例のゲームの件について2・あんまりにも長いので自分でも驚いた。 

 この記事の続き。
例のゲームの件について。結論はないよ!

ブクマなどへのお返事

 まずブクマでこんな意見を頂いた。

rag_en ゲーム, 社会 プロとはいえエロゲ会社ってそんなに強いのかな…と思った。 2009/05/13

rinsenan 正論 表現と飯の種のかねあいはムズかしい 2009/05/14

 id:rag_enさんのご意見に「強いに決まってるよ! プロだもん!」とか言い返すと、友人の成人ゲームライターから本気で殴られかねないし、そっからちょっと伝え聞いた話から考えても、強い弱いでいえば、そんなに強くないと俺も思う。id:rinsenanさんの感想にも、「まったくです」と思うし、「強者であるゲーム会社が」と言っているわけでないことをご理解いただけるとありがたい。

 それから山口弁護士の記事に対する俺のコメントにid:seijigakutoさんからこんなご意見を頂いた。なんで俺が納得できないのかという点について、という風に読ませていただいた。

一定以上の納得感があるロジックが選択されたならば、それに納得するかしないかも、その言説を受け取る人の価値観に依拠する事が多く、gkmondさんが納得しないのは、外国人問題に関心をもって「反差別」という価値観の優先順位が上がってきたからであり、それに納得する人は「表現の自由」の優先順位が高く、「反差別」という事の優先順位はそれ程でもないからだと思います。

 自分としては、このふたつの優先順位を決めかねているので、「納得しない」というよりは「納得しきれない」って感じが近いと、すでに返信済みだが、改めてご意見に感謝したい。

 書いて、反応いただいて考えてなんとなく見えてきたことがあったので、忘れないうちに書き留めておく。ものすごく長いけど(三行でまとめて欲しいひとにはとても勧められない分量です。)。

表現の自由はどこまで保証されるのか

 今回の件で「表現の自由」を声高に主張する人々の意見に違和感を覚えたのは、「異議を出したこと自体が許せない」って読める主張と、「販売停止を求めるのは間違い」って主張を連続で見たためだった。
 seijigakutoさんからのご意見をいただいてから、つらつら考えなおしてみたんだけども、前回の記事を書いた段階では、「文句付けることにまでケチをつけるのはどうなのか?」というのが個人的要点だった。なのでその段階では確かに「反差別」と「表現の自由」を天秤にかけていた。その結果非常に座りの悪い記事になった。

 で、優先順位を決めかねている以上、○○だが、やはり××みたいな結論を支持しても言ったことが嘘くさく感じられそうだったので、もう一回考えてみることにした。

 まず俺の疑問は「表現の自由」には「流通の保証」が含まれるのか? という問いである。一応日本国憲法の第21条ってのを引いてみる。

1.集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2.検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

 ここでいう「自由」とは何だろうか。なんも調べてないからこっからあとに書いてあることは基本的に故意ではないけれども出鱈目(っつーかたぶんに間違いが含まれる)であるのであまり真に受けないでいただけると嬉しいのだけど、ここで保証される自由とは言論や作品を理由に処罰されないということだと俺は解釈した(追記:6月15日伊藤正己って人の「憲法入門」を読んでいたら、156頁に表現の自由は「本来話す自由、書く自由であったが、現在はあらゆる思想や意見を自由に聞く自由、読む自由としての面もきわめて重要であり、送り手の自由とともに受けての自由も保護されていると考えてよい。」とあった。ということはこの辺の主張は微妙になってくるかもしれない。)。これは「おまえの言うことがどんだけムカついてもおまえの発言権は全力で守る」っていうどっかの偉い人の言葉を併せて考えた結論。


 で、自分はこの想定を採用するので、「流通を抑える」ことが非難されるのはおかしいと思う。これは法規制には絶対反対という意見とも矛盾しない(はず)。確認のため、とってつけたようにウィキブックスを引いてみる。
検閲と事前抑制の禁止

憲法21条2項は、検閲を絶対的に禁止であるとしている。しかし、具体的に何が「検閲」にあたるかは必ずしも明らかではない。

この点について「検閲」の判断枠組を提示したのが税関検査事件(最大判昭和59年12月12日民集38−12−1308)であった。本判決で最高裁は「検閲」を次のように定義する。

・行政権が主体であること
思想統制であること
・網羅的・一般的な禁止であること
・事前規制であること(発表前の審査、禁止)
税関検査事件で問題になったのは、税関で海外からのわいせつな図画の持ち込みを検査し、規制しているという制度である。最高裁は「検閲」の上記定義に基づき、税関検査はわいせつ物の規制であり、思想内容の規制ではないこと、また、表現者は海外で発表の機会を既に与えられているから、輸入を禁止しても事前抑制にあたらないこと、等を理由として税関検査は21条2項に反しないとしている。

 上だと各条件の繋がりがわからないのでもう一個引く。こっちはウィキペディアから。
日本国憲法における検閲の概念

日本国憲法における検閲の概念 [編集]
最高裁判所の判決によれば、日本国憲法21条2項にいう「検閲」とは、「行政権が主体となって、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的とし、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止することを特質として備えるもの」とされる。これに対して、「検閲の主体を行政権に限る必要はなく、公権力と考えるべきだ」と主張する学説もある。また、判決では表現物が発表される前に行われるもののみを検閲であるとしているが、発表を許す一方でそれを受け取ることについて規制が行われたり、発表する事自体をためらわせるような規制が事後的に行われたりした場合も「検閲」であるとするべきであると主張する学説も存在する。

 ただし、検閲制度とは別に、21条1項を根拠に「事前抑制の原則的禁止法理」というものが認められるとの説もあり、それによれば表現行為について公権力が事前に抑制またはそれと同視できる影響を及ぼすことは原則的に禁止される、とする。この法理を認めるのであれば、事前抑制の原則禁止は広く「公権力」が「表現行為」を抑制することを対象とする反面で例外が認められ、他方で検閲の禁止は「行政権」が「思想の内容」を審査すると狭く解する反面で一切の例外を認めない、と解することで、検閲禁止と事前抑制原則禁止で役割分担することで人権保障に資すると考える者もいる。

 最高裁の判断は「行政権が主体となって、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的とし、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止することを特質として備えるもの」である。公権力の定義は、
公権力

公権力(こうけんりょく)とは、政府の統治行為のうち、物理的な力により執行されるもの、あるいは服従しなければ刑罰を科せられるものを指す。また、公権力を執行する機関である警察・検察・裁判所・税務署・軍隊も指す。

 これをふまえて、件の人権団体が公権力かと言えば、上の定義からは違うと言うしかない。
 と、考える(後付だけど)ので、「表現の自由だ。文句付けてくるんじゃねー」的な主張にはどうしても違和感を感じてしまう。「エロがでかい顔しようとすんじゃねえ」って意見(いや、まさか作家が「官憲には徹底した弾圧を望む」とか言うとは思ってなかった。世も末だっつーかあれはホント酷い。)と同じで、「相手が何かを表明すること自体が気に入らない」っていうのは、俺の感覚では暴論なのだ。

昨日の「筋」についての補足

 で、俺が「筋」って言ったのは、表現の自由に流通の保証が入らない以上、流通させる努力はなされているべきなのではないかというところから、出てきた考え方だったようだ。読み直しながら考えてみるに。


「表現と飯の種のかねあいはムズかしい」し、俺定義(追記6月15日上の追記との関連から、この辺は所詮俺定義に過ぎない。)の表現の自由では、流通の保証は天与のものではないので、解決は人力ということになる。では誰が? と考えていくと、amazonが会社の評判を落としてまで、件のゲームを守る義務はない*1、なら強くなくとも制作元がやるしかないと俺には思われる。それが作成元に対しては著しく不公平な意見とも取れる「筋」というくだりにつながった。


 一応補足しておくと、あの部分は「徹底抗戦してください」という意味ではなくて、「自社の見解を表明してください」ってつもりだったのだけど、一方で他の人たちがあれだけ抗議内容についてデータを出している中で、なんの意見表明もせず「販売を停止します」で済ませるのは無責任だろうとも思った。そうは言っても難しいよねとも思ったので、「コストの問題とかで諦めたのかもしれない」とも付け加えたのだけれども。

甲虫ブログに膝を打つ

 というようなまたも長くなってしまったあれこれを理由に、俺はこの件で「表現の自由」を掲げる人たちの一定数は怒る先を間違っていると考えている。
 この件で「お上に取り締まってもらいましょう」って言う人に「馬鹿言ってるんじゃねえよ」と言うなら、まったく真っ当だし、俺もそう思う。実際、今回の件については、規制やむなしって言う人の一部にも、とても頷けないものも多かった(のを昨日今日で知った)。
 自分としては、「お前らなんて法律で処罰されて当たり前!」って意見にはすべて反対する。(いやもっと言うと、屈託なく結論を掲げている意見には全部反対かもしれない。)
 エロが嫌いだからといってちょっと文句が出たのを幸い「規制しちまえ! がんばれ権力!」っつーのはおかしいし、エロが好きだからといって「うるせー黙れ!」ってのもおかしい。


 とここまでは書いたところでアクセス元を見ていたら、頷かされる意見があった。

甲虫ブログ:ルールとモラル(3) 

 ただ、これを単なる反転とは考えるべきでない理由はある。今回のゲームだって、人権団体がさほど強調しているわけではない「児童ポルノ」云々を中心にした報道が日本ではなされてる。つまり男性中心主義批判という射程を持つはずの抗議が、小児性愛者という少数派に対する攻撃という、多数派(「世間」)に都合よいものに置き換えられているのだ。

 これはまさに分割統治というものだ。ポルノの持つ男性中心主義を批判することとポルノを楽しむ自由を擁護することとは、多数派の恣意から身を守るという点では同じであるはずなのだから。両者は常に矛盾するというわけではないのだ。

 「これ」ってのは、前回エントリで書いた「外国人関連へのヘイト行動とかの正当化ロジックとよく似てるわあ」という部分のこと。まったくもってその通りだと思う。

結論めいたもの

 で、擁護派の人は怒る相手を間違えない(俺が思うに怒らなくちゃいけない相手は甲虫ブログさんが言うように中心をずらして報道しているメディアと、「ほら、怒っている人もいますよ、法規制しなくちゃ!」という連中なのであって、文句を言い出した人たちではない。)ことだけじゃなくて、違ったテンプレを採用した方が良いと思う。
 もっかい弁護士さんの反論を引く。

③ エロゲーはただのフィクションです。女性差別や女性に対する暴力を助長するものではありません。

http://yama-ben.cocolog-nifty.com/ooinikataru/2009/05/post-0c01.html

 抗議に怒っている人の反論の基本はこれだろう。そうした主張の論拠になりそうな話はたとえば、メディアの影響――見てはいけない見せてはいけないに書かれているこの辺りかと思う。

 児童ポルノ禁止法推進者が、漫画、ゲームなど創作分野への規制の拡大を唱える最大の理由が「性的搾取を助長する漫画や画像も規制すべき」というものである。つまり、メディアの影響によって児童ポルノなどが助長され、被害者が増えるならば規制すべきではないか、というわけだ。この、メディアによって暴力的なメディアが子どもを暴力的にする、性的なメディアが子どもを性的にするというメディア悪影響論を「強力効果論」という。
 この主張が説得力を持つには、メディアが人間の行動を変えるほどの影響力を保持しているというのが大前提となる。つまり、児童ポルノなどを描いたメディアによって読者が影響され性的搾取を自ら行うまでに至るので規制するべきだ、となる。もし、そうならないのであるなら規制は無意味だ。
 では現実は一体どうなのだろうか。

 メディアが受け手にもたらす影響の研究が始まったのは1930年代、戦争における宣伝放送などの研究からだった。やがて、1940年代になるとアメリカの大統領選挙戦におけるメディアの研究へと引き継がれる。その流れの中で、1960年にクリッパーという研究者が打ち立てたのが後に言われる「限定効果論」である。クリッパーは、今までの研究においては肯定的だったメディアの影響を否定してみせる。

 クリッパーの唱えた限定効果論とは、メディアの効果は受け手(読者・視聴者など)の態度を補強する以上のものではないというものだった。受け手のスタンスは最初から変わらず、受け手はメディアの情報から都合のいいものを拾って、あるいは都合のいい解釈をして自己の立場を補強していく、つまり、メディアは受け手の性質Xに影響を与え一時的に+αはするが、そもそもの性質Xは変化してYにならない、と唱えたのだ。
 これはつまり、暴力的なメディアの影響を例にあげるなら、暴力的なメディアに触れた人間は番組などに影響されて一時的に暴力性が+αすること(ついついアチョーとロッカーを蹴りたくなったり)はあっても、根本的な暴力性が変化する(人間として凶暴化する)ことはないということだ。言い換えれば、元々暴力的な人間が実際の暴力行為を起こす引き金にはなっても(メディアの影響による+αで暴力行為発生の閾値を越える)、穏やかな人間の性質を暴力的に変えることはない、ということになる。
 メディアに触れることで犯罪の引き金が引かれる可能性があるということから、一見、メディア悪影響論と変わらなくも見えるがそれは違う。この論はメディアが存在すること、メディアの活動が悪影響なのではなく、それは社会に存在するその他多くの影響と同列に過ぎないというものである。メディアに限らず犯罪の引き金を引くものは多くあり、またその効果は人によってまったく違う。限定効果論は、メディアが他のものと比較して特異な影響を与えることはない、ということを説いている。

 これを踏まえて成人ゲームは「女性差別や女性に対する暴力を助長するものではありません。」と言えるかと言えば、言えるのかもしれないが、この主張は「だから無害です」と読まれかねない(っつーか、そのつもりでこう主張する人もいるんじゃないかと思われる)。
 しかし、たとえば今回の抗議団体の声明の日本語訳を見ると、

「レイプレイ」のようなコンピューター・ゲームは、性に基づく差別的振る舞いやステレオタイプを許容するものであり、これは女性に対する暴力を維持する。日本政府は、このようなものをはびこらせず、女性の平等を妨げるこれらの振る舞いや行為に打ち勝つための有効な指針をとるべきである。

Equality Nowのエロゲに対する声明を訳してみた。(更新あり) - yuubokuの日記 - 断片部

 と言っているので、助長するかしないかだけが問題なわけではないし、助長しないけれど維持する(「メディアの影響――見てはいけない見せてはいけない」引用文5パラグラフ目参照)のであるならば、無害とは言えないだろう。
 成人ゲームの内容には差別的な価値観が含まれる。せめてこの前提は共有するべきだと俺には思われる。その上で、では実害として成人ゲームと他のものを較べ、成人ゲームがもたらす実害(あれば)に対する妥当なコントロール(現行のゾーニングじゃ間に合わないのかとか)を検討する方向に持って行った方が良いはずだ。


 他国と較べたときの性犯罪件数なんかのデータは、差別的要素があるという前提の上で功罪を考えられるのでなければ、やっぱり牽強付会と判断される*2と思う。いや、作るだけで犯罪だ犯罪だって言われるから、そこを否定しなくちゃいけないのはもちろんだけれども、女性差別であるかないかと作るだけで犯罪かどうかは別物だし、むしろそこが別物だとわかってもらわなくちゃいけないんじゃなかろうか。相手がその辺をゴッチャにして文句を付けてきたからと言って、ゴッチャにしたまま全否定するのは、基本エロゲーに嫌悪感のない(とりたてて興味もないけど)俺が聞いても違和感があるんだから、最初からこの手のゲームに嫌悪感を持つ人に対する説得力は尚更ないだろう(ってのをわかって分けようとしている人も絶対にいると思うんだけども、そうでない人の声に埋もれているように感じる)。


 まずは差別的表現ではあっても、犯罪を助長しているわけではないし、データによれば犯罪については抑制効果の可能性もある、というラインでの社会的な合意を目指してから、法規制するのは考えられるメリットよりもリスクの方が大きい(エロゲー制作者とユーザーから自由を奪うメリットと、法規制をすれば男女問わず全員の表現の自由が脅かされるというリスクの天秤)ということを説得していくのがいいのではないだろうか。
 それでもこのジャンルが孕む問題のすべては解決しない(そらそうだよ)し、そっから先についての見通しは俺にはないんだけどさ。

 ただそういうステップを目指すことで、甲虫ブログさんが指摘するような「多数派の恣意」を見ないでスケープゴート同士が殴り合うような展開はすこしずつ解消できるかもしれないという希望は持っておきたい。


 糞長い上に無知なまま書いているので、突っ込みどころ満載の予感がする上に二日に渡って書いたので論理展開とかが、おかしなことになっているかもしれないけど、とりあえず今日時点で考えたことは全部書いたような気がするのでポストしてみる。頭の中にあったことは出し尽くしてしまったので、もし批判を受けても、すぐにはレスポンスできない気がする。「これこれで不愉快だ。削除しろ」って意見に対しては、「そりゃあ俺が間違っていたゴメン」と思ったら、応じるかもしれない。これは前回エントリについても同じ。
 差別の維持の話については山岸俊男「安心社会から信頼社会へ(感想)」に書かれていることが興味深かったので、そのうちその部分をまとめてみようと思う。先にやっておけば、このエントリももうすこし説得力が出たかもしれない(追記:まとめてみた。心過剰の差別理解・差別の文化 ←これも長い。)。

 あと、何回も引用させてもらった山口弁護士はコミケのスタッフだそう*3なので、前回エントリで頂いたブコメにあった「「ただのフィクション」で済ますのは作家は現実に対して無力と言ってるのと同じで表現というものを馬鹿にしすぎ。」という意見は、コメント自体はその通りと思うけど、立場を考えると「価値がある」って言っても伝わらない相手を説得するための方便っていうか、苦肉の策なのかもしれないなあと思った。エロ系に価値なんてなにもないって馬鹿にしてくる人には「ただのフィクション」って言った方が通じる場合が多いのかもしれない。

 それにしても長いな。ごめんなさい、読んでくれて本当にありがとう。>最後まで読んでくれた人

追記:こんなブコメを頂いたので一応お返事。

id:lisagasuさん。

lisagasu 成人ゲームに限らず、どんな表現でも取りようによっては差別になると思うんですが、なぜこのジャンルに限っては、実際にプレイせず、想像と伝聞だけで、ジャンルそのものが差別だと断じる人が多いんでしょう 2009/05/16

ブコメ見てから今までずっと考えていたんですが、説得力のありそうな(パッと思いつくような回答ならlisagasuさんにもある上での質問だと判断しました)回答には辿り着けませんでした。何か思いつけたらブログ上でもう一度idコールするので、しばし(かなり?)お待ちいただければ幸いです。ぶっちゃけ回答作れる自信は全然ないんですけども……。

*1:売店も商売で、たとえamazonが「表現の自由はどこまでも守られなくてはいけない」と考えていたとしても、売り上げを下げて哲学に殉ぜよとは誰にも言えない

*2:判断の主語は「抗議団体の人」ではなくて、「法規制もありでしょ」と思ってる人ね。

*3:ソースhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E8%B2%B4%E5%A3%AB