小田雅久仁『本にだって雄と雌があります』

本にだって雄と雌があります(新潮文庫)
小田 雅久仁

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新潮社 2015-09-01
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 いつ頃のことか記憶にないのだが、本屋に行ったときにやたら眼を惹く表紙の本を見かけた。こんな表紙である。
本にだって雄と雌があります

 その場で表紙に何が書かれているかを確認はしなかったのだが、とにかく景気のいい図柄だと思い、タイトルを確認したら『本にだって雄と雌があります』とあった。人を食ったタイトルだけれども、なんか面白そうだった。
 というわけで本を開くまえから鷲掴みにされていた作品をようやく読んだ。オフィシャルなあらすじはこんな感じ。

本も結婚します。出産だって、します。小学四年生の夏、土井博は祖父母の住む深井家の屋敷に預けられた。ある晩、博は祖父・與次郎の定めた掟「書物の位置を変えるべからず」を破ってしまう。すると翌朝、信じられない光景が――。長じて一児の父となった博は、亡き祖父の日記から一族の歴史を遡ってゆく。そこに隠されていたのは、時代を超えた〈秘密〉だった。仰天必至の長編小説!

 のだけれども、たとえば『流』(感想)がやはりそうだったように、あらすじよりもその場その場が楽しくて、どこへ行くのかとかあんまり気にならないお話なので、このあらすじ見てぴんと来ない人も冒頭数ページくらい読んでみて、合うか合わないか判断してほしい。あ、ごめん、感想のはずなのに早々「読んで!」と言っていた。いや、あんまり気に入ってしまったもんだから、ほかの人も読めば楽しいに決まってるという気持ちが抑えられなくなっているのだ。なにせ久々の徹夜本だったもので。
 落ち着くためにもちょっと書き出しを引用してみよう。

 あんまり知られてはおらんが、書物にも雄と雌がある。であるからには理の当然、人目を忍んで逢瀬を重ね、ときには書物の身空でページをからめて房事にも励もうし、果ては跡継ぎをこしらえる。毛ほども心あたりのない本が何喰わぬ顔で書架に収まっているのを目に止めて、はてなと小首を傾げるのはままあることだが、あながち斑惚けしたおつむがそれを買いこんだ記憶をそっくり喪失してしまったせいばかりとは言えず、実際そういった大人の事情もおおきに手伝っているのだ。
 というのが、私の母方の祖父、つまり君の曾祖父ということになるのだが、深井與次郎の回りくどい言い分である。要は、ただでさえ夥しい蔵書が余人の知らぬ間に増えに増えて書斎や書庫から土砂のように溢れ出したことへの言い訳であり、さらにそれが廊下を着々と這いすすみ、存外器用に階段まで下ってみせて、とうとう一階にまで陣を取るに至ったことへの言い訳であり、ついには與次郎とその愛妻ミキ、そして生まれる家を選べなかった四人の子らをもろとも冷たい土間へ蹴落とさんとその日常生活の場を喰い荒らし、いやいやここまで来ればいっそのこと、と厠にまで厚かましく本棚が立った事態への言い訳なのである。

 この本が意思を持って移動しているかのような描き方のせいか「大阪弁で書かれた『百年の孤独』」という評言を何カ所かで見かけた。『百年の孤独』も面白い本で、本書に影響をたぶん与えているのだろうけど、そんな敷居高そうなタイトルの本(もう一度申しあげますが、『百年の孤独』は面白い本で、この面白いは愉快に近いので、タイトルよりも中身は取っつきやすいと思う)と並べなくてもいいじゃないかという気もする。すっとぼけたことがさらりと書いてあるところは似てるけど。
 でもって、小ネタに塗れた地の文をときどきあははと言いながらたらたらと読んでいき、7割過ぎたところで「どうやって終わらせるんだろう」という疑問が湧いて、まあこれだけ奔放に書いているんだから最後は丸投げであってもこの際いいやと思っていたら、とんでもなかった。わかりやすいクライマックス(たとえば大阪弁の語りで笑えるとかいうと、無意識に予想されてしまう人情による泣かせ的な何か)はなかったが、びっくりびっくりまたびっくりで終わった。ラストは人によって受け止め方が違うように思うけれども、おれは「おおおおおっ!」ってなった。いったいどうやって全体の構想(あったのだ)を作ったのだろうと読み終えてからしばし呆然。
 今年のマイベスト候補筆頭作である。いやあ面白かった。