アンドレイ・クルコフ ペンギンの憂鬱

 タイトルと表紙に惹かれて読んでみた。作者はウクライナの作家だけどヨーロッパでの評価が高いのだとか。で、その評価を高めた作品が本作らしい。
 主人公のヴィクトルは憂鬱症のペンギンと暮らす売れない小説家。短篇を持ち込んだ新聞社からの依頼で、新聞の死亡記事(十字架と呼ばれる)を書く仕事を始める。取りあげる人物はほとんどがまだ生きている大物政治家や財界人や軍人たち。
 やがてその大物たちが次々に死んでいき、ヴィクトルの身辺にも不穏な影がちらつくようになる。
 冒頭、当たり前のようにいるペンギンのミーシャが良い。前半は主人公の回りの人間が死んでいって、十字架を書くことで、主人公に危機がという話なのかと思ったが、途中でそのラインは放り出されたような気がした。冒頭から50頁くらいまでは、何が起きているのか分からない緊迫感があって、凄く良い。そこからあとは失速していくというか、それなりに面白いけれど、散文的になってしまうというか。インパクトがあったのは、庭の防犯装置に使われていた地雷とか、ペンギンと同名の人間のミーシャが連れてきた娘のソーニャが行方不明になるところとか、ペンギンのミーシャを以前世話していたピドパールィというペンギン博士の存在とかだろうか。ピドパールィは病気で余命いくばくもないのだが、ひとりでブツブツ何か呟いている場面が非常に良かった。
 それからペンギンのミーシャが風邪を引くところが本当に悲しかった。

 訳者の解説によれば、

(クルコフの作品は)全編に不条理な恐怖がただよい、さりげないアイロニーと諦念、ペーソスとユーモアが響きあい、ファンタスティックな設定や風変わりなプロットが素朴でリアルな文体に支えられて、サスペンスあふれる優れた長篇に仕上がっている。

 ということになる。
 しかし読み終えた印象はこれとはすこしずれている。「ファンタスティックな設定」はそのとおりだが、全編に不条理な恐怖がただよっているかと言われると疑問だ。
 これは不条理という言葉に対する俺のイメージが訳者のそれといささかズレたためかと思う。
 不条理と聞くと、なんとなく迷子感というか、地図をなくした感じというか、世界の迷宮性というか、そういうものが書かれるんじゃないかと期待してしまう。そこを曲がるのかまっすぐ行くのか、どっちにしても間違いである予感がするという感じ。入り口も出口も見失ったような感じ、あまりにも迷宮なために、人間は決断する勇気を挫かれ、何もできなくなってしまう。世界によるヒーロー潰し。不条理な話と言われると、そういうものが書かれていて欲しいと願ってしまう。
 この物語はそんな風になるような予感はあったのだけど、これは結局地図が与えられている話だった。
 タイトルと出だしと表紙のイラストで煽られるだけ煽られてしまったからそう感じるのかも知れない。たぶん期待値が高すぎたのと、思いこみが強すぎた。
 しかしペンギンのミーシャは可愛かった。物語とは関係なく、ペンギンは可愛かった。それだけでも読んで良かった。たぶんペットを飼っている人なら読んで損はないし、もしかすると、もっとペットを大事にしようとなぜか思ったりするかもしれない。
 俺はこの本を外で読んでいたのだが、読んでいるうちにいても立ってもいられなくなって帰宅し、猫をなでた。そういう影響を本から受けることは滅多にない。

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