橋元淳一郎『時間はどこで生まれるか』

時間はどこで生まれるのか (集英社新書)
橋元 淳一郎

4087203735
集英社 2006-12
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 タイトルに惹かれて購入したのだと思う(いかんせん、いつ買ったのかさえ覚えてなかったもので、推測するしかない)。
 一章「なぜ今、時間論なのか」によると、著者は「時間は、研究し尽くされた感がある」が、「目からウロコの落ちるような時間論に出会わない」と言う。その理由は「近代以降の哲学と科学の乖離にある」と考えているそうだ。

 おこがましいことと叱責を受けるのを覚悟でいえば、現代の哲学者が説く時間論は、現代物理学(おもに相対論と量子論)が明らかにした時間の本性をほとんど無視している。すなわち、ニュートン流の絶対空間・絶対時間の考え方に未だに囚われている。
 一方、科学者による時間論は、科学の枠から出ることがない。けっして人間的時間に立ち入ろうとしない。要するに、時間はどうして過去から未来へと流れているのだろうか、というような素朴な疑問に答えてくれず、面白くない。

 で、「現代物理学をふまえたうえでの、斬新な哲学的時間論の登場」を期待して、「そのささやかな呼び水にでもなればと意図したものである」とのこと。
以下、「第二章 相対論的時間と時間性」「第三章 量子論における時間の非実在性」「第四章 時間を逆行する反粒子」「第五章 マクロの世界を支配するエントロピーの法則」「第六章 主観的時間の創造」「第七章 時間の創造は宇宙の創造である」と続く。

 この本買ったときのおれは、冒頭10ページの

相対論が明らかにした「事実」は、空間と時間は互いに変換可能だというものである。つまり、空間もまた時間と同様、奇妙なものであって、それらはまとめて「時空論」としてろんじられなければならないはずのものなのである。

 というところで面白そうと思ったんじゃないかという気がする。
 ところがどっこい、本書は、おれのような残念頭の人間に歯が立つような代物でなかった。特に五章以降は、嘘みたいに何を言ってるんだかわからないままだった。ついでにいうと、おれ自身、時間論というものに何を求めているのかもよくわからない、ということがわかった。とにかく、薄いのにしんどかった。