古代文字の解読その2 線文字B

 ヒエログリフほど話題に上ることはなくても、それ以上に困難な作業を克服したのが、線文字Bの解読である。その発見の舞台となったのは、ギリシアクレタ島、迷宮神話で有名な島だ。
1900年3月31日、イギリスの考古学者アーサー・エヴァンスは、この地で一枚の粘土板を発見した。さらに粘土板の詰まった木箱や貯蔵庫までも見つかった。
 このとき見つかった粘土板は、三つのグループに分けられる。第一のグループは紀元前2000年から1600年ころのもので、表意文字らしき絵のようなものが記されていた。第二のグループは紀元前1750年ころから1450年ころのもので、簡単な線文字が刻まれていた。これを線文字Aと言う。線文字Aはいまだに解読されていない。第三のグループが1450年から1375年までのもので、これが線文字Bと呼ばれる文字である。粘土板の多くはこの線文字Bで記されていた。
 はじめ、線文字Bについてわかったことはごくわずかだった。余白が右側にあることから左から右へ進む文字であること。文字の種類が九十種類あり、音節文字であることが推測できること。(表音文字の場合文字の種類は20〜40で収まり、表意文字の場合は文字の種類はいくらでも増える。音節文字はその中間で50〜100種類になる。音節文字である日本語もこの中に収まっている)。
 エヴァンスの考えでは、この文字は非ギリシア語を記した文字であり、かつてクレタ島で使われていた言語(ミノア語)であった。そして研究チームから線文字Bをギリシア語を表記したものであると主張するものを追い出していった。しかし実際問題としては、線文字Bに関しては何もわかっていなかった。そしてエヴァンスは1941年にこの世を去る。
 エヴァンスの残した課題に取り組み、目覚ましい結果を挙げたのは、古典学者アリス・コーバーである。彼女は線文字Bが語幹と語尾から成り立っていることに気づいた。線文字Bで記されていた言葉は屈折語であることが彼女によって判明した。しかしそれですべてが解決したわけではなく、謎の三番目の記号が浮かび上がってくる。
 単語を構成する記号の集まりの中で三つ目に位置する記号(つまり単語の三文字目)が語尾とも語幹ともつかない振る舞いをしていたのである。これをコーバーは「つなぎ音節」であろうと推測する。つなぎ音節とは母音が語尾の一部になり子音は語幹の一部になるような音節のことである。線文字Bの他、アッカド語などにつなぎ音節があることが知られている。
 さらに彼女はつなぎ音節からヒントを得て、同じ語幹に連なるつなぎ音節記号は子音を共有すること、また同じ語尾を持つ単語同士に用いられたつなぎ音節は同じ母音を持つことを導き出した。そしてそれらをリスト化していった途中の1950年、肺ガンで他界した。
 線文字B解読への次なる挑戦者は建築家、マイケル・ヴェントリスだ。7歳でヒエログリフに関する本を読み、14歳でエヴァンズの講義を聴講していた彼は十八歳の時、線文字Bに関する論文を「アメリカン・ジャーナル・オブ・アーケオロジー」に掲載されている。
 ヴェントリスはコーバーの研究結果をふまえ、語幹とつなぎ音節を共有する単語を探し、母音だけの音を表す記号(日本語ならあいうえお)を見つけ出す。二年を費やした後、ついにヴェントリスはいくつかの記号の音価を特定することに成功した。ヒントになったのは母音から始まる街の名前、アムニソスだった。その読み方を他の単語に代入し、推測を繰り返していくことで、彼は音価を特定できる文字を増やしていった。これはさらに、コーバーのつなぎ音節の研究から、同じ母音、子音を持つとされる記号の音価も推測できるようになったことを示している。その結果、大変なことが判明したのである。
 それはエヴァンズの作り出した通説に反して、書かれているのがギリシア語であるということだった。エヴァンズの講演を聴いて以来、通説を信じていたヴェントリスにとってこの衝撃はいかばかりだっただろう。しかし調べれば調べるほど、線文字Bがギリシア語を記している証拠ばかりが募っていく。
 こうした主張をヴェントリスはBBCラジオで述べる機会があった。そのリスナーの一人に大戦中暗号解読者として働き、戦後はギリシア語の講師をしていたジョン・チャドウィックがいた。彼はヴェントリスの論を批判するため、ヴェントリスの著作を読んでみた。そしてヴェントリスの協力者になった。
 チャドウィックは、ヴェントリスに足りないものを持っていた。古代ギリシア語の知識である。チャドウィックは言語の発展に見られる三つの形(発音の変化、文法の変化、語彙の変化)を考慮しつつ3500年前のギリシア語へとさかのぼった。
 1953年、ふたりは線文字Bに対する研究を「ミュケナイ文書のギリシア語方言説を支持する証拠」という論文にまとめ、「ジャーナル・オブ・ヘレニック・スタディーズ」に発表する。この論文は世界に衝撃を与えた。この年行われたヴェントリスの線文字Bに対する公開講演を「ギリシア考古学のエベレスト」と言われたほどだ。
 ヴェントリスはその後、チャドウィックと共同で「ミュケナイギリシア語による文書」という本の出版を計画する。しかし本が印刷される数週間前の1956年9月6日、車の衝突事故によって他界した。
 ヴェントリスのパートナー、チャドウィックはその後、線文字Bの解読を著した。

 学校の歴史でエヴァンズと線文字Bの組み合わせは覚えた気がするけど、ヴェントリスなんて人は知らなかった。そしてこのエヴァンズやコーバーを筆頭に何人もの人が志し半ばで倒れていることももちろん知らなかった。自分のまとめ方では伝わらないかもしれないけれど、「暗号解読」の、このくだりは大変スリルにあふれている。いやここだけではなくて、どこもかしこもスリルにあふれている。すげえ本である。