『紫苑物語』

紫苑物語 (講談社文芸文庫)
石川 淳

406196044X
講談社 1989-05
売り上げランキング : 126826
おすすめ平均 star

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「紫苑物語」(1956翌年芸術選奨文部大臣賞受賞)「八幡縁起」(1958)「修羅」(1958)の三本を収めた作品集。文体はこれまで読んだ作品とはまったく違い、歯切れが良いと言っても過言ではないようなテンポの良さ。舞台設定が時代物であることと関連しているように思った。
 表題作では、主人公宗頼に打たれた狐が美女に姿を変え、宗頼を破滅させるためにたらしこむが、その結果、狐の思惑から外れるまでに宗頼の狂気が膨脹してしまうという展開で、人の秘められた狂気を発動させることで破滅へ導こうとしていたはずが、いつの間にやら逆に使役されるようになってしまうくだりは、非常に面白い。そして神へ挑みもろともに破滅するラストも、なかなか迫力があった。
「八幡縁起」と「修羅」は姉妹編のような話だ。八幡縁起に現れるのは蛇で、蛇と契った人の子たちが山の民として生活するが、そこにも里のパワーゲームが押し寄せて、世代を経るにつれて、山の民は里の民と同化、教化され、自らの神を忘れ、自らの神を焼き尽くすに到る。
 一方「修羅」では応仁の乱の頃を舞台に、歴史書を破り捨てて歩く古市という集団や歴史になどまるで興味のない足軽たち、彼等を疎ましく思う公家などの活動を描く。最初の死体数えの賭けやひとりの女を巡る親子喧嘩など楽しいイベント満載ではあるが、古市の衆の頭領がいう次のような台詞は石川の紛れ込ませた本音かと思う。

旧記、なにものぞ。代代の公卿どもが書き散らした文反故の山よ。暗愚ときには知らずして、老獪ときには知りながら、曲をもって直としたもの、あやまりを掏りかえてまこととしたもの、さだめて多きに居るであろう。このほしいままの筆の跡をさかのぼって、みだりに国のみなもとをさぐり、家の来歴をきめつけて、枉げて正史の杭を打とうとする。いつわり、ここにはじまったぞ。(中略)げに、文反故の山こそ悪鬼は棲む。

 引用箇所に続けて「史を書かば、まさに今より書け。」と続くのだが、そこに見えるのは正しい歴史などではなく、誰にとって好ましい歴史かということだけである。ここで古市が叫ぶのは「歴史の奪回」であり、かつ「歴史は捏造するものである」というテーゼだ。
 驚くべきはこんなことを語る一方で、修羅には本当にアホなエピソードが山盛りであることで、このバランス感覚は素晴らしいと思う。
 と、「修羅」の話が長くなった気もするが、一番気に入ったのは「紫苑物語」だった。破滅へ向かう男の姿はロマンなのですよ、やっぱり。
 それはそうと「著者に変わって読者へ」という巻末のおまけは最高。石川淳の人柄を偲ぶってな主旨で書かれている文章なのだけど、学生運動の頃の話として、

全共闘の指導者の誰かが云った、われわれはアウト・ローにならなければならないという言葉を話題にして、文学者もまたアウト・ローにならなければダメですね、と云うと、打てば響くようにたちまち石川氏の鋭い言葉が返ってきた。
「アウト・ローになるんじゃない。文学者はもともとアウト・ローなんだ」

 アウト・ローにならなければダメだって、これ以上ないほど、間抜けでみっともないフレーズに、実は一番笑ったのだった。おまけ恐るべし。

追記2013/12/10

キンドル版が出ていた。確認時の価格は840円。
紫苑物語 (講談社文芸文庫)
石川淳

B00GYTHSI8
講談社 1989-05-10
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