殺人の多い料理店

 賢治の童話が死を招く…

 生誕百周年の宮沢賢治ゆかりの地盛岡で、作品の朗読会が開かれた。その出席者が、なぜか相次いで殺されてゆく――
帯表

 ブックオフで見掛けて購入。なんの気なしに読み出して驚いた。何に驚いたって文体に驚いた。たとえば一章の書き出し。

 久しぶりに踏んだ盛岡の土は、俺を歓迎してくれなかった。カチンカチンに凍りついた路面に足をとられて、俺はもののみごとに尻餅をついてしまった。幸先いい取材旅行というべきだ。

 ほかの作品を読んでいる人にしかわからないかもしれないが、これは辻真先作品としては異例の地に足つけた語り口なのである。さらに読者の俺は語り手の「俺」が可能克郎である事実によって、さらにびっくりさせられる。克郎は「仮題・中学殺人事件(感想)」から「DMがいっぱい」に至るまで、辻真先作品に欠かせないワトソン役をつとめてきたキャラクターで、モデルは愛川欽也だという話。と、ファンにはおなじみに違いない存在なのだけれども、このような話し方をするとは知らなかった。

 で、そんな克郎が盛岡までやってきたのは、夕刊サンを出している会社が新たな雑誌を創刊することになり、巻頭特集で宮沢賢治を取りあげるから。ちょうど本書が出版された1996年には、岩手で宮沢賢治生誕百年、石川啄木生誕百十年を祝うイベントもあったらしい。

 物語には当然、宮沢賢治ファンの人間が何人も出てくる。それでもって大学時代から宮沢賢治に傾倒していた人々によって朗読会なんてものも開かれる。演目は「雪渡り」から始まって、「税務署長の冒険」「なめとこ山の熊」「カエルのゴム靴」「マグネトーとプラネトー」へと続いていく。
 とここまで書いて、ピンと来る人は来るだろう(俺は来なかったけど)。「マグネトーとプラネトー」なる宮沢賢治の作品は存在しない。作中でもなんでこんなものが紛れ込んだのか、という謎が出て、いよいよストーリーが動き出す。ちゃっかり牧薩次監修の「定番トリック全集・あなたにも殺せます」なんかを出して、ほかの作品も読んでいる読者をにやにやさせつつ、なんら結論の出ないまま、取材を終えて東京に戻った克郎が接するのは、朗読会メンバーの訃報だった。そこから始まる連続殺人事件。スーパーもポテトも旅行でいない。果たして万年ワトソン可能克郎は、名探偵になれるのか?

 という骨子の筋なんだけど、先にも触れた文体の変化を見るに、作者はこれでミステリーをやろうとしたというよりは、ハードボイルドをやろうとしたんじゃないかな、という気がする。ちょうど「不夜城」とかがヒットを飛ばしていた頃だったはずなので、そういう路線を意識したのではないか、と。
 アマゾンで見る限り、本書は文庫落ちした形跡がないので、目論見は失敗に終わったと考えるべきなのかもしれない。確かにミステリとして見るならば、派手なトリックが炸裂するわけでもないし、タイトルからも軽いトリックを配した時事便上物、あるいはパロディと受け取られただろうから、評価は受けにくいかもしれない、という気がする。
 けれども、俺はここに辻真先の試されていない可能性*1の発露を見た気がした。96年出版の本書よりあとの作品もいくつか読んではいるが、本作のようなテイストの文章で書かれたものは見た覚えがない。これが売れていたら、メディアを渡り歩くだけではなく、文体さえも変貌させる辻先生の姿が拝めたかもしれない。正直に言って、この作品は俺が辻真先にないものねだりしていたものが封じられていた。それは成熟って奴だ。本作には、あれもこれもすべて意味があるのだった! という驚きと、落ち着いた語りが備わっている。読み終えて噛みしめると豊かな味わいが広がっていくような気がする(ほんのすこしだけ言い過ぎか?)。ブランドイメージとは違う作品ではあるけれど、満足度の高い一冊だった。どこかで見つけたら読んで損はしないと思う。宮沢賢治百周年を除くと、時事ネタの数も極端に少ないから、古びにくくもあると思う。あ、でも一カ所だけ、強烈に時事を感じた記述があった。「やまなし」という章の書き出しだ。

 新しい年はとっくに明けていた。平成八年、一九九六年。敗戦五十一周年と呼ぼうか、あるいは阪神大震災一周年とでもいうか。
 東京はあいかわらず不景気の直中(ただなか)にあった。だれもが、今年こそは震災もなくオウムもない平穏な一年でありますようにと、祈ったはずだ。

 前年の話題に戦後五十年があったことが拾われているが目に止まった。
 またこういうテイストの話を書いてくれないかなあ。
殺人の多い料理店
辻 真先

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ことのついでに追記:本書には本編に先立って序がある。引用してみる。

 わたしたちには、キオスクで売っている機能飲料をのまなくても、吹きっさらしのホームの風に鼻をすすり、黄色くにごった朝日の光をあびることができます。
 またわたくしたちは、そうしたのみものやきものが、決してすきとはいえないけれど、でもしかたなしにつきあっています。
 これからのわたくしのおはなしは、そんな町やお店や鉄道線路やらをおろおろ歩きまわっているうちに、汚れた空気やネオンサインから思いついたものです。
(中略)
 ですから、これらのなかには、あなたのためになることなんかひとっつもないのですが、どうせこれっきりで忘れていただけるでしょうから、どうか読んでやってください。なんのことだか、わけのわからないところもあるでしょうが、そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。
(後略)

 なんじゃこりゃと思っていたのだけど、本書のあとがきで「賢治の鬱屈した心象風景が戯画化されて、みごとな舞台になっていた」と紹介されている井上ひさしの「イーハトーボの劇列車」*2の出だしのパロディだったようだ。ちなみに「イーハトーボの劇列車はこんな始まり方」

わたくしたちはホテルの立派な料理店へ行かないでも、きれいにすきとおった風をたべることができます。コカコーラの自動販売機なんぞなくとも、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
またわたくしたちは、たんぼやはたけや森の中で、仲間のひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろーどや羅紗やカシミヤやイッセイミヤケハナエモリのきものにかわっているのをたびたび見ました。
わたくしたちは、そういうきれいなたべものやきものがすきでした。……でした
これらのわたくしたちのおはなしは、みんな林や野原や鉄道線路やらで、虹や月明かりからもらってきたのです。(中略)
ですから、これからのおはなしのなかには、お客様のためになるところもあるでしょうし、ただそれっきりのところもあるでしょうが、わたくしたちには、そのみわけがよくつきません。なんのことだか、わけのわからないところもあるでしょうが、そんなところは、わたくしたちにもまた、わけがわからないのです。
(後略)

 で、いったいこの井上ひさしの文は宮沢賢治の何かのパロディになっているのだろうか(まともに読んだことがないのでわからない)、というのが謎として残ったのだった。

追記:20220725 なんと文庫化された。すげえ。

*1:まだあったのかという驚きとともに。

*2:もう一作北村想の「けんじのじけん」にも言及があった。