シートン(探偵)動物記

 動物記で有名なシートンを探偵役に据えた七つの作品からなる連作短編集。シートン動物記*1をまともに読んだことがなかったが、そんな俺でも分かる狼王ロボの話から始まるので、すんなりと世界にはいることができた。どれも面白く読んだが、なかでも冒頭に置かれた「カランポーの悪魔」は抜群に面白かった。題材をまさに俺でも知っていたロボのエピソード。

 書き出しはこんな感じ。

 ……わたしがあなたのことをどう思っているか、言いたいと思います。あなたは最低のひきょう者で、ざんこくな人です。ほんとうにひどい人で、心もない人です。わたしがあなたについて思っていることは、それだけです。

 これは「子どもたちの手紙(1899年)ー私の知っている野生動物を読んだ子どもたちからの手紙をまとめた小冊子」に載った実在する文章である。物語の発端で、語り手のわたしは「ロサンゼルス・タイムズ」の記者として、発表されたばかりのシートンの「自叙伝」への書評記事を書くため、シートン宅を訪れる。自叙伝には書かれなかった隙間エピソードを拾えるかもしれないと思ってのことだ。

 その取材で「わたし」がシートンから聞き出したいことのひとつは、引用した手紙がなぜ、「子供たちの手紙」に掲載されたのか、それも一番最後という目立つ位置にということだった。疑問をぶつけられて、シートンはこう答える。

「それは、この手紙が私にとっていちばん嬉しいものだったからです」

 なぜ? と「わたし」は驚くが、その答えを知るより早くシートンはこんな言葉を続けた。

それについては面白い話があります。……おかしなものですね、今まで誰にも話してなかったのですが、今、きゅうに思い出しました。もっとも、面白いと言っては少々語弊がある。なにしろ、これには恐ろしい殺人事件が関係しているのですから」

 こうして我々は狼王ロボとシートンが出会う前夜に起きた殺人の物語へと導かれていく。
 そこで展開されるお話はよくできた謎解きの物語であり、他の作品同様、著者はただ謎が解けるだけの話を書いているわけではない、分かりやすい寓話としても読める作品に仕上がっている。だけでなく、さらにその外側に解かれない謎が謎に見えない姿で置き去りにもされている。はてなの感想を見た限り、その置き去りにされた謎は気づかれている気配もない(のは、根本的にネタバレだからか、さもなければ、この謎が俺の頭の中にしかないか、どっちかだろう。)。けれど俺の勘違いでなくこの置き去りにされた謎があるとするなら、それはたぶんミステリ好きのために用意された謎ではなくて、文芸評論みたいなことをやりたがる人向けの謎なんだろう。ミステリである以上に、この話は稗史として書かれているのだと思われる。どうしてもネタバレになるので書けないけれど、こういう深読みを成立させてくれる柳広司の作品が、やっぱり俺は好きだ。すげえ面白かったし、胸を打たれた。
 
関連リンク:
やぶにらみの鳩時計@はてな 柳広司『シートン(探偵)動物記』(光文社)レビュー

作者が、過去に歴史上の偉人を<名探偵>に据えて、あるいは<歴史>そのものを、それを背負った人間を<名探偵>に据えてきたのは、作者が「<歴史>小説」を、<神>の視点からでも、もしくは権力=体制からのでも“歴史学者”からのでも、さりとていわゆるオーラルヒストリー的なものでもなく、それらとは違った新しい視座を仮構する意識はあったはずだ。柳が「探偵小説」の素材やテーマを<歴史>から汲みだしてくるダイナミズムは、島田や柄刀が現代社会・科学・医学などから“奇想”を生み出す際のそれと、比肩する。

シートン(探偵)動物記 (光文社文庫)
柳 広司

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*1:このタイトルの本は日本にしか存在しないんだって。知らなかったよ。