当たり前の話

 昨日というかおとといというか、若者に混じってカラオケをしてきた。意外な曲が聴かれていた(今の18がシャム・シェイドを聴いているなんて、想定外ですよ)り、知らない曲を教わったりと楽しく過ごしたのだけれど、その中で非常に印象に残ったのが、彼らが俺の知っている曲をどういう風に記憶と結びつけているかということ。
 ある曲の発表年代を見れば、何歳の時の曲というのは頭ではじき出せるから、「この曲が出たとき○○歳でした」「マジで!」という会話には本当はそれほどのインパクトがない。
 驚くのは、たとえばTMレボリューションの「バーニンクリスマス」を歌ってみたら、他の人に「ぼくたち、体育の先生に、これをBGMにして縄跳びをやらされました」とか、ラルクの「STAY AWAY」を見つつ、「これ、小学校の時、給食中にかかってました」とかいう発言を聞いたときで、なんつーか、大人になってからのヒット曲にそんな使われ方があったのかと驚いたというか、すくなくとも自分の中ではそんなイメージがそれぞれの曲に対して微塵もなかったので、本気で「そうなんだー」と言ってしまった。だってよ、落としたライター拾って目に止まった足が眩しいもんだから思わず「ラッキー」とか思っちゃう自分が嫌だなんて歌をバックに百人からの中学生が縄跳びしてるところとか、想像したこともなかったんだもん。
 しかし考えてみれば、カラオケに行ったメンツはみんな安達祐実よりもSPEEDの元メンバーたちよりもあややよりも若く、ひとりに至っては加護亜依よりも福原愛よりも年下なのである。そりゃあ2000年前後のヒット曲は給食を食いながら聴いているに違いない。
 俺はこの話を聞きながら、「相対性理論」とか「世界の多様性」とかそんなことを考えた。メガヒットした商品に結びつくエピソードを丁寧に集めて並べてみたら、誰にとっても驚きの多彩なインデックスができる気がする。
 得難い体験をした。