『普賢|佳人』

 デビュー作「佳人」、「貧窮問答」、「葦手」、芥川賞受賞作品「普賢」の四本を収めた短編集。「佳人」は以前に読んだ(→感想)ので、今回は残り三つを読んでみた。共通するコンセプトは怒りなのだと思う。どの作品も饒舌体と呼ばれる息の長い文で綴られていて、話は行ったり来たり、飛躍あり、脱線ありなのに、その場その場の文を読むのが楽しく、技巧に満ちたものとなっているが、背骨には、俗物たちの見苦しさへの怒りと、その怒りを覚える自分への怒りがあるように感じた。変化への欲求とその挫折という展開も類似している。
 しょうもない女に絡め取られて、のめのめと金を失う「貧窮問答」、ヤクザの親分経営する下宿に住まって家賃滞納しつつ、家の娘との仲を疑われて、チンピラに命を狙われつつ、下世話な話の仲介役やら何やらに奔走させられてしまう「葦手」、もはや何が何だかよく分からない「普賢」、どれもとにかく怒っている。半ば自棄っぱちの語り手が、かすかな希望を見つけるがそれがこてんぱんに打ち砕かれ、どこかへ違う場所を目指そうとするけれど、それがどこにあるのかもよく分からないという展開には、悪魔狩り本部を吹き飛ばして牧村家へと戻る途中の不動明の姿がダブる。明がサタンとの戦いを放棄できなかったように、これらの作品の語り手たちも、世界に対して折り合いを付けられないまま、もとめていた希望の姿を見失った状態で彷徨を打ち切られる。
 「焼跡のイエス」や「かよい小町」と比べて、これらの作品に足りないのはユーモアで、設定した問題に真っ正面からぶつかって跳ね返されているような印象を受けた。どの作品にも書かれない作品が出てくるが、あれは自分的には、これらの作品が失敗した「その向こう」を描こうとしたものなのだ。
 個人的にはここに収められた作品群は石川淳が以後の作品において身につけた方法論(というか、それによって書けるようになったもの)を獲得しようとして失敗したことの記録であるように思われた。書きたいことはあっても、文体や物語やらのレベルではなく、発想法において、戦後の作品と較べたときには、洗練の足りないゴツゴツとした原石、本書はその原石の標本棚のような本である。もちろん単品でみれば悪くないが、同じ作者の他の作品よりも、本書の諸作品の方が生きながらえるならば、作者はきっと不本意だろう。
普賢・佳人 (講談社文芸文庫)
石川 淳 立石 伯

4061963201
講談社 1995-04-28
売り上げランキング : 89171

Amazonで詳しく見る

asin:4061963201
by G-Tools

追記2013/12/10
キンドル版が出ていた。確認時の価格は840円。
普賢 佳人 (講談社文芸文庫)
石川淳

B00GYTHTQ4
講談社 1995-05-10
売り上げランキング : 21985

Amazonで詳しく見る
by G-Tools