寒食の由来

 これも漢文楽話より。
 冬治から百五日目の日を寒食といい、冷たい料理「潤餅捲*1(原文では扌+卷)」を食べる習慣が中国にはあるらしいが、これのもとになったエピソードが凄い。
 晋の文公という人は十九年もの放浪の末、ようやく王位につくことができた。当然、王になったときに、放浪につきあった部下四人を厚く賞したのだが、実はもっとも賞すべき部下を失念していたのだった。
 その部下を介子推(かいしすい)という。放浪中、飢え死に一歩手前まで行った文公一行のために、自らの腿を切り裂いて食に供したという強者である。このおかげで文公たちは食いつなぐことができ、引いては王位にも昇れたわけであるが、どういうわけか文公は子推を賞さなかった。子推の部下がこれを嘆いて文公に書を送り、ようやく文公は自らの過ちを悟り、子推に酬いようと人を使わしたが、山の中にいて姿が見えない。これでは賞することもできない。そこで文公は考えた。
 山を焼いたら子推が出てくるんじゃね?
 焼いてみたが出てきたのは子推ではなく子推の焼死体だった……。
 この出来事を哀れに思った後世の人々が彼の死んだ日に火もの断ちをしてその霊を慰めるようになったのが、寒食という習慣の始まりだそうである。
 っていうか足が不自由なのは分かっていただろうに、なんだって燻りだそうなんて考えるかね。
 ダイナミックすぎてウケてしまった。

*1:ルウンピンチユアン