W.リップマン  掛川 トミ子  世論(下)

 上巻(感想)をむさぼり読み、そのまま下巻へ突入*1。シンボルと化した言葉がどれほど多様な意見をまとめあげてしまうかというようなことの分析から始まり、当時のアメリカの議会政治の欠点と対策などを述べていく。その過程で新聞の果たす役割などへの言及もあり、すこぶる興味深かった。さらりと書いてあるあれこれが今でも通じるのは、やはり凄いことだ。
 たとえばこんなフレーズ、

いくつもの集団の人たちがある象徴によって代表されていると考えている諸現実を、あまりひどく乱用したり、あるいはその象徴の名を盾として新しい目的に対してあまり大きな抵抗をすれば、その象徴を、言うならば、破裂させてしまうだろう。

 あるいはこんなフレーズ、

われわれが権威あるものと認めている他人によってそれ(ある特定の象徴)は植えつけられる。充分に深く植えつけられたなら、のちにはその象徴をわれわれに向かって打ち振ってみせる人を権威ある人と呼ぶことになる。しかし最初はその逆で、自分たちの共感する重要な人たちによって紹介される象徴だから、その象徴に共感を覚え、それが重要であると思われるのである。

 やがて「象徴によってしか、われわれは手の届かない現実のことを知ることができない」という点に著者は向き合うことになる。しかし分析を進めれば進めるほど、こればっかりは打つ手がないという気分が滲んでいく。しかしながら、著者は新聞や政治家の問題点を指摘し、取りだしてはみせるけれども、それにすべてをなすりつけるような愚は犯さない。スケープゴートを作ったところでなんの解決にもならないことを知っていたからだろう。そして性急な解決策よりも考え続けることを選択していたからだろう。そのことは次のような部分からも推察可能だ。

限られた個人的経験に基づく人間の意見は主観的である。これを克服する道を意識的に用意しない改革はいかにセンショナルであっても、真に抜本的なものとは言えない。ある種の政治制度、投票制度、代議制度は、他の制度に比べて、より多くのものを引き出している。
 しかし結局のところ、情報は良心からではなく、その良心が関わっている環境からもたらされるはずだ。情報の原理に基づいて行動するとき、人は外へ出て行って事実をみつけ自分の知恵をつける。情報の原理を無視するとき、人は自分の内にこもり、内側にあるものしか目につかない。そうした人間は自分の知恵を増やさずに、自分の偏見を育むのである。

 あなたの「世論」を貸してくれと求める党派の訴えに迫られた一市民は、多分、これらの訴えが自分の知性への表敬ではなく、自分のお人善しにつけこむことであり、真偽を見分ける自分の感覚を侮辱するものであることをまもなく悟るであろう。(中略)
 現代国家の多忙な一市民が自分に理解できるかたちになってから問題と取り組みたいと願うなら、一定の手続きを経てからでなければ自分のところにそうした問題をもちこまないようにと強く主張するほかない。

 こういうときの著者は苦渋の決断をしている。分析とは、分析対象の把握とは、対象に問題がないと思われないときにはおそらくなされない。で、ある以上、著者はなぜそうなのか、どうすればそれを乗り越えられるのか、というところまで思考を持って行ったはずだ。しかし分析をしていっても解決の処方箋は書かれない。原因は見えた。世界に対するステレオタイプ的な理解だ。しかしそれを駆除するのは、すくなくともすぐにできることではない。メディア・リテラシーを養いましょう的な言葉を著者は採用しない。リテラシーだと思っているものが本当にリテラシーと呼ぶに値するものであるか、判定方法がないからだ。
 結果解決策は未来へと持ち越される。教師たちが「生徒に自分の情報源を検討する習慣を教えること」、「ステレオタイプの存在に気づかせること」、「寓話を作っている自分、諸関係をドラマ化している自分、抽象的なものを人格化している自分自身に気づくよう導くこと」などを著者は期待している。そうすれば、次の世代は先行世代よりもマシな判断力を身につけられるだろうし、それが繰り返されれば、すこしずつ「自分の偏見がもたらす途方もない害や、気まぐれな残酷さをはっきりと見る」ことになり、「注意の及ぶ範囲がいちじるしく広がる」だろうと。
 迂遠なやり方である。しかし世間に絶望して、諦めるよりも、人は未来を信じて、すこしずつではあっても世界は良くなって生きうることを期待し続けなければならない。これがリップマンが誠実に考え続けてだした結論だ。

人間が示してきた何らかの人間の特性によって存在が許されている、さまざまの可能性を断念することはできない。読者諸氏はこの十年の間に起こったあらゆる凶事のただ中にあっても、こんな人たちをもっと増やしたいと思うような男や女を見たであろう。こんな瞬間をもっと増やしたいと思うような瞬間瞬間を経験したであろう。もしそうでなかったら、神といえども諸氏を救うことはできない。

 本書はこのようにして巻を閉じる。
 社会をどうするかと考えるとき、自らの限界を考慮に入れなければ机上の空論しか提出できない。絶望して諦めてしまえば、世の中は今より住みよい場所になっていかない。社会を語る大抵の人間がどちらかに転ぶが、中には著者のように、「出口はない。けれども希望は捨てない」というスタンスを取れた人もいた。これは過去から学ぶに値することだと思う。ことに黒人大統領が誕生したアメリカの現在を見たあとであればこそ、強くそう思う。

世論 (下) (岩波文庫)
W.リップマン

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*1:印象に残ったフレーズなんかはこちらにまとめてみた。・世論(下)より