ハイカラの語源

 森銑三の「明治人物閑話」(amazon)を読んでいたら、福地桜痴が琵琶を人に聞かせるのが好きだったというエピソードの枕に、こんなことが書いてあった。

 ハイカラというのは、明治の三十年代に生れた新語であるが、それがたちまちにして全国に広がり、その語を口にせぬ人はないくらいになった。(中略)石川半山の著『烏飛兎走録』の中に、かような記載があるとして、その一節をわざわざ手抄して寄せられた。石川半山は、ハイカラの語の作成者として知られている人で(後略)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/412204944X/taidanakurashi-22/

 なんと、ハイカラはそんなに出所の明らかな言葉だったのかとさっそく検索してみたら、どうやら石川半山という人は当時、毎日新聞主筆だったようで、……って、俺が書き直すまでもなく、凄く充実したウィキペディアの項目があったので、リンクはったり引用したりしたいと思う。
 ウィキペディア「ハイカラ」

イカラ(はいから)は、西洋風の身なりや生活様式をする様、人物、事物などを表す日本語の単語。明治30年代に始まる流行語・俗語で、大正期から昭和前期までは特に盛んに用いられた。また「ハイカる」という動詞も派生し、「ハイカった人」などのように用いられた。

語源は明治期の男子洋装の流行であったハイカラー(high collar、高襟)のシャツより。このような高い襟をつけた政治家や官吏を指して(横浜)毎日新聞の石川半山が紙面の『当世人物評』において1899年〜1900年(明治32〜33)頃から「ハイカラア派」・「ハイ、カラア党」などと使い始めたのが流行したもの。一部の書籍には1900年(明治33)6月21日に初めてこの言葉を使ったとの説[1]も見えるが、同評ではそれ以前から使用されており、初出の日付としては事実ではない。

当初は保守主義者を「チヨム髷党」と揶揄し、対比して開国主義者や進歩主義者のキザな感じを冷評する際に、その象徴として特徴的な高襟の服装を指したものであった。従って本来は西洋かぶれ・外面や形式のみを追い求める軽佻浮薄な様子などの負の意味が強かったが、転じて、進歩的・近代的・華麗・優美・お洒落など、肯定的な意味合いも強くなった。

 さらに石川半山本人の文章も引っ張ってみる。

(p17)ハイカラ語の由来(p17/p18)
我輩がハイカラと云ふ言葉を書き始めた為めに、今日では大変に世間に行はれて居るが、此のハイカラと云ふ言葉を書いたのは、全く此のフルベツキ先生の話のピストルに対照させる為めで有ッた、即ち東京毎日新聞に掲げたる当世人物評中に、「山縣、鳥尾、谷などは保守主義武断派、攘夷党の日本党、頑冥不霊なるチヨム髷党、ピストル党であるが、大隈、伊藤、西園寺等は進歩主義の文治派で、開国党の欧化党、胸襟闊達なるハイカラ党、ネクタイ党、コスメチツク党で有る」と書いたのが起因で、外のチヨム髷党、ピストル党、コスメチツク党、ネクタイ党などは少しも流行しなかッたが、唯此のハイカラと云ふ一語だけが、馬鹿に大流行を来した、今日では最早や我輩が発明したと云ふ事を知らずに用ひて居る者も多く、一の重要なる日本語となッて仕舞ふたが、然るに実は我輩が此のハイカ(p18/p19)ラと云ふことを書いた起因を申すと、全く此の時のフルベッキ先生の話を胸中に蓄えて居て、それを五六年の後に至って新聞の上に現はした結果で有る。

 他の言葉に混じって「コスメティック」がすでにお目見えしているのにちょっと驚く。しかし石川が「我輩がハイカラという言葉を書き始めた為めに、今日では大変に世間に行はれて居る」というのは少し正確性に欠けているらしい。ということでその部分も引用。

なぜハイカラという語のみが流行したかについては、石井研堂(1908)が『明治事物起源』という本の中の「ハイカラの始」という項で説明している[3]。それによれば1900年(明治33)8月10日、竹越与三郎の洋行送別会が築地のメトロポールホテルで催された際、来客の何人かが演説をしたが、そのうちの一人である小松緑がハイカラーであることはむしろ文明的で、ハイカラを揶揄していた張本人の半山氏(彼も出席していた)でさえ今夕はハイカラーを着ているではないかと滑稽演説をし、このことが各新聞で取り上げられたことで流行したとしている。

ハイカラ - Wikipedia

 ハイカラに関しては驚くほど充実しているウィキペディアの記述だが、石川半山は項目が立っていないのが惜しまれる。NHK「そのとき歴史が動いた」(hp)によれば、田中正造の直訴にも絡んでいたりして、面白そうな人なんだけど。

 ところで、ウィキペディアのハイカラの項目に引用されていた「明治事物起源」の最後の方に出て来たエピソードにちょっとウケた。

奇語にて思ひ出せしが、日露開戦の初め、露探事件とて、大疑獄起こりたりしが、これより後、他人を悪罵するに、露探々々といふこと一時行はれたりし。芝居に行き、幕間長きを憤りてさへ、「早く幕明けないと、露探々々」など、罵る者ありしを聴きしことあ(p68/p69)り。一時の流行語には、一寸せし機会より生ぜし、想像外の奇語あるを知るべし。

 早く幕明けないと、露探*1……。

*1:ロシアのスパイ