織田作之助『合駒富士』

KDPリリース。今回は織田作之助の『合駒富士』
Amazonに書いた紹介文は以下。

織田作之助が昭和十五年から十六年にかけて野田丈六名義で『夕刊大阪新聞』に連載した著者初の長編時代小説。戦後の1948年に単行本刊行、1955年に『江戸の花笠』とタイトルを変えて出版されたが、2024年5月現在新刊本ではもとより『青空文庫』でも読めない(作業中リストに掲載)幻の作品と化している。本バージョンは『底本織田作之助全集第一巻』を底本として、およそ70年ぶりに同書を復活させたファン必携の一冊である。

 青空未公開なら出せば読みたい人もいるかな、くらいの軽い気持ちで作ってみた。
 長編時代小説と書いたのだけど、読み終えると著者がやろうとしたのは長編時代探偵小説ではなかったかという気がしなくもない。衆人環視のなかで起こる殺人事件だの暗号だのってなモチーフが出てくるし、最後はいちおう謎解きで終わるからである。
 けれども、書いているのは織田作之助である。スピード感が信条の作者と不可能犯罪だの暗号解読だのの相性はベストマッチとは言いがたい*1、というよりも織田作之助に探偵小説の文法使いこなせってのが無理な注文なのかもしれず、それなのに暗号のアイデアが出ちゃったもんだから、思わずそれっぽい筋でっちあげたのか、それともこの暗号のアイデアは連載途中に思いついたもので冒頭時点では「謎の詰将棋と殺人事件」っていうコンセプトしかなかったのかが読了時には疑問になった。というのも、ある難問の詰将棋棋譜(っていうの?)を中心にして話は進むのだけど、これが図としては掲げられていないのである。本文からは王が五五にいるということくらいしかわからない。で、詰まない詰まないとやっている。もちろん、データがないので読者が先回りすることも不可能。もしも連載開始時にラストまで考えていたら、図をつけたほうが最後の驚きは倍加するとわからなかったはずがないので、ひょっとすると開始時、解決考えてなかったんじゃなかったかと思う次第である。が、考えていなかったのなら、このオチつけるのはなかなかすげえとも思ったり。
 というような方向に焦点がいってしまうのは、おれがミステリー好きだからで、自分のバイアスを割り引いて考えるんだったら、これは将棋好きたちが事件に巻き込まれる話になるだろう。すぐ横で殺人事件が起きても将棋を続けちゃう主要キャラたちは、チャンバラするより将棋してる場面のほうが多かったりする。それが本書最大の特色かもしれない。
 と書くと動きがないように思われてしまうだろうけれども、そんなことはなく、むしろ随所に複数の視点人物を同時に動かしてところどころ適度な巻き戻しも入れて映画だったら盛り上がりそうな演出が見られる。そうした工夫は初読時よりも二度三度と再読したときのほうがはっきりわかるので、これ買ってくれた人には二度読み三度読みをお勧めする。いや、マジで。ついでにいうと、改行のペースも相当速いのでページ数から想像するほど時間もかからない。自分はこれ入力したり校正したりしてるときに、織田作之助の伏線技術みたいのにちょっと感心したりした。語り口が好きでたまに読みたくなるくらいの位置づけで話の内容とか読んだ途端に忘れてあとには語り口だけが残る、みたいなイメージで、才気のままに書き飛ばす人って印象だったから、へーこんなこともするんだ、みたいな驚きがあった。この『合駒富士』単体で傑作かと問われるとなかなか返事に困る(←リリースしといてそういうのか……)けれども、あれこれ織田作之助読んでいる人なら、これ読んでからほかの短編読み直せば見え方変わるだろうし、これ自体も「へえ、こんなのも書くんだ」と面白がれるだろう。ことに、ラストの謎解きのそれっぽさなんかにちょっと笑えるはずだ。
 っつーことで、Amazonの紹介文を繰り返すなら、本書はファン必携の一冊である。よかったら買ってね。

合駒富士

合駒富士

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追記2024/06/19『発掘追跡大阪近代文学の興亡』(高松俊男 和泉書院2018)所収の「織田作之助の小説「見世物」の成立」に、野田丈六というペンネームを使った理由は『合駒富士』を連載した当時織田が掲載紙『夕刊大阪』の社員であったため便宜上匿名を用いたと書いてあった。筆名の由来は全集の解題にも当時織田が住んでいたところの地名が野田丈六だったからと書いてあったのだけど、なんでペンネームを使ったのかは書いてなくちょっと不思議に思っていたのですっきりした。

*1:舞城王太郎の初期に見られたのと似たミスマッチかもしれない。ノリノリの語りが謎解き場面でどうしても失速して謎解きの内容に関わりなくちょっと残念な読後感になっちゃうやつ