Gilbert Keith Chesterton The Napoleon of Notting Hill

 友人が滅茶苦茶面白いというので読んでみた。1904年に書かれた1984年を舞台にした小説。っつーことは「我が輩は猫である」と同い年なのか?
 19世紀終わりから20世紀初頭は未来予測がはやっていたみたいだが、チェスタトンはそれに唾を吐きかけるようなオープニングを用意する。ようするにあんまり変わんねんじゃね? って感じ。んでもってその時代、人々は革命の熱気も持たず、政治的関心もあまりなく、この世から戦争はなくなって久しく、軍隊もほとんど消滅。だけど別段暴動も起こらないから問題なし。官僚も国王もクジで選ぶことになっている。誰がやっても同じだから。
 しかしクインというエキセントリックな男がクジに当たって国王になったことから、段々話が変わっていく。政治の世界から真面目さを取り除いて、悪ふざけに精を出すぞ! と決めたクインは、面白いからという理由で失われた郷土愛を鼓舞する政策を実施する。各地方ごとに旗を持て、兵に町を守らせろ、ぷひゃひゃひゃひゃ。と、時代錯誤なコスプレ制度を施行する。
 そうしたら、ただの冗談だったはずのそれを真に受けた奴が出てくる。ノッティング・ヒルを司るアダム・ウェインという男だ。こいつが他の町の連中が道路を造るのに意固地に反対して、王の所に調停の養成がくる。
 おー、おまえ、分かってるねえ、おまえみたいなやつ大好きだよ、と初めはウェインの言うことに大喜びの王だったが、ウェインが大マジで、回りの都市と戦争おっぱじめるのも辞さないつもりであるのを知ると、真っ青に。だってこんな筈じゃなかったんだよね。ただのジョークだったのに。と、鬱になる王様を尻目に、都市対抗バトルの火ぶたは切って落とされた。(ってこのあらすじで合ってるのかイマイチ不安だ)
 何が面白いといって、冗談を真に受けられたら、それはもはや冗談ではなく、そこから世界が変貌していってしまうという展開。凄く重たい話のはずなのに、あくまで笑いとアイディアを忘れない書きっぷりも素晴らしい。特に最初の戦闘で数的に圧倒的不利だったノッティング・ヒル側がどうやってその劣勢を引っ繰り返すかというところは読んでいてワクワクした。木曜日だった男(感想)でもこの手のワクワクは感じたけれど、本作ではそれが実に上手く決まっていて、ポカーンとアハハが一緒にやってきた。これは英語で読んでいて、先読みする余裕がなかったからなのかもしれないが、すごくスッキリと笑えた。
 もうひとつ面白かったのが、新しいルールを作った奴がそのルール自身によって滅ぼされるという展開だ。ノッティング・ヒルの台頭によって、世界に郷土愛の概念が組み込まれた。そのことが巡り巡ってノッティング・ヒルを滅ぼしてしまう。世界を変えたウェインは変えた世界では似たような連中のうちのひとりに埋没する。この辺なんかは、「子供たちに語るポストモダンamazon)」に引き写されていたんじゃないかという気がする。それからウェインがクインに「あなたが作った世界ですよ」と言われて、クインが釈然としない気持ちになっている場面も、ポストモダンっぽい。おお、そういえば冗談のつもりだったのに、大マジに受け止められるっていうモチーフ自体も、作品は読者のところで焦点結ぶんだよ、っていうバルト(だったか?)の言っていることに先んじた理論の作品化じゃないか。
 ってな具合に色々連想しながら楽しく読んだ。残念なのは目下これが日本語ではお手軽に手に入らないこと。光文社古典新訳文庫さん、なんとかして。
 興味を持ってくれた人のために訳書の紹介もamazonで調べたところ「新ナポレオン奇譚」もしくは「新ナポレオン奇譚 チェスタトンの1984年」あるいは「G.K.チェスタトン著作集 10」のいずれでも、本作の訳は読めるようだ。まずは図書館で検索するのがいいかもと思う。
 それにしても面白かった。「木曜日だった男」を読んだときにも思ったが、百年前、すでにこんなことを考えていた人がいたんだなあ。

wikiソースThe Napoleon of Notting Hill(英語)