「在日外国人」をちまちまと読み進めていたら、こんな記述にぶつかった。1995年、阪神大震災一ヶ月後の話。著者は被害調査の旅行に参加して、神戸市長田区にいた。
宗教団体、武道団体、青年団など、あらゆる種類のボランティア団体が集まっている。公園のちょうど真ん中のあずまやの表に大きな布の横幕がかかげられ、アハマーディア・イスラムと書かれている。他のボランティア団体の炊き出しにならんで、バングラディッシュかパキスタンからやって来たと見える人が大きなかまどの上にすえられた鍋から玉杓子ですくって、熱いインド料理風のお粥を道を行く人たちに提供している。前を通るさまざまの年齢の人がたちどまってはお粥をもらってゆく。
興味を持った著者が話しかけると相手はグループのテントに連れて行ってくれた。そしてリーダーらしき人との対話が始まる。彼らはアハマーディア・イスラム。世界中に災害ネットワークを持ち、地震、水害、火山爆発などあらゆる自然災害の被災地に誰よりも早く到着することをモットーにしている。長田区に入ったのは震災から中一日おいた1月19日。
本書によれば、アハマーディア・イスラム派の信者は世界で1000万人。本部はパキスタンにある。
俺はこの人たちのことを欠片も知らなかった。
ところで、このくだりを読んで思い出してビックリしたことがある。
阪神大震災のボランティアというのは、個人的な認識に過ぎないけれども、ひどく割を食った人たちだと俺は考えている。というのは、直後にあったオウム事件の影響で、「ボランティアなんて自分探しの一環に過ぎません」と揶揄されたからだ。人助けして空っぽな自分を埋めてるに過ぎないという指摘を最初に受けたのは彼らだったと記憶する*1。いつの間にか、自分探し=痛いはコンセンサスになった。俺もそのコンセンサスは必ずしも外れているとは思わない。しかし考えてみれば、あの震災がターニングポイントになって、そのようなコンセンサスが生まれたのは、なんつーかうすら寒い話だな。だってさ、外国人が救援活動とかやってるのに対して、同国人は何言ったって「あんなもん自分探しじゃん」だぜ? いや記憶にないだけで、たぶん俺もその手の発言をしたんじゃないかと思う。少なくとも、そうした指摘を見て、「なんと褒めることが難しい世の中になったものか」と思った記憶はあるが、「そんな指摘は間違っている」と思った記憶がない。これが本当の黒歴史って奴だろう。馬鹿の見本って奴である。そのとき「書いた奴は糞!」くらい思っていれば、今から振り返って自分素敵って思えたのに。くそう。
脱線した。本論に戻る。このアハマーディア・イスラム派は本国パキスタンでは、1984年に異端として宗教活動を禁じられた。結果、「神の名を口にするだけで処罰されることになって」おり、「アラー・イクバルというきまったあいさつをするだけで懲役刑をうける」ことになってしまった。それで彼らは日本にやってきた。2000年現在の時点では名古屋を中心に50人が難民申請をした。結果難民認定されたのは……ひとりだ。彼らが震災のボランティアをしてくれた95年、名古屋高等裁判所は難民不認定処分取り消しをもとめる八人の信者の訴えを棄却している。名古屋入国管理局のコメントも出ているので引用する。
申請者が実際に命が危ういというほどの証明が得られなかった。パキスタンのアハマーディア派が全員こまっているというわけではないようだ。
果たして入管のコメントが妥当なのかどうか、俺には判断できないが、同書には「難民申請者と難民認定者の推移」というリストがあったのでそれも引く(同書86ページ)。正直、これを見ると、なんだかなあと思わずにいられないが。
年 | 申請数 | 認定者数 |
---|---|---|
1982 | 530 | 67 |
1983 | 44 | 63 |
1984 | 62 | 31 |
1985 | 29 | 10 |
1986 | 54 | 3 |
1987 | 48 | 6 |
1988 | 47 | 12 |
1989 | 50 | 2 |
1990 | 32 | 2 |
1991 | 42 | 1 |
1992 | 68 | 3 |
1993 | 53 | 6 |
1994 | 73 | 1 |
1995 | 52 | 2 |
1996 | 147 | 1 |
1997 | 242 | 1 |
1998 | 133 | 16 |
1999(8月末現在) | 133 | 11 |
このあとどうなっているのか気になってググってみたけれど、見つけられたのは、難民支援教会(ウェブサイト)の法務省発表「平成20年における難民認定者数等について」という記事くらいだった。それによると昨年は以下の通り。
・難民認定申請者:1,599人(内訳:ミャンマー(ビルマ)979人、トルコ156人、スリランカ90人、ほか374人)
http://www.refugee.or.jp/jar/topics/other/2009/01/30-1100.shtml
・認定数:57人(内訳:ミャンマー54人、ほか3人)
・人道配慮による在留許可:360人(内訳:ミャンマー328人、ほか32人)
誤読だったらあとで訂正するけれど、気になるのは、1983年のデータ申請44に対して認定63。たとえば1997年の申請242、認定1ってデータはそれだけで大概にせえよというパーセンテージを示しているけれど、83年の数字から考えると、この1は242人のうちのひとりではなくて、そこまで数年分のひとりってことになる(んだよね、たぶん)。いったいどんな基準で難民かそうじゃないか判断しているのか、問いつめたくなる10年前の日本だ。が、データを見つけられていないここ十年間で状況が劇的に改善したとも思えない。「ブエノス・ディアス・ニッポン(感想)」にも書かれていたが、9.11の影響があったからだ。同書には、事件直後、アフガン爆撃が行われた前後に起きたアフガニスタン人難民申請者に対する一斉収容、一斉退去強制処分の話が言及されている。それによれば、
ハザラ人を中心とする庇護を求めてやってきたアフガニスタン人が、難民申請の受理すらされないまま、身柄を拘束される。そして、次つぎに、戦乱の続くアフガニスタンに向けた「強制送還」が命じられたのである。
とある。ちなみに「在日外国人」によると、庇護を求める人たちの数は難民申請を行う人たちの数よりも多いらしい。そこにはこんなメカニズムがあるという。
庇護希望者の多くは、短期滞在のビザで入国し、入管法上は超過滞在となっている。日本政府の厳しい姿勢を見て、申請→申請却下→退去強制処分→出身国への送還、という結果になることをおそれて申請を控えているのである。
で、その結果、我々は彼らをこう呼ぶわけだ――不法滞在者と。これはいったいどういう冗談なんだろう。すくなくとも俺には笑えない。
在日外国人―弁護の現場から
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追記:ウィキペディアの難民の項目にはこうあった。
一方で、山がちな地形が多いため人口に比して居住区域が少なく、歴史的にも他民族との積極的な関わりを殆ど持たなかった日本では、大量の難民を一気に受け入れるのは現実的に不可能との指摘もある。
難民 - Wikipedia
「大量の難民を一気に受け入れるのは現実的に不可能」という指摘がどの程度の妥当性を持つのかは分からない(ある程度当たっているかもしれないけど)が、上の認定数の推移を見るに、大量の難民を受け入れられないというフレーズが可能な限り受け入れないの言い訳になっているように思われる。だとしたら、日本が「難民の地位に関する条約(ウィキペディア)」に加入しているのはどういうわけなんだろうか。なんだか妙な話に思える。
関連リンク:東京アフガン人難民申請者収容メディア報道(在日アフガニスタン難民問題の現在)
追記:id:seijigakutoさんから難民申請者数と認定者数(含インドシナ難民)を教えてもらった*2。ここで2008年までの数値が追いかけられる。是非見て欲しいと思う(というかe-politicsにこの項目があるのを見つけていたら、この記事書かなかったかも)。
そこからのリンクで入国管理局−統計−を知ったので、こちらもリンクしておく。
また「日本の場合は、在特を合わせた人数を見た方がいいと思います/別枠のインドシナ難民だけは数が桁違いに多いです」という指摘も頂いたので、在特の数字が出ているところにもリンクしてみる。
・「在留特別許可」許可者数の推移
合わせた数字をどう考えるかはひとまず考え中ということで。ご指摘感謝>seijigakutoさん。
*1:裏は取ってない。もしかするともう少しあとの何かだったのかもしれない。と思ったら、確かそんなような主張をしていたはず(うろ覚えっつーか、ほとんど憶えてないっつーか)の『天使の王国 : 「おたく」の倫理のために 』が1991年に出ているらしいので、もっと前からだったのかも。詳しい人がいたら教えてもらいたい。
*2:seijigakutoさんの運営しているサイトe-politicsのデータ。