金水敏 ヴァーチャル日本語役割語の謎

 本書は特定のキャラクターと結びついた、特徴ある言葉づかいを「役割語」と呼び、分析している。具体的には「博士語」「田舎ことば」「関西弁」「武家ことば」「書生ことば」「お嬢様語」「女性語」「アルヨことば」などを取りあげて、その成立の起源を探っている。

 具体例の部分*1も面白いが、一番の読みどころはやはり「二 ステレオタイプ役割語」だろう。

ステレオタイプとは、混沌とした外界を整理しながら把握していく人間の認知特性と結びついた現象であるといえよう。認知とはすなわち外界に関する知識の処理のことをいうのである。一方、ステレオタイプに関する知識が一定の感情(主として否定的感情)と結びつくとき、その知識と感情のセットこそが「偏見」であるといえる。また、偏見が特定の行動と結びついて、偏見を持たれた人間にとって不当な結果を招くとき、その行動を「差別」という。

 としたあとで著者は役割語を「言語上のステレオタイプ」と定義する。ではたとえば「博士語」のように実際には使われていないステレオタイプを我々はどこから手に入れているのか。著者は社会学者デヴァインの「分離処理モデル」を採用してこの問いに答える。「ステレオタイプのソースはどこにあるのか」というのに関連した部分だけ引用してみる。

 デヴァインによれば、社会一般に普及しているステレオタイプに関する知識は「ステレオタイプ的知識」あるいは「文化的ステレオタイプ」と呼ばれ、我々が妥当性を批判的に検討できない幼少期に、養育者や周囲の環境から獲得するという。文化的ステレオタイプは幼いころから活性化が繰り返されるため、各知識の連合が強固になっている。そのため、ステレオタイプ的知識が意識と無関係に自動的に生じることは避けられない

 つまり、親が読み聞かせる昔話や童話、それから子供自身が読む絵本、漫画、児童読み物、テレビやビデオの子供向けアニメ、ドラマの類が役割語のソースになると著者は主張する。

これらの作品では、受け手の子供に深い個人ベースのモードの処理が期待できないので、カテゴリーベースの描写が中心となる。結果として、作者が持っているステレオタイプ的知識があふれかえることになる。すなわち、役割語満載である。そういった作品を繰り返し繰り返し受容することで、子供の知識の中に文化的ステレオタイプが強固に刷り込まれていくのである。

 ちなみに本書では色が付いたものだけを役割語と呼ぶのではなく、標準語も特殊な意味で役割語だとしている。すなわち、物語に現れた標準語を話すキャラクターは読者に「自分に感情移入しなさい」というサインを送っているというのだ。もちろん方言を使う人に感情移入を求める作品もあるが、その場合は標準語よりも書き込みその他を増やさなければならない。これにはなるほどねえと思わされた。

 ところで本書は言葉の歴史を扱ってもいるので、江戸・明治・大正・昭和の文献が引用されているのだが、特に女ことばとして引かれている文が面白かった。虫の声が「私のみだれたハートを、そゝるようにひゞいてまいります。アゝ、なんとセンチメンタでしょう。」とか「インプレッション深き寮に過ごした頃」とか「ローマンスなシーズン」とか明治の日本語は美しいとか言ってる人がみたら、なかったことにしたくなりそうな文例だなと思った。
 この本は〈もっと知りたい! 日本語〉というシリーズの一冊なんだけど、何冊か読んでみた感じでは、外れがなくどれも面白い。誰が仕掛けたのか知らないけれど、読むに値するものを読んだと思えるのは、幸せなことだ。感謝感謝。同じ著者の別の本もあるみたいなので機会があれば読んでみたい。
関連リンク:
金水敏のホームページ大阪大学大学院文学研究科
役割語の不思議な世界NKK AM第1放送11時30分過ぎ『ラジオ深夜便』内コーナー「ないとエッセー」


ヴァーチャル日本語 役割語の謎 (もっと知りたい!日本語)
金水 敏

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*1:http://d.hatena.ne.jp/nekora/20070421/p1がコンパクトにまとまっていて良いと思う。