がんばるについて

 昨日友達とあれこれ喋っているうち、ふと頑張るという言葉が気になった。この言葉非常に使い勝手が悪いという印象があって、ことに「頑張らなくても良い」と言われたときに、激しい違和感をおぼえるのだが、それは頑張るを否定したところで、状況はさっぱりよくならないことが多い気がするからで、もう少し正確な言い方はないものかとよく考えていたからなのだが、この「頑張らなくても良い」というフレーズは、むしろ「必死こかずにがんばりましょう」という意味なのではないかと思う。少なくとも俺はそうできるなら頑張らないよりも「必死こかずに頑張る」の方が、あれこれ好転することが多い気がする。なんでかというと、「頑張る」というと「必死こいて頑張る」というイメージがまとわりつき、たいていの人が疲れてしまうのは、頑張るよりもむしろ「必死こいて」の方に対してであるように思うからだ。疲れている人に「頑張ってね」と言うのがタブーであるのは、それが「もっと必死にやりなさい」というメッセージとして伝わってしまうからじゃないかと個人的には考える。
 で、国語辞典をいくつか当たって、大辞泉のがんばるの項目がこんな風になっているのを見つけた。

1.困難にめげないで我慢してやり抜く。

「困難にめげないで」というニュアンスを拾っているのが素晴らしいと思う。人に頑張れと言うとき、我々がもっとも伝えようとするメッセージはこの「めげないでね」という意味ではないだろうか。
 では頑張れ、あるいは頑張るという単語の「必死こく」感じはどこからくるのかといえば、当然「我慢して」の部分にあって、むしろ辞典の定義ではどれにもこの言葉が取り込まれているのだけれど、今朝ふと「それって頑張るのニュアンスよりも寧ろ気張るとかの意味じゃね」と思いついた。同じ大辞泉によれば、気張るの意味はこんな感じになる。

1.息をつめて力を入れる。いきむ。
2.気力を奮い起こす。いきごむ。

 2の方の意気込むというのが、頑張れと言われたときに要求されると感じられる心的態度であるのは明らかだ。
 だが実際問題、いきごまずに頑張ることは可能だし、継続して全力を投入することが要求される局面において、いきごんでいるのはマイナス要因になることが多い。
 がんばるときばるは当然同じ単語ではないし、担う意味も違う。この二つの言葉の分化がしっかり行われれば、世の中もっと楽に生きられるのではなかろうか。
 ふたつがしっかり分かれて初めて「がんばれ」と言う人の込めたメッセージ「なんにもできないけど応援してるよ」*1は、相手にちゃんと届くのだ。

*1:考えてみると、「頑張れ」というのは物質的援助、方法的援助が不可能だという前提に対する諦めを発する方が認めている言葉でもあるかもしれない。