古代文字の解読その1 ヒエログリフ

引き続き「暗号解読―ロゼッタストーンから量子暗号まで」(amazon)を読んでいる。第五章は前半を太平洋戦争当時、アメリカによって使用されたナヴァホ暗号に関して書かれているが、その後脱線し、古代言語の解読の紹介に費やされている。これが大変面白い。知らなかったこともいくつかあったので書き記しておこうと思う。
 古代言語の解読と言えば、有名なのはロゼッタストーンシャンポリオン。なのだが、シャンポリオンがひとりでヒエログリフを解読したと考えるのはいささか乱暴なことみたいなのである。というわけで本編。

 ヒエログリフと言えば、エジプトで使われていた文字のこと、さいきんでは「ヒエログリフを書こう」という本も出ており、一般の認知度も非常に高い(かもしれない)文字である。ところでヒエログリフとはいつごろ使われていた文字であろうか。
 現在確認されている最古のヒエログリフは紀元前三千年頃に刻まれたもので、西暦394年に作成されたものが最後だと考えられている。およそ三五〇〇年ほど使用されていたようだ。
 ヒエログリフを日本語に訳すと聖刻文字と言い、その名の通り寺院の壁を飾ったりするのに使われた文字だったようだ。これと平行して使われていた文字にヒエラティックがある。こっちは神官文字と訳される。ヒエログリフを簡単にしたものらしい。紀元前六〇〇年ころには、ヒエラティックを簡単にしたデモティックが登場した。この三つの単語はたぶん(調べたけど出てきませんでした)、後世の人によって命名されたものだろう。全部ギリシア語源だし。
 三千年以上も使用され続けたヒエログリフをはじめとするこの三種類の文字はしかし、四世紀末から五世紀末までに滅んでしまう。拡大するキリスト教勢力によるエジプト文字の使用禁止政策のためだ。キリスト教徒の文化破壊好きは今も昔も変わらないのね。その後、エジプトではギリシアアルファベット+デモティック6文字からなるコプト文字が使われるようになった。この文字は十一世紀アラビア語アラビア文字に取って変わられた。
 こうして忘れられた文字となったヒエログリフが解読される端緒を作ったのがかの有名なロゼッタストーンである。
 1798年、エジプト侵略に乗り出した皇帝ナポレオンによって多くの歴史学者、科学者、画家が派遣された。先日読んだタロットの本によれば、当時フランスは大変なエジプトブームだったそうだから、これもブームの一環だったのかもしれない。こうして派遣された学者たちが翌1799年に出くわしたのが、高さ118センチ、幅77センチ、厚さ30センチ、重さ750キロの黒色玄武岩だった。発見された街の名を取って後にロゼッタストーンと呼ばれることになるこの石がどうしてヒエログリフ解読のきっかけとなったのか、それは同じ内容の碑文がギリシア文字、デモティック、ヒエログリフの三つで刻まれていたからない他ならない。既知の文字ギリシア文字が重大なヒントとなるわけだ。フランスの学者の興奮はいかばかりだったろう。
しかしロゼッタストーンは同じ頃進軍してきたイギリスによってフランス人の手から奪われてしまう。このときから今に至るまでロゼッタストーン大英博物館に展示され続けている。
 イギリスに持ち帰られたロゼッタストーンであったが、それから十年以上に渡って、学者たちの解読は進まなかった。というのも、彼らはあるドイツ人の説を信じており、その説がでたらめだったからである。あるドイツ人というのは、アタナシウス・キルヒャー。一七世紀の万能学者みたいな人だ。彼はヒエログリフ表意文字だと主張していたが、実際には表音文字だったのである。これでは解読が進まないのも無理はない。
 思いこみの他にも解読の妨げがあった。ロゼッタストーンが完全な形ではなく、かなりの部分が失われていたこと、もはや古代エジプト語に繋がる言葉を話せる人間がどこにもいないことである。
 こうした状況を打開する最初の一歩を記したのは、トマス・ヤングというひとりの天才だった。二歳にして本をすらすら読んだという彼は、1814年、ヒエログリフの中に周りを線で囲われた文字列があることに目をとめた。この囲いはカルトゥーシュと呼ばれることになる。
 この着眼から、囲われているんは王の名前、つまりプトレマイオスであるに違いないと直感したヤングはヒエログリフ音価(発音みたいなもんですね)を与えるという作業を試みる。なんとここで与えられた音価の半分は正しかった。ヤングすげー。
 が、にもかかわらず、ヤングはヒエログリフの解読者になる名誉に預かれなかった。キルヒャーの説に心酔していた彼はヒエログリフ表音文字であると断言するのがためらわれたのだ。彼は「プトレマイオスが外国人だから、ヒエログリフを表意的に使うことが出来なかったのだろう」と結論し、ヒエログリフへの興味を失った。
 しかしヤングの試みは別の人間によって受け継がれていく。皮肉なことにそれはロゼッタストーンを奪われたフランス人の手によった。
 ということでいよいよシャンポリオン(特技は気絶)の登場である。十代にして大学教授になったフランスの天才シャンポリオンは、ヤングの試みを、ロゼッタストーン以外のカルトゥーシュにも応用し、個々のヒエログリフ音価を割り出すことに成功した。そしてラムセスのカルトゥーシュにぶち当たる。このカルトゥーシュでは「ラ」の音が太陽を表す絵文字を表音的に使用しており、この発見が古代エジプト人たちの言語を探る上で大きな前進をもたらした。例えば彼らがギリシア語を話した可能性は消えた。ギリシア語で太陽は「ヘリオス」でそれを代入すると「ヘリオスムセス」となってしまうからである。ラムセスと発音できるのはコプト語の一種を話している場合のみだったのだ。
 こうしてシャンポリオン古代エジプト人が、コプト語と関連のある言葉を喋っていたこと、長い単語の全体、あるいは一部に絵文字が使用されること、しかし基本的には文章は表音文字で書かれていたことを解明して見せた。こうした仕事は1824年、「ヒエログリフ体系要約」としてまとめられた。
 悔しがったのはヤングである。ヤングはヒエログリフ表音文字であることに何度も批判を加え、シャンポリオンの説を認める場合でも、自分の方が早くそのことに気づいていたと不満をこぼした。ヤングはシャンポリオンの本のどこにも自分への謝辞がないことに腹を立てていたとも言われている。大人げない気もするが、シャンポリオンの方も「イギリス人なんかに頭を下げてたまるか」と思っていたのかもしれないわけだから、ひょっとするとこれはどっちもどっちなのかもしれん。
 と言う具合に解明されたヒエログリフは現在では上述のように本も出版されるほど理解が進んでいる。調べてみたらヒエログリフを出力するページまであった。こちら(『多言語文字変換屋、Mojio.net)。
次回は線文字Bのお話です。