近所の人(?)も読んでいた「ブエノス・ディアス・ニッポン」

昨日、○内○外日記さんからブエノス・ディアス・ニッポンへの感想記事トラックバックを頂いた。
『ブエノス・ディアス、ニッポン』を読んで、俺と日本にいる外国人について考えた - ○内○外日記
 なにがびっくりしたって、藤沢よりの鎌倉(手広? 八反目? などといった地名が頭をぐるぐる)に住む人が大船のキャバレー・ホンコンについて語るのを読むという、この不思議さと、そんな方からグーグル検索経由でリンクを張ってもらうことの不思議さについてだ。俺はそのあたりの住人なもんだから、記事を読み出していきなり近所疑惑を抱えることとなり、そのあとのくだりを読むのが一層楽しかった。こういうびっくりは久々で、意味もなく嬉しかった。海外で同郷の人に会うような感じ?

こっちは、新聞とかテレビをサラッと見るだけで、まあ、サラッと見ないで全部のニュースの裏を取ったりするのは不可能なんだけれども、ただ、なんつーの、あるていど、ちょっとでも、たとえばこの本読んだりしたら、即座に「これはおかしい」とかいえなくても、「ちょっと待て」って、審議の青ランプ点せるわけで、そういうあたりのさ、有益とかいうとなんかつまらんけど、やっぱりそのあたり、俺みたいな学のないやつも学のないなりに、ある種の分別というか、分別のための用意というか、そりゃもちろん、この本の内容に対して、「なんかすげーぜんぜん違うんだ!」みてえな話もあるのかもしれないけれどもさ、そうならそういう意見を読んでまた得るものもあるだろうし、でも、そんでもその、やっぱり俺がこの本から読み、受けた印象、フックによって、俺はそれなりに得たものもあるかもしれないし、俺は少しでもかしこくなりたいと思うし、ますますかしこく(以下、武者小路実篤)。

 ってところに、そうだよね、そうなんだよ、と激しく頷いた。