W.リップマン 掛川トミ子 訳 世論(上)

 1922年刊。amazonのレビューで、「おそらく原文を読んでいるアメリカ人読者よりも、日本語の訳文を読んでいる日本人読者の方がはるかによく理解しているのではないかと思います。」と書かれているのを見て、読んでみようと思った。社会分析の本。著者はは「イメージをつくる際に人間がある種の固定観念をもつことによってイメージが左右され」た結果出来上がるものに「ステレオタイプウィキペディア)」という名前を付けた人。本書の第三部において、ステレオタイプの分析がなされているが、本書全体の関心は「虚構とか象徴とかが既存の社会秩序にとってどのような価値をもっているかはひとまずおいて、それらが人間のコミュニケーションの機構(マシーナリー)のなかでいかに重要な役割を担っているかを考察する*1」ことだ。
 著者は冒頭で第一次世界大戦が始まった頃の話を引いている。その島にはイギリス人、フランス人、ドイツ人たちが住んでいた。島にはイギリスの郵便船がふた月に一度来るだけで、他に外部からの情報をもたらす手段がなかった。第一次世界大戦の勃発を島の人々が知るのは、開戦後6週間経ってからだ。そのあいだ、彼らはもう存在しない世界設定(平和な状態)に合わせて生活をしていた。また終戦時には、終戦の合意がなされてからその情報が行き渡るまでの五日間に、数千人の戦死者が出た。これも現地の世界設定(戦争中)に合わせて生活をしたからだ。そこから著者は次のように考察する。

 以上の例からもいえることだが顧みるとわれわれは、自分たちがその中に暮らしているにもかかわらず、周囲の状況をいかに間接的にしか知らないかに気づく。環境に関するニュースがわれわれに届くのが、あるときは速くあるときは遅いことはわかっている。しかし、自分たちがかってに実像だと信じているにすぎないものを、ことごとく環境そのものであるかのように扱っていることには気づいていないのである。まして、われわれがいま現在行動のよりどころとしている信条についてもそれがあてはまることを、忘れずにいるのはずっとむずかしい。

 こうした頭の中にある「環境」のことを著者は疑似環境と名づける。人が疑似環境を作るのは、「真の環境があまりにも大きく、あまりに複雑で、あまりに移ろいやすいために、直接知ることができないからである」と著者は言う。

われわれには、これほど精妙で多種多様な組み合せに満ちた対象を取り扱うだけの能力が備わってはいない。われわれはそうした環境の中で行動しなければならないわけであるが、それをより単純なモデルに基づいて再構成してからでないと、うまく対処していくことができないのだ。世界を横断しようとすれば世界地図が必要だ。だが、自分たちに必要な事項、あるいは他の人が必要とする事項が書き込まれている地図を手に入れるのは、常に困難である。

 こう書いてくると、「要するに偏見=悪って話でしょ、聞き飽きたよ」と思うかもしれない。しかし「ステレオタイプ」概念初出(もしくはそれに準ずる段階の*2)本書において、著者は自分の創出した概念に、他者にケチをつけるというせせこましい任務を与えてはいない。

 実際の世の中では、証拠の出るずっと以前に、そうした判断(引用者注:ステレオタイプに基づいた判断)が真の判断とされることが多い。そして証拠が必ずや確認するはずの結論を、その判断自体のなかに含んでいるのである。このような判断には、正義も、慈悲も、真実も入り込むことはない。なぜならこの判断は証拠に先行してしまっているからである。しかし考えてためになるようなどんな文明の中にも、さまざまな偏見をもたない国民、まったく中立的な見解に立つ国民が存在するとはとても考えられないので、そのような理想を土台として教育体系を打ち建てることは不可能である。偏見は看破することもできるし、無視してかかることもできるし、改善することもできる。しかし時間に限りある人間は、広大な文明と関わるための準備を短い学校教育の中に凝縮しなければならない。
 そのような状態である以上、人々は心に描いた文明像をずっと持ち回らなければならず、偏見を持つということになる。
(太字は引用者)

 その業というか、人間の認識の限界とどう向き合っていくか、本書の問題意識はそこにある。
 訳者のアイディアか、言語の構造か、あるいは俺の思うように著者の意識かはっきりしないが、本書では一貫して主語に「われわれ」が用いられている。たとえ自分がそのグループに入るのが嫌な話題であってもだ。たとえば、

 一つのことを激しく憎悪するとき、われわれはそれを原因あるいは結果として、自分たちが激しく憎んだり恐れたりしているほかのほとんどのものに直ちに結びつけてしまう。そうした物事同士は、天然痘と酒場、相対性理論とボルウェヴィズムがまったく関係がないのと同じように無関係である。それにもかかわらず同じ感情を呼び起こすという点で結びつけられている。

 というように。著者は自分を分析対象グループから外すことをしない。偏見を持つ人が野蛮人だとも、品性下劣だとも、頭が悪いとも考えなければ、自分はそうじゃないという主張を潜り込ますこともしない。これは素晴らしいと思う。
 非常に良い本。下巻も楽しみだ。
 ちなみに抜き書きしたくなった部分を抜いたのはこちら。世論より
 下巻の感想はこちら

世論〈上〉 (岩波文庫)
掛川 トミ子

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追記:090130下巻読了。感想はこちら

*1:上巻pp.25-26

*2:もしかしたら本書以前にリップマンはステレオタイプ概念を提出していたのかもしれないが、確認できていないのでこう書いておく。