papaさんへ(追記あり)

id:KIM625さん(以下papaさんと表記する)からトラックバックをいただいた。furukatsuさんへのレスはまだまとまらないので、先にこちらに反応しようと思う。なおこれはpapaさんひとりにあてたものなので、それ以外の人に対しては配慮が欠ける表現や発想があるかもしれない。あと糞長いわりに、新たな知見があるわけでもないので、papaさんには読んでいただきたいが、他の人は無理をしない方がいいんじゃないかなあと思う。
 1行でまとめておく。

 外野席からのエロゲ擁護。

 いただいたトラックバックは以下。 

だから控えようかなーって - PaPaのスローマンガライフ

で、本題ですがpapaさんが「力一杯叩く」と申しましたのは、エロゲ規制を進めたい人々ではございません。現実の女性への性暴力の逃げ道(スケープゴートとか言ったりします)としてエロゲやマンガを規制しようと考える人達や、エロゲを守りたいが為に根本である女性への暴力を見ないようにする人達、id:gkmondoさんのお話の筋(文脈とかいいます)にそって言えば、猫を虐殺・虐待したり妄想する人々です。もちろん、それらの発言、表現する自由は守られなくちゃあイケマセン。しかし、それらに対抗する表現、言論もまた置かれなくてはなりません。例え、どんなに奥歯が軋むようなヒドい言論であっても、存在は認めなくちゃいけない。それを発信する自由は認めなきゃならない。ただ、そこにあるなら、それに反発するなら、それは叩かなくちゃいけません。決して法規制に頼っちゃいけません。それは自らの表現、言論をも塞いでしまう可能性のある「両刃の剣」、ダガーナイフだからです。

 ごめんなさい。「そういう人」がどういう人か完全に読み間違えてました。いや、俺、びっくりしたわ。というのは、papaさんのブコメを見たときには「そういう人=エロゲにケチをつける人すべて」だと読み取っていたんですね。
 これは以前いただいたトラックバックで「全ての表現は自由であるべきです。それを阻む事こそは「人権侵害」です。例えそれが他者の人権を侵害するとしても、尊重されねばナランとpapaさんは考えます。」と仰っていたのもあったし、俺が想定していた批判ブコメを完全になぞった文面だったものでもあったので勘違いしました。ブコメへのレスはそれを前提にして書いたので、まったくすれ違っていたのを最初にお伝えしておきます。


 ところで、殴る相手が誰なのかハッキリしたところでもなお、ぼくのコメントは「殴らなきゃいけないのはアホな立法府と司法なのであって、個人を殴っても無意味じゃないでしょうか。殴られた方が『殴られたから表現の自由が大事なことがわかりました』と思うはずはない気がします。」になります。
 まとまるかどうかわかりませんが、理由を説明してみます。あ、その前にpapaさんの記事のほとんどの部分(特にヘイトスピーチへのカウンターの必要性について)には、「そうだよねえ」と思ったこともお伝えしておきます。


 では理由に入ります。まず殴る相手を間違えているというか、範囲が広すぎると考えます。
 papaさんが「現実の女性への性暴力の逃げ道(スケープゴートとか言ったりします)としてエロゲやマンガを規制しようと考える人達や、エロゲを守りたいが為に根本である女性への暴力を見ないようにする人達」というくくりの言い換えとして提示したのは、「猫を虐殺・虐待したり妄想する人々」です。これはイコールで結べません。


「虐殺・虐待したり妄想する人々」は「エロゲを守りたいが為に根本である女性への暴力を見ないようにする人達」とは必ずしも重ならないのです。


 後者に対する何らかのカウンターは必要な場合もありますが、「虐殺・虐待したり妄想する人々」に対して、「妄想すんな!」と言うのは、おかしいと考えます。なぜか。「虐殺・虐待をする人」と「それを妄想する人」をごっちゃにするということは、「実際にやる」ことを「妄想する」ことと変わらないレベルにまで軽く判断しているからです。


 言うまでもなく、猫をなぶり殺しにすることを考えるのと実際にやることのあいだには超えちゃいけない壁があります。そしてどちらであっても対応が同じなら、体感的にあいだを隔てる壁は低くなるだろうと愚考します。妄想のコスト(叩かれるとか非難されるとか、まして逮捕されるとか)をあげることは実行のコスト(逮捕される)を相対的に引き下げます。


 papaさんのアナロジーはこのふたつをゴッチャにしているように読めます。「エロゲを守りたいが為に根本である女性への暴力を見ないようにする人達」はエロゲ関係者(ユーザー含む)の一部に過ぎません。
 papaさんが引いた例「事件。関西であった事が悲しいですが。起訴猶予ですって。退学にもならないんですって。なめとんのか、わりゃ。」を使って考えてみます。あの展開は何から何までふざけたことだらけです。だからと言ってあの大学にいる学生及び職員すべてが同じ糞だというわけにはいかない。


「現実の女性への性暴力の逃げ道(スケープゴートとか言ったりします)としてエロゲやマンガを規制しようと考える人達や、エロゲを守りたいが為に根本である女性への暴力を見ないようにする人達」に反論する必要は感じます。しかしそれが「妄想する人々」を妄想するゆえに言葉で殴らなければならないというなら、ぼくはその論には賛同できません。むしろ以前頂いたトラックバック

創作物は現実の社会の隠された部分を表に現してしまいます(表象する、ていいます)。不思議なことに。女性に対しての暴力が肯定されている社会では、女性に対する暴力的表現は現れません。それは本当に現実で事足りてしまうから。女性が常にハダカの社会ではヌード写真は意味がありません。逆に女性に肌の露出を許さない社会では半袖のTシャツがヌード写真以上の意味を持ったりします。papaさんのヨメはタイで短パンで外に出て、エラいことおモテになったそうです。

表象として「女性に対する暴力的なゲーム」がある社会なら、そこには隠された女性差別があるはずです。それを解決せず、表象だけを押さえ込むことは愚行ではないか、とpapaさんは考えるんですが、どうでしょう。それが法規制される事が大切なんではないでしょうか。そして、その隠された物は創作物の中から自然に現れてくるんです。そこに蓋してどうする。

という部分に賛同しています(ただ、これって、段落間のつながりが捻れていませんか? 「女性に対しての暴力が肯定されている社会では、女性に対する暴力的表現は現れません。」→「表象として「女性に対する暴力的なゲーム」がある社会なら、そこには隠された女性差別があるはずです。」の部分ですけれども)。←捻れていませんでした。こちらの誤読です。

 ここでもう一度言っておきます。「現実の女性への性暴力の逃げ道(スケープゴートとか言ったりします)としてエロゲやマンガを規制しようと考える人達や、エロゲを守りたいが為に根本である女性への暴力を見ないようにする人達」への反論は必要です。しかしそれは妄想する人全部には当てはまりません。ですから叩く相手を間違えていると思います。


 このサイトをたまにブクマしてくれる人たちの中にはエロゲを守りたいという立場でありつつ、なお規制して欲しいという人の気持ちを考えて葛藤を抱えている人々もいます。papaさんのアナロジーはそうした人々を含めて叩くことになります(ぼくはそういう葛藤を抱え込んでいる人たちを叩きたくありませんし、その必要性も感じません)し、それは正しいことであるとは思えません。


 ある表現に傷つく人がいる。それを無視して良いのかという問題意識にまったく異議はありません。しかしその「正義」のためなら、多少の誤爆は仕方ないというロジックは、今は規制が来そうなんだから、相手の事情にかかわらず、エロゲに嫌悪感を持つ奴は叩くというロジックと代入する単語が違うだけです。


 あれ、なんか言葉が強すぎるかも。ごめんなさいpapaさん。できるだけ柔らかく読んでいただけますか。ぼくが反論しているのは非常に重要ではあるけれども小さな点に過ぎません。大枠は同じです。


 続けます。ではなぜぼくが叩くべきは立法・司法であると述べたか。「エロゲを守りたいが為に根本である女性への暴力を見ないようにする人達」が女性への暴力を見ないようにするのは、エロゲを守りたいからです。いつも猫のたとえで恐縮しますが、子猫を生んだばかりの母猫は、飼い主であっても触れません。近付くすべてを危険と判断します。これはどうしても守らなければならないものがあるときの動物のモードかもしれません。ぼくは規制によって潰されつつあるエロゲを守りたいと考える人のモードも子猫を抱えた母猫に近い物だと考えています。


 そうであればこそ、他者の問題を鑑みる余裕が持てない。

 全員ではないでしょう。中には本当に「差別じゃないよ区別だよ〜」と言う輩もいるでしょう。しかし「エロゲを守りたいが為に」他者の問題を考える余裕がない人と、糞野郎の見分けは現状ではつけられません。なぜか。彼らの前には法規制が存在しているからです。
 この状況で「表現の自由が欲しいんだったら差別問題にコミットしろ」とか「表現の価値を自ら証明してみせろ」などと言われて、「はいわかりました」と言えるようには思えません。彼らにとっては今は非常時です。彼らの掲げる表現の自由は、本来制限するのに相当厳しい基準を要するはずでありながら、「みんなが嫌だって言ってるんだから仕方ないよね」で、法規制されるかもしれないって言うんですから。そしてその状況は別段新しい問題でもないのは、

ついでに書くけど「たかが二次元、たかが紙に描いた絵」て言う人。マンガなめてんな?個人への影響力は計り知れんぞ?マンガの規制なんて、すごいこと歴史があるんだぞ?しってっか?エロジェニカ事件とか。三流エロ劇画ブームとか。宮崎事件以降のマンガへの表現規制なんてエゲツないぞ?そんだけ危険視される表現形態なんだよ、マンガは。マンガなめんなよ?おらおら。

と仰るpapaさんの方がよくご存知かと思われます。

 立法や司法は関係なくないんです。彼らがしっかりと「民主制の根本に関わる問題なので、誰が何を言おうと表現の自由に手をかけることはありません」と宣言してくれれば、今よりも多くのエロゲ関係者(ユーザー含む)はpapaさんの問題意識に乗ってこれるようになるわけですから、殴るべきは司法・立法です。
 そこは殴らずに態度が悪い奴を殴りますってのは、介護疲れから起きた殺人で加害者を罵るようなものだと思います。個人をシステムの罪のスケープゴートにしています。


 同時に性犯罪被害者の救済についても立法・司法の対応はまったく不充分です。(どっかに性犯罪の判決文をいくつも並べているところがあったはずですが、被害者にも落ち度があったがみたいなフレーズ乱発でした。それから「深刻な女性差別なんてものは日本にはない」と平然と言えてしまう国会議員がいたりするところからも、ぼくにはそう思えます。)

 もちろん、絵も描くpapaさんが、今回の騒動中にも女性への配慮を持てているように、エロゲユーザーの中にもそうしたことを忘れないで発言している人はいます。その人たちは立派です。しかしそうできない人すべてには良心がないという判断はアンフェアです。火事場で見苦しい人間がすべて倫理にかけた糞野郎とは限りません。もちろんTBいただいたエントリに出した田中は糞です。死ねば? と思います。むしろ死ね。しかし皆が皆田中ではないんです。ベストを基準にできないようにワーストも基準になりません。


 ですから自分の考えでは、papaさんの考える問題について他の人にも考えてもらうためにも立法は殴らなくちゃいけないんです。個人を叩くほど効果が目に見えないとしても、個人を叩いて自分の言葉が届くことに喜んでいちゃいけないんです。手応えのないところに拳を振るわなくちゃいけないんです(ただし本当に振るうと捕まるのでご注意下さい)。
 こうした前提を「自分は法規制には反対している」ということでチャラにすることはできません。ぼくらが立法府出てくるなと思うことは法規制の可能性にはほぼ影響しないからです。
 ぼくが「殴らなきゃいけないのはアホな立法府と司法なのであって、個人を殴っても無意味じゃないでしょうか。」と書いた筋道はこんな感じです。

 次に、

それらに対抗する表現、言論もまた置かれなくてはなりません。例え、どんなに奥歯が軋むようなヒドい言論であっても、存在は認めなくちゃいけない。それを発信する自由は認めなきゃならない。ただ、そこにあるなら、それに反発するなら、それは叩かなくちゃいけません。

の部分の「反発するなら、それは叩かなくちゃいけなません」についても、思うところを述べさせてもらいます。
(あ、これはぼくがこう思うってことで、叩くおまえは間違っているとか、そういうつもりはないです。papaさんにはpapaさんの経験と価値観と方法論があり、ぼくにはぼくなりのそれらがある。別にどちらかでなくてはいけないということはありません。マジで。こんな風に考えているんだねえ、と思っていただければ。)

 papaさんのこの部分に関連して。

でもそれを虐殺事件を語っている場所で、口に出して発言することが、どんな事態を招くのかはわかりますよ?id:gkmondoさんのブクマでもありましたね。「猫虐待妄想ひどいなー。妄想だからって言われてもナー」て言ってるところに「オレ、平気」て。「あ、そう」以外にどう反応しろと。人の思考を止める行為でしょ、それ。わが身に引き付けて思考できないんだなぁ、て思います。

 これはfurukatsuさんの発言かと思います。「『あ、そう』以外にどう反応しろと」ってところは、テレパスか! と思うくらい当たりではあります(笑)。実際、いただいたTBにもどう返事しようかなあと思っています。


 ただし、です。「オレ、平気」って反応はありだと思うんですよ*1


 すくなくとも反応をもらえたということは、あるいは何か発言する気になったというのは、こちらの発言を聞いてはもらえたってことでしょ? あのエントリに訪問者は二日間で大体1000人です。うち60人ちょっとがブックマークレット起動して、反応を示してくれた。すくなくともこの人たちにぼくのいったことは、影響はほとんどないでしょうけど、足し算されています(おっと待ったそこのきみ。ここを読んで「そんなことねーよ、調子にのんな」ってコメントするのは止めてくれ。凹むから)。


 papaさんが例に出したホロコースト否定論(ぼくはその件はマジで無知なので中身については何も言いません)へのカウンターという話と、「オレ、平気」は同列に並べるようなものには思えません。


 すくなくとも、「オレ、平気」は田中の糞発言や、在特会のデモとは違ってヘイト目的の発言ではないのです。これを全部「反発する発言」と抽象して「叩かなきゃいけません」というのは、自分的には、なしです。意見が違う人間同士がまともに話をしようと思うなら、共通の基盤を作る必要があると考えているからです。


 なんの気なく出された発言に青筋立てて殴りかかれば、相手が取れる行動は防衛だけです。よほど胆力のある人同士でなければ、そこに対話は生まれないだろうというのが、ぼくの考えです。
 相手の発言を封じるってだけならそれも有効な場合もあるかもしれません。しかしそれは黙らせるだけで、考えを変えさせるわけではないと思います。


 それにもし、気に入らない発言は叩かなければいけないということを、気に入らない発言なら叩いても良いと読み替えるなら、papaさんの言う「エロゲを守りたいが為に根本である女性への暴力を見ないようにする人達」が「いっそ規制して欲しい」という発言に対して叩きに行くことも認められなくてはいけない。papaさんも認めた上で叩くと仰っています。これを逆に言えば、叩かれるのは自己責任ということになります。


 その道を選択している人に、とやかく言うつもりはありません。ただぼくはそんなのは嫌だ。

 相手の事情を考慮しないで強い言葉で罵り倒した奴が勝ち、何を言われても平然と聞く耳を持たない鈍い奴が勝ち、あれこれ配慮する奴が黙らされ、すべてはうかつなことを言うのが悪いんだ。馬鹿は叩かれて当然という言葉が正しい響きを帯びる。そんなのは嫌です。


 あ、誰も叩いたことはないとは言いません。あてこすりをしたことがないとも言いません。しかしそうした行動は「しなければならない」ものではないし、それ以外の反論の仕方を考えられるときにはそうしたいと言っているだけです。


 ぼくが何かを発信するときには、やっつけたいんじゃなくてわかって欲しいからです。まあこれは、あれです、論戦なんかになったら勝ち目がない感情的で論理の一貫しないお馬鹿さんには、「気に入らない発言は叩かなければならない」ってルールが厳しいってのが大きいかもしれません。


 ですから、もしfurukatsuさんにお返事することがあっても(できるかなあ)、ぼくは「てめえ何でわからねえんだよ」という論法は使いません。いや使えない。せっかく反応してくれたのに、それじゃ対話にならない。それはぼく自身にデメリットになる。こんなにグチャグチャと文字を並べている意味がなくなる。


 ちなみにここまでの意見はpapaさんには無駄に「規制反対派に甘い」と感じられるかもしれません。いやひょっとしたら「この差別主義者が!」ぐらい思われてるかもしれないので、一応補足したいんですが、上の記事は(意図したとおりに書けているなら)引っ繰り返せば大体、「規制を求める人たち」のうちで「ただ怯えているだけの人たち」に理解を示してあげましょうよという主張になるはずです。

 いい加減長いので一番そうだなあと思えたところについても言及します。

では、表現が自由になされるとして、その影で泣く人はいないのか。いないワケがありません。表象された暴力が現実にある、ということは被害者がいるということだからです。創作物を見るたびに心を痛める人達。再び暴力の影に怯える人達を、どうすれば良いのでしょう。根本を考えませんか?表象した暴力が現実に無くなれば、性暴力の被害者はいなくなるんです。問題の根本は現実にある暴力なんです。それを表象するゲームじゃない。むしろ、これらは警鐘を鳴らす存在なんじゃあないでしょうか。法規制するなら現実の性暴力を。
(中略)
例えば二次被害という事についても考えて頂きたいとpapaさんは思います。先ほど書いた「再び暴力に怯える人」というのは確実に存在します。

「根本を考えませんか?表象した暴力が現実に無くなれば、性暴力の被害者はいなくなるんです。問題の根本は現実にある暴力なんです。それを表象するゲームじゃない」という部分にはまったく同意します。


 だからこそ、問題の根本ではないのに、問題の根本だと名指しされている人が余裕をなくした振る舞いをするときに、さらに余裕をなくさせるような迫り方をするのは、得策ではないとぼくは考えます。papaさんがなんとかしたいと思っている二次被害は多岐にわたっていると思いますが、エロゲ関連で起こる二次被害者は、「なんとかして欲しい。できれば規制して欲しい」と言う人の多くが、そう言うだけの理由を持っている。エロ規制して欲しいという言葉を発してしまう原因がなんなのか(それは決してエロゲがこの世に存在することではない)ということを考える余裕を持てず、「この発言も規制推進の燃料になっちゃうよ」としか考えられないところまで、エロゲを守りたい人が追いつめられているからです。
 その人たちを糾弾し、力任せに殴りつけるなら、それはpapaさんが殴ったのではなく、規制推進派が殴ったことになります。殴られた方はpapaさんの採用するルールに従い、殴り返そうとするでしょう。しかしその拳が向く先は、規制推進派であって、必ずしもpapaさんとは限りません。
 無論そんなものは織り込んで、それでもかつ殴らなきゃいけないとお考えなのでしょう。そうじゃなければ今ここでなされる二次被害を見逃すことになるからと。そう思っている人は大勢いるはずです。殴るのはそういう人に任せます。ぼくは「敵」をどう倒すかよりも、どうすれば話は聞いてもらえるか、ということの方に関心があるからです。どちらかが悪い、どちらかが反省するべきとは思えない半端者には、このアプローチがもっとも実り多いと感じられます。


 最初の方で「エロゲを守りたいが為に根本である女性への暴力を見ないようにする人達」に対する何らかのカンターは必要と書きました。反論は置かれなければならないというのにも同意しています。しかし反論のバリエーションは、多い方がいいと考えます。「なんらかの」と付けたのはそれを踏まえてです。強い反論と有効な反論は重なることもありますが、いつも重なるわけではない。papaさんが問題としている部分に関していえば、自分には強い反論が有効な反論となり得ることが少ないように思われます。


 糞長くなってしまいましたのでこれくらいで。そちらに併せて、もっと柔らかい語り口にしたかったのですが、上手くいきませんでした。トラックバックをいただいたおかげで、勘違いしていたのがわかってよかったです。ありがとうございました。それと頭の中で考えていたことをまとめる良いきっかけにもなりました。そちらについてもお礼申し上げます。

追記:papaさんからTBを頂いた。
お返事来たの。 - PaPaのスローマンガライフ
 対話の拒絶になるとするならすみません。
 ですが、エロゲユーザーでも性犯罪被害者でもその支援者でもない自分には、結局の所、俺が何を言っても「外野席」からの発言になるよなあとも思うのです。
 ゆえに『どの立場から見ても、「当事者の気持ちも考えずに、適当なことを言いやがって」という感想をいただくのは仕方ないけど書かせてね。自分でも外野席なのはわかっているから』という意味であの一行まとめを最後に付け足しました。ご理解いただければ幸いです。
 それから「新しい知見はない」についてですが、「このエントリを読んだ人に」という意味であって、ぼくは書くこと書くことよく言われることに落ち着いてしまうのを驚きつつも、「ああ、こういうことか」と思うことができ有意義でした。TBには感謝しています。改めてありがとうございました。
 最後になりますが、体調の方、早く完治されることをお祈り申し上げます。 

*1:あとこれはpapaさんには頷けないかもしれないけれど、furukatsuさんは対話自体は拒否していないと思います。徹底的に相手と噛み合っていないだけで。しかしこれはどちらのせいとも言い難いように見えました。チラ見ですから自信はないですが。