ロレンス・スターン 朱牟田夏雄 訳 トリストラム・シャンディ 中

トリストラム・シャンディ 中 (岩波文庫 赤 212-2)
ロレンス・スターン 朱牟田 夏雄

4003221222
岩波書店 1969-09
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上巻(感想)を読み終わって一ヶ月近く経ったが(というかそんなもんしか経っていなかったのか)なんとか読了。この巻も脱線に次ぐ脱線で、いったいなんの話をしているのやらと思いつつ、それでもどことなく楽しくてページをめくり続けていたところ、316ページ目にもなって、衝撃的な文章に見舞われる。といってもこの本、すでに白紙があったり、黒一色のページがあったりしていたので、何が仕掛けられていても、それほど驚かないわけなのだけど、あまりにもストレートに来たものだから、逆にビックリ。

あなた方善良の人士がたは、なにとぞ伍長の墓の草でも抜いてやって下さい――伍長はあなた方の兄弟だったのですから。

 なに! 伍長どっかで死んじゃうのか! と目を瞠る。「隊長殿の前ですが」が口癖の凄く良い奴トリム伍長がどっかで死ぬのだと聞いて、ちょっと哀しくなっていたら、さらに驚くべき記述が畳みかけてくる。

これとても将来あらわれるべきあの私の恐れているページに比べれば何であろう! そこでは私の予測では、天鵞絨(ビロード)の棺衣が、君の仕えた主人、――あの生きとし生けるもののうちでも最高――第一の人であったあの人の、武勲を物語る数々の勲章で飾られている。――忠実な召使いであった君は、主人の佩用(はいよう)した剣をさやのまま、ふるえる手でその棺の上に横たえ、それから土のように血の気のない顔で扉のところに引返すと、今は亡き主人の指図の通り、主人を弔う馬の口をとって、柩車のあとに従おうとするのも見えている。――そこではまた――私の父のすべての思想体系も、悲しみのためにかき乱されて、平素はあれだけ達観していた父までが、漆塗りの氏名札をじっとながめているうちに、二度までも鼻の上から眼鏡をはずして、思わずそこに流れた滴を拭うさまも見ることになるだろう――父が慰められぬ面持ちでまんねんろうの花束を投げこみながら、こうさけぶ声が私の耳に鳴りひびくようだ――ああ、トウビー! この世のどこの片隅に行けば、わしはふたたびおまえに匹敵する者にめぐりあえるというのだ?
 ――さらば慈悲深き天井の天使たちよ! おんみちはかつては悲しめる唖者の口を開かせ、どもる者の舌にもなめらかにものをいわせたと伝えられる――私が上に申したその恐ろしいページまでたとり着いた時、どうぞこの私にも、おしみなき援助の手をさしのべられんことを!

 叔父トウビーが死んじゃう!
 このくだりには、これまでの長々しく脱線し続ける無駄話が、この部分から逆照射されて、その一個一個がセピアに染まっていくのような効果があった。
 これはなんなのかと考えたのだけれども、無秩序に積み重ねられていくように見えるエピソードが叔父トウビーの死というエピソードによって、秩序づけられ、すべてが失われた思い出であるが故に貴重なものであったと、通り過ぎた後に気づかされる、つまりトウビーの死によってそれまでのエピソードが価値づけられたのだ。
 ここにおいて、それまでのエピソードは物語となり、あるいは歴史となり、その姿を変容させている。
 もちろんこれはトリストラム・シャンディの自伝という設定なわけだから、最初からすべては思い出であり、(架空の)歴史には違いないのだけれども、ストーリーラインがとことん消えていたが故に、読者である俺にはお話の中が現在時制で進んでいるように感じられていた。ところが、このトウビーの死はすべてが語り直されている思い出なんだよということを示すわけで、他の所でも随所に「○○についてはいずれ語るつもりだ」みたいな書かれ方をしていたのだけれども、それはあまり気にならず、ここだけ凄い衝撃的であるのは、トウビーが出ずっぱりであるせいと、全体のトーンが笑い話っぽくなっていたせいなんだろう。
 うまくまとまらないのだけど、ここで仕掛けられた叙述トリックにはかなりガツンとやられた気分。下巻はどうなるんだろう。