空き巣狙いと空き巣と明巣

 東京の下層社会 (ちくま学芸文庫)紀田順一郎 ちくま学芸文庫)に、桜田文吾の「貧天地饑寒窟探検記」に書かれた明治十九年大阪の名護町*1で採集された隠語が引用されている。その中に「空き巣狙い」というのがある。現代でも使ってる留守宅に忍び込むという意味の言葉だが、同じ紀田の本に拠れば、当時これは新語で、6年後の明治25(1892)年になってようやく「日本隠語集」(稲山小長男編)に収録された程度に一般的な語彙になったらしい。同じ二十五年に樋口一葉が書いた「たけくらべ」に、この単語が見えるということも同書には書かれている。

さすがに貧民窟に近いところに住んでいた樋口一葉が『たけくらべ』(一八九五)で早くもこの語を用いていることに注意すべきであろう。

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 調べてみたところ、「日本隠語集」は明治二十五年八月六日出版*2で、「たけくらべ」の連載が同年一月から始まっているので、隠語集を見てということはないように思ったが、驚いたことに青空文庫の「たけくらべ」を検索してみたところ、「空き巣狙い」はヒットせず。
 こりゃどういうこっちゃ? とあれこれ入れてみたら、「あきす」だと一例あった。「十」が始まってすぐのところ。

誰れもお前正太が明巣(あきす)とは知るまいでは無いか、何も女郎(めらう)の一疋位相手にして三五郎を擲りたい事も無かつたけれど、萬燈を振込んで見りやあ唯も歸れない、ほんの附景氣に詰らない事をしてのけた(以下略)

樋口一葉 たけくらべ

 明巣で「あきす」と読またらしい。見落としがあるかもしれないと「ねらい」や「狙い」でも検索してみたがヒットせず。しかもこの文脈での「あきす」の意味は、ざっと見た感じ「不在」ってことでしかなくて、「空き巣狙い」からはほど遠いように思う。
 そうするとにわかに気になってくるのが、日本隠語集に「空き巣狙い」が収録されているのか? ということである。もし明巣で「あきす」しか「たけくらべ」に出ておらず、しかもそれを使用例として数えているなら、当然「空き巣狙い」が収録されているというのも怪しくなってくるわけで。
 ということで、前出のデジタルアーカイブをちょっと眺めてみることにした。全部はとても目を通せないので、目次*3から第七類に狙いをつけてカチカチ見ていったところ205にアキス発見。漢字はあてられていない。しかも茨城県で収集されたものであるように読める。
 210ページにも「アキス」とあり、説明は「明家のことを言う」。これは岡山県の例らしい。

 今度は第一類をチェック。16ページにアキス発見。
 そしてあった! 17ページの一つめ「アキスネライ」発見! 定義は「留守の宅を窺い入ることをいう」で、漢字は特に振られていない。

 ではでは、そもそもの「貧天地饑寒窟探検記」ではどのように表記されているのか。気分的にもう止まらない具合になっているので検索かけて本文(デジタルアーカイブ)へ。目指す単語は56ページにあった。

(空巣睨ひ)とは、留守宅を窺ひ忍ひ入るなり。

貧天地饑寒窟探検記 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 で、話は大幅に脱線してしまったが、あれこれ見てみたところ、「空き巣狙い」は当時の隠語で確かに「日本隠語集」にも収録されているが、別項にアキスが立てられている以上、紀田の書き方は少し乱暴ではないかと思った。しかしながら、アキスという言葉だけを取り出して考えるならば、明治二十五年段階でかなり普及していた言葉であるようで、それだけ流浪する人がいたのかもしれないなあ、なんてことも考えた。
 ダラダラ調べていたら、どんな結論を求めて調べだしたのかを忘れてしまったので、この辺で止めておく。たぶん「貧民窟に近いところに住んでいた」ので、一葉はその言葉を知っていたという流れに引っかかったのだと思うのだが、そこに文句をつける必要もないようだ。