神・墓・学者―考古学の物語 (上巻) (中公文庫)
C.W.ツェーラム 村田 数之亮
中央公論社 1984-12-10
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神・墓・学者―考古学の物語 (下巻) (中公文庫)
C.W.ツェーラム 村田 数之亮
中央公論社 1984-12-10
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考古学のドラマチックエピソード集みたいな本。原著が最初に出たのは1949年で読んだ訳本は1984年に出ている。当然扱われている話題はその後いろいろ新しい事実とかが積まれているに違いないのだけれども、トロイ、ミケーネ、エジプト、シュメル、マヤ、アステカと各地のお話が一冊にまとまっているのは、いちばん最初のとっつきとしてはありがたい。以下目次。
上巻
- わたしが問題としていること
- I 彫像の巻
- II ピラミッドの巻
下巻
- III 塔の巻
- IV 階段の巻
- モンテスマ二世の宝
- 首をはねられた文化
- スティーヴンス氏、一つの町を買う
- 間奏曲
- 棄てられた都の秘密
- 聖なる池への道
- 森林と溶岩の下の階段
- V いまだ書きえない巻
- 古い国における新しい研究
- 文献
- 文庫版訳者あとがき
印象に残ったところ抜き書き。(自分用メモ)
われわれの経験するところによれば、不確かなことがいささかでも残っているかぎり、どうしても空論がはびこりやすいものである。だが空論と仮定とは区別する必要がある。仮定は、あらゆる学問の研究方法にともなうところのものだ。それは確実な結果からでて可能性をひらいていくのだが、その背後にはつねに疑問符が付されている。空論は、それに反して抑制がない。多くの場合、その出発点は必ずしも「確実なる」ものではなく、「望まれたる」ものだ。またその結論と称されるものは、つねに空想以外の何ものでもない。この空想というのは、夢の靴をはいて、形而上学とか、神秘論のまっ暗な森とか、誤って解釈されたピタゴラスやカバラのきわめて不可思議な広野や迷路とかをさまよい歩くのだ。こういう空論が、われわれ二〇世紀の人間がつねに歓迎するあの論理と結びつくようにみえるとき、それは最も危険なものとなる。
(上巻 p.237)