大槻ケンヂ『グミ・チョコレート・パイン[パイン編]』

 サイズを揃えたいばっかりに文庫に落ちるのを待ち続けていたのだが、ようやく読み終えた。チョコ編の衝撃的なラスト一行から俺の時間で六年が流れていたが、どう希望を提示していくかという点で、著者が前進できていることを知れて良かった。
 自分は「ステーシー」を読んだとき、「世の中は不条理である。だからそれを受け入れて暴れるしかない」というメッセージしか書けないことに大槻ケンヂの限界を見たような気がして、それきり彼の作品からは離れていた。グミ・チョコレート・パインのグミ編チョコ編はその前に読んでいて、完結編はどうなるのかと楽しみにしていた気持ちが、ステーシーで萎んでしまった。正直な話、期待してはいなかった。不条理だから暴れるしかないって自棄っぱちの論理を中心に語られるなら、大したラストにはならないだろうと思っていたからだ。
 しかし時間といくつかの操作を加えられることで、グミ・チョコレート・パインは当初のラインを逸脱し、個人的には予定以上の達成だろうと思われる結末に辿り着いている。
 伏線は自分の名前をもじったキャラクター大橋賢三を主人公に据えておきながら、チョコ編に大槻ケンヂ自身と思われる人物が顔を出しているところにあったのだと、すべてを読み終わった今になれば分かる。パイン編のあとがきにはこんな風に書いてある。

当初は「自伝的小説」のつもりでしたが、主人公たちの自由奔放な活躍により、私個人とはスッカリ別物の青春の物語りになってしまいました。

 まるで偶然のように書いてあるが、この作品がそういう方向転換をするのは必然だった。というのは、自伝的小説のままでは、自意識が邪魔をしてハッピーエンドへ向かえないからだ。語り口に明らかなように、本作品は思春期の自分を大人になった現在の視点から面白おかしく揶揄しつつ進めるという方法論が採られている。賢三は自分を他人とは違うと思っているが、根拠はなく、根拠がないことを自覚して悶々としている。作者はそんな彼の悩みすらありふれたものに過ぎないというスタンスで語りを進める。本人にとっては大問題でも一般論に直せばささいで小さなことでしかないような葛藤を乗り越えることでどんなハッピーエンドに辿り着けるのか。どんなカタルシスが得られるのか。そこで自棄っぱちのニヒリズム以上のどんなものを提出できるのか。
 この難題を解決せずにグミ・チョコレート・パインの完結はあり得ない。なぜというに、この作品は読者を笑わせ、時にホロリとさせ、そして励ますために書かれたものだからだ。
 チョコ編での「自伝的小説」という枠の破壊、そのターニングポイントとしての大槻ケンヂ自身の登場は、大橋賢三といういち悶々小僧の平々凡々たる葛藤を特別なものへと作り替えるために、どうしても必要なものであった。
 作者と主人公の紐帯を叩き切ることで初めて、賢三は物語的な展開へと踏み出す自立性を獲得したのだ*1。そして他のキャラクターたちも、それにつられるように物語的な人物へと変じていく。だからパイン編は前二作と較べて良い意味でリアリティーがない。前二作がリアルでしょっぱい青春記だとするなら、これは夢の話で希望の話だ。もちろん笑いどころは盛り込まれているが、その笑いは決して照れを笑いでごまかすようなものではない。そして夢の物語であればこそ、叫ばなければならないとき、きっちりと登場人物は叫ぶのだ。

「ダメじゃねーよ! ダメじゃねーって言えよ!」
 声を荒げながら、何も言わぬ賢三を押しつけ続ける。冷静なはずのカワボンの激昂に、タクオと山之上があわてて止めに入った。それでもカワボンはやめようとしない。怒鳴り続けるのであった。
「ダメだって思ったら俺ら本当にダメになっちゃうじゃねーかよ!」
 カワボンの声は震えていた。

 このあとカワボンから賢三は「俺らがダメじゃないってことを、賢三、お前が証明するんだ」と一方的に凄い荷物を渡される。だが、人の願いを引き受けることこそが英雄の条件であるなら、ここで初めて賢三は本作品の真の主人公になったと言える。
 そして、妄想を逞しくするなら、この場面を構想したとき、大槻ケンヂは「ポッケのない猫型ロボット」であることやめ、この物語をハッピーエンドに終わるべきこの物語を作者として引き受ける決断をしたのではなかろうか。
 まあそんな妄想はどうでもいいのだけれども、ついでにちっともまとまらないのでそろそろ止めておこうとも思うけれども、とか言っておいて酔っぱらいのスピーチのように話はまだ続くのだけれど、ひとまず忘れないうちにいま現在強く印象に残る場面をもう一つ引用。

「からっぽなんだね、君」
「そう……からっぽ……空だ」
「でもからっぽだからこそ、いくらでも詰め込むことができるわけじゃない」
「…………」
「失恋も同じだと思うよ。ふられてからっぽになったからこそ、逆に、いろんなものをその中にこれから新しく詰めこめるんだよ」

 ここがたぶん、グミ・チョコレート・パインの到達点だと思う。「からっぽなのは仕方ない」「所詮からっぽなのに」から「からっぽだからこそ詰め込める」への転換。「タチムカウ」で発せられた「ぼくらはガタガタ震えて」「ビクビク怯えて」「負けると知ってて」「ボロボロ泣きつつ」それでも「タチムカウ」それが「狂い咲く人間の証明」だというメッセージ、あるいは「戦え! 何を!? 人生を!」で発せられた「人生を戦え」というメッセージ、その具体的な姿をメッセージではなく物語としての姿を提示できたことの意義は大きい。人によってはこの転換に大した意味を認めないかもしれないし、中盤の賢三のイニシエーション的エピソードに白けるかもしれない(全然関係ない上によく憶えていないまま書くのだけど、そのくだりを読んでいるとき、なんとなく今野敏の「慎治」を思い出した)が、この一歩を踏めるか踏めないかで、物語は続くのか朽ちるのかが決まってしまう部分が絶対にあると思う。もしこの一歩がなければ、本書を解説(ではないけど)している滝本龍彦の「NHKへようこそ」と似たようなラストへ着地せざる終えなかっただろう。

 それはそれとして、本当に酔っぱらいのスピーチめいてまとまりがなくなってきたがこの上までが本編でこっからはおまけ。っつーかなんとなく続けているだけなので、上以上に適当な話。
 滝本が「NHKへようこそ」を書いたおかげで、大槻ケンヂと橘高文彦のユニットが生まれ、そこから筋肉少女帯の復活が見られることになったのは、因果応報というかなんというか、できすぎた話だと思った。妄想逞しくするならば、希望を示しあぐねて、倒れた筋肉少女帯をファンの情念があの世から呼び戻したとでもいうようなドラマに思えてしまう*2

グミ・チョコレート・パイン パイン編 (角川文庫)
大槻 ケンヂ

4041847141
角川書店 2006-11
売り上げランキング : 150390
おすすめ平均 star

Amazonで詳しく見る
asin:4041847141 by G-Tools

2013/08/25追記
キンドル版が出ていたので三作品まとめてリンクしておく。現時点での価格はグミ編・チョコ編が580円、パイン編が609円。なんでグミ編とパイン編の表紙が同じなんだろう。それはさておき、これをきっかけに新たな読者を獲得できるといいな。数年前、知り合いと喋っていてこの本の話になった。高校生当時、この作品を読んだ仲間数人がみんなで「おれだ。これはおれの話だ」と言っていたのだとか。気持ちはなんとなくわかる。ウェルテルとか人間失格とかが「ここにいるのは自分だ」って気持ちを掻き立てる作品だとすれば、これは二十世紀の終わりに書かれたそういう系譜の作品だろう。

2019/03/04追記

久々に読み返して上記の追記に眼がとまり、ほとんど忘れていたエピソードだったので記録しておいたよかったと思った。この知り合いはもういない。
今思い出したがこの本の話になったのはおれが「大槻ケンジのセンスはきみみたいだ」と相手に言ったから。普通の話もそいつが話せば大笑い的なところがよく似ていたのだ。

グミ・チョコレート・パイン グミ編 (角川文庫)
大槻 ケンヂ

B00EAEYDSW
角川書店 2002-01-11
売り上げランキング : 1272

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

グミ・チョコレート・パイン チョコ編 (角川文庫)
大槻 ケンヂ

B00EAEYDZK
角川書店 2002-01-11
売り上げランキング : 22454

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

グミ・チョコレート・パイン パイン編 (角川文庫)
大槻 ケンヂ 江口 寿史

B009GPMT90
角川書店 2006-11-25
売り上げランキング : 20786

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

*1:ラストはこの作業なくしてはあり得なかった。

*2:もちろんそんな話じゃないでしょうとも。