明治探偵冒険小説集 (1) 黒岩涙香集

明治探偵冒険小説集 (1) 黒岩涙香集 ちくま文庫―明治探偵冒険小説集
黒岩 涙香

4480420819
筑摩書房 2005-04
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おすすめ平均 star

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 涙香と言えば「無惨」が有名だけれども、本書に収録されているのは「幽霊塔」というもので、あらすじはこんな。

売り出されたいわくつきの古い屋敷。先祖の縁で屋敷を買った叔父の命で下検分に出かけた主人公は、そこで謎めいた美しい女性と出会う。次々と現れる謎の人物。首なしの死体。時計塔のからくり。

 「萬朝報」1899(明治32)年、8月9日から翌年3月9日まで連載された新聞小説で、原作はA・M・ウィリアムソンの「灰色の女」。原作を読んでいないのでどれくらい忠実な翻案なのかは分からないが、「明治・大正翻訳ワンダーランド(amazon)」か何かで読んだ「涙香は原書を三度読み、それきり原書を見ずに思うさま文を書いた(大意)」というのとはかけ離れた直訳調の台詞回しにちょっとびっくりした。これは野田良吉(翻訳協力者)の訳文が固かったのか、当時の日本語はこうだったのか判断がつかない。
 内容的にはロンドンから四十里の場所を舞台に、イギリス人丸部道九郎を語り手に、首なし死体あり、暗号(漢文)あり、乱歩好みの○○ネタあり(乱歩もこれが好きだったようで、のちに本作をネタ元にした作品を書いている。そっちは光文社版の全集11巻(amazon)に収められている。)でなかなか楽しく、新聞連載という初出形態のためだろうが、実にいいところで一回が終わるため、最後までだらけることもなく読むことが出来る。
 原作がロンブローゾの時代*1に書かれただけあって道九郎がヒロイン秀子を信じる理由は顔。善人は善人面を悪人は悪人面をしている素晴らしき作品世界。

顔は七部通りまで愛情の標準にもなる、大抵の愛は顔を見交わしたりまたは顔に現れる喜怒哀楽を察し合ったりする所から起こるのだ、もし秀子のような美しい顔が美しい心の目録でないとすれば、まったく人間の愛情や尊敬などの標準は七部まで破壊されてしまうではないか。

 さすが明治はむちゃくちゃだと思いたかったのだけど、昨今ベストセラーになったのは「人は見た目が9割」なる本だったので、7割と言っている涙香の方がまだ思いこみから自由だろうか。
 なんて脱線は実は心底どうでも良くて、もっとも読むべきは、あまりにも主人公の道九郎にリテラシーが存在しないところだろう。誰かの話を聞くたびすべてを鵜呑みにして右往左往する姿は現代の探偵役にはとてもまねできない個性だ。何度も同じトリックに引っかかる明智小五郎ですら、道九郎の前ではクールな名探偵にうつってしまう。
 というわけで推理だのトリックだのを期待するのは野暮だが、あれこれ盛り込んだり、次の回を読ませる工夫を施したりという点では今でも十分鑑賞にたえる作品で、むしろ現代ではできない裏のない設定には新鮮ささえ覚えたのだった。悪そうな奴はやっぱり悪いってなかなかありませんよね、最近じゃ←あるのかもしれないけど記憶にはない。

追記:青空文庫にも収録されていた。興味がある人はどうぞ。「幽霊塔

*1:日本に入ってきたのは大正時代なそうな。