スポーツ記者ポール・ギャリコの初仕事

 なんでも感動的な話を書くらしい、くらいの知識しかないのに、なんとなく名前だけは知っているポール・ギャリコ。『ニューヨーク紳士録』って常盤新平の本をめくっていたら、そのギャリコに1章が割かれていた。

 ポール・ギャリコの『スポーツよさらば』を訳してみたいと思いながら、二十年近くたってしまった。その間、この本を利用して、私は一九二〇年代のスポーツの英雄たちを紹介した。一九二〇年代のアメリカについて書くようになったとき、私がまっさきに取りあげたのはベーブ・ルースである。ギャリコは『スポーツよさらば』の一章でこの偉大なる「バンビーノ」を熱っぽく語っている。

 まずね、え、そんな昔の人だったの、ギャリコって。という驚きがあったんだけども、それ以上に、え、スポーツエッセイなんて書いてるのって驚きも。感動の動物ものみたいな適当な印象しかなかったもんだからさ。検索したら1897年生まれなんだって。思ってたより五十年くらいまえの人だった……。
 で、『スポーツよさらば』はギャリコがニューヨーク・デイリー・ニューズ紙の記者をしていた1923年から1936年までの十四年間の思いでを書いたもののようだ。そこから引用されたと思われるエピソードが個人的には大変興味深かった。

 その一九二三年の夏の日、ボクシングの試合など見たこともなかった新米記者のポール・ギャリコは上司の命令でサラトガ・スプリングズ(ニューヨーク州)のジャック・デンプシーのトレーニング・キャンプへ出かけた。「草原の野牛」といわれたルイス・エンジェル・ファーポの挑戦を受けたヘビー級チャンピオン、デンプシーのトレーニングを記事にするつもりだったのである。当時二十四歳のギャリコは身長六フィート三インチ、体重一九二ポンドだった。

 ごつい、ごついよギャリコ。このエッセイによると大学時代はボート部の主将だったというから、かなり筋骨隆々といった体格だったと思われる。十数年勝手に抱いていたイメージががらがら音を立てて崩れて行くじゃないか。別にいいけど。それはさておき、こっからがびっくりしたところである。

 記者としては駆け出しのギャリコはトレーニング・キャンプでなんとチャンピオンのスパーリング・パートナーをつとめたのである。結果は、デンプシーがギャリコをあっさりとノックアウトしたのであるが、おかげで翌日のデイリー・ニューズ紙にギャリコの署名入りの記事が載った。その二カ月後に社主のキャプテン・パタースからスポーツ・エディターに抜擢された。

 なんじゃそりゃっていうか、無茶すぎるっつーか。まわりもよくやらせたな。だってデンプシーってこんなよ?

しかもこのエピソード結構有名だったらしく、ウィキペディアには

彼はデンプシーに自分とスパーリングしないかと問い、ヘビー級チャンピオンのパンチがどんなに重いか身をもって体験したことを書いたのである。

 と出ていた。一応英語版も覗いたら、

Gallico's career was launched by an interview with boxer Jack Dempsey in which he asked Dempsey to spar with him, and described how it felt to be knocked out by the heavyweight champion.

 もうちょっとギャリコが前のめりにやる気だった。「スパーリングさせてください」くらい言って、リングに上がり、「ヘビー級の世界チャンピオンにぶっ飛ばされるのがどんな感じがを書いた」って風に読める気がする。

 いろいろ印象が変わった。
 このエピソード、もっと読んでみたいんだけど、Amazon見ても邦訳は出てないみたいだ。原書はまだ動いてるっぽい。キンドル版で安く読めないだろうか(今はまだないっぽい)

Farewell to Sport
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