アルフレート・クビーン 吉村博次・土肥美夫訳『裏面 ある幻想的な物語』

裏面: ある幻想的な物語 (白水Uブックス)
ルフレート クビーン 吉村 博次

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白水社 2015-03-07
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 著者は20世紀初頭に、ブリューゲルゴヤムンクらの系譜を継ぐグロテスクな怪奇幻想の画家として注目された人で、カンディンスキーやクレーと交流があったらしい。本書はその画家唯一の長編小説。本屋で冒頭立ち読みしたら非常に面白そうだったため、その場は振り切ったのに忘れられず一週間もしてから購入。毎日ちまちま読んでようやく読了した。
 そんな魅惑の書き出しが以下。

 私の若いころの知人のなかに風変わりな人物がひとりいたのだが、この男の物語は過去に埋没させてしまわないようにするだけの値打があるだろう。このクラウス・パテラという名前に結びついているいくつかの奇妙な出来事のせめて一部分だけでも、ひとりの目撃者が体験した通り、ありのままに叙述してみようと、私はできるだけのことをやってみた。
 私がそんなことをしている際にある妙なことが起こった。というのは、私が良心に照らして自分の体験を書きしるしてゆくうちに、自分で立会ったはずがないし、ほかの人びとから聞き知ったわけでもないような二三の光景の叙述がそこにまぎれこんできたのである。パテラが身近にいるというだけで、想像力によるいかに奇妙な現象がある共同体全部のなかに生みだされたかということを、いずれ皆さんは耳にされることだろう。私のこのような不可解な千里眼の能力も、こういう彼の影響をうけたせいだと考えざるをえない。なんとかしてこれを解明したいと思われる向きは、わが国の大いに聡明な心理学者たちの著述を心にとめるようにしていただきたい。
 私がパテラと知り合ったのは六十年も昔のザルツブルクでのことだったが、その年ふたりは彼の地の高等中学校(ギムナジウム)に入学したのである。そのころの彼はかなり小柄ではあったが、肩幅が広く、せいぜい古代風に刈り込んだ美しい捲毛(まきげ)をした頭が人目をひく程度の若者にすぎなかった。まったくの話、当時のわれわれときたら荒っぽくて、無骨な鼻たれ小僧だったし、見てくれなどということは大して眼中にはなかったのだ。にもかかわらずこのことだけは言っておかないわけにはいかない。私が老境に達した今日でもなお、あのいくぶんとびだしたような、薄ねずみ色をした大粒の眼のことが、かなりよく私の記憶に残っているのである。しかしあの年頃に誰が「後日」のことなぞ思いめぐらしていたであろうか?

 で、帯が「夢幻都市ペルレの崩壊 奇怪な眠り病、瓦解する街、死と破壊の饗宴 幻想絵画の巨匠が描く終末の地獄図」だったりして、無駄に煽られたわけ。ってか、面白そうじゃない? 
 入学から三年後に語り手は転校し、ときは流れ、齢三十に達して、妻のいる画家兼イラストレーターとして暮らしていたところで、パテラからの使者を名乗るフランツ・ガウチュが彼の家の玄関を叩いた。パテラはある奇妙な偶然から前代未聞の富を所有し、「ひとつの夢の国」(これがペルレ)を建設した。そして、

夢の国の絶対君主であるクラウス・パテラは彼の国に移住なさるようにという招待をあなたに申しあげるべく、代理人としての私に委任されたのでございます

 そしてしばらく押し問答をしたあと、十万マルクの小切手を置いて、ガウチュは帰っていった。
 この段階で考えたのは、ペルレが崩壊する過程と一緒にパテラの哲学みたいなものが語られる話なんだろうなあと言うことだった。エキセントリックな独裁者が幼なじみに理想を語り、語り手は一瞬その夢に共感するんだけど、理想からこぼれたあれやこれやを眼にして、対決に向かう的な話。ところが全然そんな話にはならず、前半はカフカの『城』みたいに目的地に着けない話をしてる感じだった。町にはちゃんと着くんだけど、パテラに会えないんだわ。でもって、中盤にある出来事があったあたりから、段々よくわからなくなっていく。人によってはここからがたまらないのかもしれない。個人的にはいささか置いてけぼりを食ったが、ラスト近くになると置いてけぼりを通り越してぽかーーん(いや結構褒めてる)ってなり、そのままエピローグへ流れ込んだ。反省点は登場人物リストも作らずに読んでしまったことで、人物の関係が整理できていればすこしは追いかけられたのかもしれない。再読するときにはリストを作ろう。