大塚英志+東浩紀 リアルのゆくえ

 大塚英志東浩紀が2001年から2008年までのあいだに行った4回の対談を収めたもの。「おたく/オタクはどう生きるか」ってサブタイトルで損をしてるんじゃないかと思われる。公民とか政治とかに関しての部分は別段オタクとか関係なかったように見えた。
 しかし見所はそんなところではなくて、これ実は大塚による東サーチの物語なのではなかろうかという印象が強い。
 読み出したときは知識人とか批評家という言葉の指す内容が、このふたりは違うんだろうなという気がするだけだった。大塚は知識人はオピニオンリーダーを引き受けるべき、というスタンスなのに対して東は知識人とは物知りのことである、みたいな。
 だけどどうもそれだけではないようだ、という気がしてきたのは、一個目の対談の終盤辺りからだったろうか。
 本書で見られる東の戦略というのは、相手のペースに乗らないということ。特に最初の二本はそうで、大塚が「おまえは何者なのよ?」という問いをさまざまに変奏して迫っていくのに対して、「ぼくが知ってるのはこういうことだ」と答えるみたいな、空転が続く。殴り合いを好むファイター対一発ももらわないことを信条にするボクサーみたいな構図。当然盛り上がるなんてことはなく、ファイター大塚のフラストレーションばかりたまっていく印象。大塚渾身のストレートみたいな問いかけにも東は微妙に質問を再定義するスリッピングアウェーみたいなディフェンスをみせて、かわす。しかもお前は何者で、何を考えているのかという大塚の言葉と同等、もしくはそれ以上のぼくはこんなことを知っているという言葉のラッシュを返すことで、対談してますよというアピールは忘れない。
 この二本の対談で終わっていたら、本書は駄本だったろう。大塚英志東浩紀の自分への言及を極端に嫌うという性質を示した。ただそれだけで終了。東の見せ場は、

大塚 八〇年代との対比で言えば、まあ分かるんだよね。ぼくたちは、バブルだったもんねっていう、香山が八〇年代はキラキラして好きだったという感じで、「楽しかったんだよ、実は」みたいなさ。
 ただまあ、そういう発言を粛々として聞いているだけだと、ぼくも突き上げをくらうので、ひとこと付け加えておきますが(笑)、その点で言えば、バブル世代は下の世代から軽蔑されかねないと思いますよ。「八〇年代はキラキラして好きだった」とか言われても、そんなのただのナルシシズムでしょう。新人類・オタク世代にはその幻想から卒業できない人たちが多いけれども、そんなのぼくたちには関係ないもの。

 というところくらい。あとはとにかくのらりくらりと知識の弾幕で相手を接近させないことに腐心しているような印象。引用部分も、新人類世代の大塚に切り込む理由は「粛々として聞いていると、ぼくも突き上げをくらうので」。どんだけ突っ込まれるのが嫌なんだ、いったい。いやそういう態度ってどっから来るんだろうとか、色々考えて、それはそれで面白かったけど。
 ところが、対談3回目の2007年、大塚はさらにさらに東を追いかける。パンチが当たらないことなんて気にも止めずひたすら前進していくファイターのように。数カ所で引用されている南京大虐殺へのコメントはその過程で逃げ切れなくなってきた東が苦し紛れにはなったカウンター狙いの一発という感じで出てきていた。しかしこんなラッシュが来たらどうすればいいのかわからないんじゃないか? そんななら、このあと対談する意味ねんじゃね?→ぼくはこういう解しか出せませんから→ないとしても、なんかあるはずだ。→ご指摘については分かりました→分かってもらてっても困る→あーだこーだ→大塚さんはぼくの人格を批判してますね→人格の批判じゃないよ
→大塚さんはなんでそんなに苛立つわけですか?→異質なものがあって、その異質なものときちんと議論をしていこうとすればこういう話になっていくし

 東、いくら逃げても振り切れない。で、ついに216ページ。東がキレた。

 では伺いますが、ぼくはこれから、どういうやり方をしてどういう方向へ行ったらよろしいのでしょうか。

 怒りが原因なのかはわからないが、ここからにわかに話が面白くなっていく。というかこのくだりでは噴き出した。別に限界が露呈したとか、東必死だなとかではない。まさかこんなに物語的展開になると思っていなかったのだ。えーと、あれ、「春季限定いちごタルト事件」のクライマックス、あれを見たような感じ。
 こっからお互いの思考というパンチが応酬され始める。ガチの感触とかみ合った(相対的に)議論のスリルが、何よりついに会話が始まったという達成感が溢れていて、こっからラストまでは一気だった。東が何を知っているのかではなくて、何を考えているかということを話しだしたあとはストレスもないし、刺激があった。大塚の粘りはすげえなと舌を巻いた。
 こっからのくだりは、読む方としては非常に面白かったのだけど、東的には不本意だったのかもしれない。というのは「あとがき」で、

 それにしても、今回ゲラを通読してあらためて感じたのは、なぜ大塚氏はぼくにこんなに苛立つのだろうという疑問である。なるほど、ぼくの発言には乱暴で挑発的なところがある。大塚氏の主張に対立する部分がある。それは自分でもわかる。しかし、本書を読めばわかるが、大塚氏の苛立ちには(とくに第三章では)明らかに過剰な部分がある。

 と書いて、読者の解釈を誘導しようとしているのか、エクスキューズなのかというような文が書かれていた。本当にわかっていないとはあまり思えないので、これは大塚のペースに乗せられてしまったことへの照れ隠しみたいなものなんだろう。実際、東のいう苛立ちというのは、読者である俺には、むしろ「はぐらかされすぎて困った」という感じのものに思われた。「乱暴」はあっていると思うが、東の発言は「挑発的」というなのではなくて、とりつくしまを作ってやらない発言に見えたからだ。
 この段階では、本書は大塚英志東浩紀を乗せて、対話しない批評家に対話をさせた。あるいは自分なんてものは隠しておくに限るという価値観を持つ知識人に自分をさらけださせた本という感じだった。あるいは他者に踊らされないで居続けることの難しさの具体例みたいな。
 ところが、最終ページでとんでもないことが明かされる。東のあとがきを読んだあとで、大塚があとがきの削除を要請してきたというのだ。おかげで東のあとがきは掲載されていない大塚のあとがきへのレスポンスというけったいなものになってしまった。
 なにがあったのか下衆の勘ぐりをたくましくするに、三章のかみあった議論で何かが前進したような気のしていた大塚には東のあとがきが耐え難かったのではなかろうか。いったいあれはなんだったんだろうみたいな。これがプロレス的演出でないなら、本文で大塚のラッシュに巻き込まれた東は、あとがきで一発カウンターをきれいに決めたということになりそう。
 この最後まで含めて、色々な意味で労作。面白かった。まったく触れなかったけど、内容もいろいろ考えるきっかけになってくれた。国籍法改正なんて話もあるだけに、あらたな公共圏モデルを模索するふたりの対話は刺激的だった。

リアルのゆくえ──おたく オタクはどう生きるか (講談社現代新書)
東 浩紀

4062879573
講談社 2008-08-19
売り上げランキング : 16923
おすすめ平均 star

Amazonで詳しく見る
asin:4062879573 by G-Tools

2013/08/25追記 キンドル版が出ていたのでリンクしておく。
リアルのゆくえ おたく/オタクはどう生きるか (講談社現代新書)
大塚英志 東浩紀

B00AJCLSSW
講談社 2008-08-19
売り上げランキング : 13772

Amazonで詳しく見る
by G-Tools