ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破

2009年6月27日から公開していた劇場版第2弾。やっと見た。前作はほぼ二年前。見に行った帰りにスピード違反で捕まったこと(運転は同行した友人)なども遠い日の思い出状態。前回と同じ映画館で、ああそういえばそこのガストは前作の時、ちょうど炎上中だったのではなかったか、とか思い出しつつ入場し、前作の、可もなく不可もなくな感じなどから期待値低めで。入ったのは横須賀の映画館だったが、「男率高っ!」という声が聞こえて回りを見たら、確かに男率が高かった(「MOVIX京都で見たときはカップル率が高かった」というブコメを頂いた。全然関係ないが、昔京都で「踊る!大捜査線」の映画を見たときに後ろにカップルが座り、当たり前のことながら京都弁でイチャイチャと会話していたのを思い出した。余所様がイチャイチャ会話しているのを聴いて心底羨ましいと思った数少ない記憶だ。甘えた声の京都弁って良いね←とそのとき思った)。
 で始まった。全然違うという前評判は避けていたのにどこかで目にしてしまっていたので、ある程度は違うようだと思っていたのだけど、確かに全然違った。俺的には今回のバージョンの方が好きだ。
 それはさておき、破でこれだけ展開が変わってくると、なんで序はあれほどTV再編集っぽかったのかというのが気になってくる。最初の数話にあまり変化がないのは、旧映画版もそうだった(漫画は読んでないのでわからない)。
 こっから先は超適当にスクリーンを見ながら思った感想(だってもう昔のバージョンほとんど記憶にないんだもの)なのだが、この映画、リメイクって言われ方もしているけれど、作り直しという感じはなぜか受けなかった。
 むしろ一連のシリーズ(テレビ・旧映画・今シリーズ)はマルチ・エンディング・シナリオの各ルートを順番にみせていくような作りなのかもしれない。序盤がいつも似たような展開になるのも、分岐発生イベントがそのあとにあるからじゃないか、なんてことを初めて思った。
 そう考えると、旧映画シリーズはバッドエンドのルートだったのではないか、今度はトゥルーエンド(個人的にそう思うっつーだけね)へと到達するのではないか、それならば、個人的には曖昧な動機で見始めたこの映画シリーズを見るのも、なかなか意味があるなあという気がした。
 でもって、次から次へと繰り出されるアクションは見ていて楽しかったものの、今まで感じたこともない「要するにこれは悪夢だわ」なんて感慨を抱いたりもした。これはなんでそう思ったのか自分でもよくわからない。

 で、ラストまで見たら、ここで映画が終われば見事なクライマックスなのになあってところで、「続く」。ひぐらしの第六弾をやり終えたあとみたいな「このあといったい何すんの?」的な印象が残った。「Q」は人類補完計画が始動するに違いないんだが、旧映画がバッドエンドだったとするなら、その描かれ方も相当変わってくるんじゃないかなあと思った。正直さっぱり予測がついていないのだけども。父親との和解はあるんだろうか。

 ひとまず今回のこれは、お金を払って損はないレベルのエンタメであったように思った。「Q」が楽しみになのかどうかはわからないが、残った印象から考えると、たぶん次も映画館に足を運ぶだろう。