リップマンのアリストテレス批判

「世論(上)(amazon)」で非常に印象的だった箇所のひとつに著者のリップマンがアリストテレス奴隷制擁護論を批判している箇所がある。アリストテレスは「自然によって奴隷になったという人々がいる。そういう人間は自然によって奴隷に形づくられており、ほかの人間の奴隷となるのに適している。そういうわけで奴隷なのだ」と書いているらしい。リップマンはこの言葉を「論理的に無価値」とし、この話のどこがおかしいかを検証している。

彼はまず初めに、自分と諸事実の間に大障壁を建てにかかる。奴隷である人たちは自然の意志によって奴隷であるようにきめられていると彼が言ったとき、たまたま奴隷になったその特殊な人たちが自然の意志によって奴隷であるようにきめられた当の人たちであるのかどうかという、決定的な疑問を一蹴してしまったのである。もしこの問いが発せられたら、奴隷の個々のケースに疑わしいものがでてくることになりかねないからである。
 さらに、奴隷であるという事実によって、ある人間がそうなると運命づけられていると証明することはできないから、そうした問いが発せられた場合、自説の証明を試みる確実な方法もなかったであろう。(中略)所有者の目が奴隷たちをそのように見るように訓練されたとき、彼らの本性が奴隷の本性であることを証明する事実として奴隷たちは奴隷の仕事をするのだということ、奴隷の仕事をするのに有能であること、奴隷の仕事をする筋肉をもっていることに、注目することになるであろう。

 しかしリップマンが言うように、アリストテレスの方は「奴隷制度継続にふさわしい奴隷観をギリシャ人に教えなければならない」と思っていたのだろうか、というのが疑問として残った。結果としてそう解釈できるとしても。