リンドン・ジョンソンによる「チェンジ」への貢献

 ニューズウィーク日本版の最新号に「これが新時代のアメリカの顔だ」というジョン・ミーチャム編集長の記事が載っていた。記事の内容は20世紀における移民受け入れのステップを概観するような内容で、知らない話だったので面白かった。忘れないうちにメモメモということで。

 20世紀最初の十年間、アメリカにはヨーロッパからの移民が多くやってきていた。イタリアから190万、ロシアから150万、オーストリア=ハンガリー帝国から200万人の意味が流入した。1910年段階での外国生まれの人口は1350万人。その87.4%はヨーロッパ出身。
 この状況の中、1909年に、ヘンリー・ロッジ上院議員が移民者に対する英語の読み書きテストの導入を提案。このテストを含めた移民規制法が1917年に制定される。20年代には西欧と北欧の移民を優先的に受け入れ、ユダヤ人やアジア人を排除する出身国別の移民割当法が作られる。
 このあと第二次世界大戦を挿んで1952年にマッカレン=ウォルター法が成立。これは国籍取得に関わる人種的な制約を撤廃した法律らしい。これ以後、日本人移民でもアメリカ国籍が取得できるようになったとこちらのサイトに書いてあった。
 さらに1965年、ジョンソン大統領が東欧と南欧からの移民を受け入れる目的で移民帰化法に署名。この結果(狙っていない結果)としてアジア系・中南米系の流入が増えた。

 70年代以降の法律には、この記事は触れていないけれど、面白い指摘はまだあった。それは「ミレニアル世代は肌の色にこだわらない」という部分。「ミレニアル世代」というのは1980年〜2000年前後に生まれた世代を指す。ニューズウィークでは92年に行った世論調査と比較をして、この世代は「人種・民族間の垣根を意識しない傾向がある」と分析している。この部分がオバマの当選を後押したと見ている。「チェンジ」の裏側には上で引いたような法制定による人種構成比の変化があった。
 そしてその変化をミーチャムは「リンドン・ジョンソンのおかげだ」としている。ジョンソンと言えば、ベトナム戦争と結びついたり映画ではケネディ暗殺の主犯にされたり、あまり芳しい評判を聞いた記憶がない、という印象を持っていたんだけれども、上で引いた移民帰化法の署名の他、公民権法の署名*1も行っている。もしかするとこうした動きも白人層から売国奴扱いされて、イメージを悪くしたのかもしれない。
 大統領としての評価はともかくとして、ついでに政策実行の動機もともかくとして、目の前の支持率よりも大事なものがある人をトップに持てる国ってのは、やっぱり凄いんじゃないかと考えた(とはいえ選挙で選ばれたわけじゃないんだけどね)。

 ところでウィキペディアを見てみたらこんなエピソードが見つかった。

サインペンが世に広まったのもジョンソンの功績である。大日本文具が「新しいペン」としてサインペンを発売したが、日本では全く売れず、アメリカに活路を求めてサンプルを配布したところ、全く偶然にジョンソンが一本入手。ジョンソンはこのペンを気に入り大量注文。この話が全米に伝わり爆発的に売れ行きが伸び、その勢いが日本に逆輸入されるほどであったという。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%B3

 大日本文具は現ぺんてる。そういえばどっかで読んだことのあるエピソードのような気もしたが、忘れていた。
Newsweek (ニューズウィーク日本版) 2009年 1/28号 [雑誌]

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関連:大統領就任演説(ケネディ以降ジョージ・W.ブッシュまで)
 ジョンソンの就任演説をチラ見してみた。下の部分が印象的だった。

第一に、正義は、旅をする全ての人が土地からの実りをわけるという約束です。

とても豊かな土地では、家族は希望なき貧困にあえいで生活するべきではない。豊かに実りがある土地では、子供たちは飢えるべきではない。奇跡の回復を行う土地では、隣人はほったらかされ、苦しんで死ぬべきではない。学問と学者の土地では、若い人々は読み書きを教わるべきである。

*1:ニューズウィークではこの法律に署名したあとジョンソンは「これで当分、南部は共和党のものだと嘆いたという逸話が引かれている。実際このあと40年にわたって南部は共和党の票田になった。