遠山美都男『卑弥呼誕生』

卑弥呼誕生―『魏志』倭人伝の誤解からすべてが始まった (新書y)
遠山 美都男

4896915836
洋泉社 2001-11
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by G-Toolsisbn:4896915836
「つくられた卑弥呼感想)」同様に、邪馬台国の位置ではなく、卑弥呼という存在に対する問題提起を行った本。著者の専門は日本書紀が書かれた時代前後で、どちらかというとある史料がどのように成立したかというところに想像力を働かせた話が多い。「天皇誕生」では大胆な発想で日本書紀のドラツルギーを推理して見せた。しかし本書は著者の論に説得力を持たせるだけの長さがなかったようで、強引さばかりが目立つ。戸籍を根拠に「ひみこ」という名前が個人名でない*1と推論したのはいいとしても、最後の方で邪馬台国畿内にあったとする部分は根拠が薄すぎる。ついでにいえば、女王国という言い方も間違っていて卑弥呼(個人であれ、役職であれ)は王位についていなかった。そう書いたのは中国人の偏見だというのも説得力に欠ける。
 なんでこんな無理をしたくなっちゃったのか不思議に思いながら読んでいたんだけど、どうやら著者がやりたいのは、卑弥呼をダシにした女帝イメージの変更だったようだ。
 推古から始まる女帝の系譜には「子供が成人するまでのつなぎ」とか「傀儡」などのイメージがつきまとっている。それらの源流に巫女王としての卑弥呼イメージがあると著者は言う。これがフィルターになってその後の女帝たちの正しいイメージが掴みにくくなっている。だから卑弥呼イメージから修正しなければならない。そんな動機が透けて見えた。「つくられた卑弥呼」では男王と変わらぬ戦う女王のイメージが提出されたが、本書ではまったく逆に王権を剥奪されてしまうのは、同じようなスタート地点から出発しているのに、好対照で面白い。
 が、全体的にはやや低調だった。邪馬台国から現代までに大きな断絶を持たずに国歌が続いてきたはずだという前提を持てる人なら、あるいは面白がれるかもしれない。つまりこれは著者が批判する人びととまったく逆のことをしていて、のちの女帝たちのイメージにあうように卑弥呼のイメージを修正する試みなわけで、そこに歴史の断絶はまったく想定されていないのだ。自分にはどこからその結論が出てくるのか分からなかった。

*1:卑弥呼とは一種の機関名だと著者は主張している。