大山誠一『〈聖徳太子〉の誕生』

「聖徳太子」の誕生 (歴史文化ライブラリー)
大山 誠一

4642054650
吉川弘文館 1999-04
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isbn:4642054650 by G-Tools

 「聖徳太子」という存在が虚構であることを論証する本。前半の史料批判に関しては頷かされるが、後ろの方は実証から離陸してしまった感じ。藤原不比等長屋王の軋轢が聖徳太子のキャラ設定に影響を与えているというのは論拠薄弱に感じられた。
 むしろ面白かったのは古事記日本書紀の成立にまつわる推論で、成立年代(712年と720年)の違いから、両書のバックボーンを担う価値観が変わっているという指摘は、たとえば前者を国内向け、後者を海外向けとしたり、あるいは二つの神話形の存在を想定したりする論よりも、単純明快で鋭い指摘に思えた。いわく、大宝律令制定の翌年702年に派遣された第七回遣唐使が最盛期であった唐(当時国号は周で則天武后の統治にあった)の文化や制度に触れたインパクトを持ち帰ったため、古事記を統べていた論理や価値観が古いものとされてしまった。だから古事記は(資料的な不足はないのに)推古天皇で終わるし、しかも最後の方はいかにも尻すぼみな書かれ方をしている。集められた資料は新たな目論見の元に再編集され、日本書紀となった。
 なるほどねえ。そんなこともあったかもしれない。白村江以降、702年まで遣唐使が出なかったかのような書かれ方は誤解されそう*1だが、主旨は正しそうだ。

追記2009/01/17:本書の説への反論を見つけた。聖徳太子論の見直し。もう本書の内容も大半忘れているので、なんとも言えないが素人考え的には、

森博達氏によれば、これらの記事には和習(日本人がやりがちな漢文の書き間違い)が多く、16年も唐に留学していた道慈の文章とは考えられない

 留学年数があるから和習がないはずというのは疑問を感じる。一方で美術史からの指摘はなるほどねえと思った。面白いなあ。
 でも⑨だけはさ、なんつーか言わなくていいんじゃね、そんなこと。

*1:http://www.bell.jp/pancho/kasihara_diary/kentosi%20itiran.htm参照。702年の前は669年の派遣があり、白村江の戦い遣唐使が派遣されなくなる時期は直結していない。