日本語で使われだしたときにも絶対悪意で選ばれてる単語だったでしょ感が凄い。


古句を観る (岩波文庫)

 読み終わったので感想書いた。
gkmond.blogspot.com

○○の一

柴田宵曲の『古句を観る』(amazon青空文庫)を開いたら、冒頭でこんな文字列に眼がとまった。

各方面における看過されたる者、忘れられたる者の中から、真に価値あるものを発見することは、多くの人々によって常に企てられなければならぬ仕事の一であろうと思われる。

(p.3)

 眼がとまったのには理由がある。この「○○の一」は以前広辞苑によく出てきた言い方だったのだが、柳瀬尚紀が『広辞苑を読む』(amazon)「読み方がわからない」と延々絡んでいて強く印象に残っていたのと、その結果(かどうか、ほんとのところはわからないけれど現象として)『広辞苑』から「○○の一」表記が激減*1したためだ。

記憶では「そんな日本語はねえ」くらいの勢いでこきおろしていた気がしていたが、今『広辞苑を読む』を確認したらそこまでの勢いはなかった。ただ「の一」を「『ノイチ』と読むしかなさそうだ」なんて嫌みを飛ばし、

要するに、以上のように見てきて分ったこと「の一」は、国語辞典の「の一ピおよび「の一」方式はやめたほうがいいということである。 p.37

 と提言して、それでも収まりがつかなかったのか、

 本章で「の一」にこだわったのは、筆者自身が「一」の読みが分らないからである。
 古事記の一注釈本によれば、「一の子孫」と書いて「一(ひとはしら)の子孫(こ)」と読む。国語辞典はそこまで教えてはくれない。
 そこまで古くなくても、たとえば幸田露伴に「其心未だ一ならず」とあり、これが「イツ」であるのは国語辞典が教えてくれる。しかし「双方の古疵を知つてゐる一の他人」となると、やはり国語辞典は「イチ」か「イツ」かを教えてくれない。

 と当てこすりを続けているのは不思議な情熱である。何がそんなに気に入らなかったのだろう。というのも、「読めない」ってのは絶対に嘘だろうと思われるからである。最初に引いた例を見れば「ひとつ」と読むに違いないし、広辞苑の例も「ノイチ」なんて語呂の悪い言い方せずに「ひとつ」と読めば済むところ。もう柳瀬尚紀も亡くなっているので、どうしてこんなにこだわったのか語られることもないのが残念。発言者を考えれば戦前の文献に当たる量が足りていなかったとも思えないし、「一」が名詞で送り仮名なしでも「ひとつ」と読めるのを知らなかったとも思えない。

これがずっと頭に残っているのは、おれ個人が以前の「の一。」表記に辞書っぽさを感じていたからかもしれない。
ってまとまりのないエントリなんだけど、そもそも書き出した動機が「あ、『の一』だ。記録しとこ」だったので仕方ない。


古句を観る (岩波文庫)

 読み終わったので感想書いた。
gkmond.blogspot.com

*1:手元のアプリ版『広辞苑第七版【岩波書店】(ONESWING) - Keisokugiken Corporation』で全文検索してみたところ「かかり」の項目に残っていたので全滅ではなかったが、柳瀬が報告しているところでは当時のCD-ROM版では9811件の「の一。」が収録されていたそうなので、じつに9810件の減少である。