ぼくたちのアニメ史

 まずどんな本かという前書きがあるので引用したい。

 アニメ史を名乗る本はこれまでずいぶん出版されている。でも大半はアートアニメや、劇場封切りのメジャーな作品が対象なので、最大多数の人に影響を与えてきたテレビアニメという巨大な分野が、視野からハミ出しがちになっていた。テレビと小説、ドラマとアニメを往来した体験の主としては、とかく起きやすい活字社会と映像社会のズレ、大人と若者の感じとり方の溝を、少しでも埋めることができたらなあ……そう頭の片隅で祈りつつ、この本を書くことにした。
 ド真面目な年表や正確だが味の薄い記述は、ぼくには書けない。(中略)客観的に凝視する姿勢ではなく、ときに「史」という言葉が驚いて逃げ出すほど行儀の悪い、偏見丸出しな主観的言辞を弄するおそれもあるよと、予めご注意しておく。

 と書き出されたアニメの歴史と思い出と感想の入り交じった183ページ。本人が言っているように、この本は年表的に読もうと思っても、前に言ったり後ろに行ったりしているから、流れは掴めない。短いページ数に可能な限りの情報を盛り込もうとした結果、俺などには分かりにくいところもあちこちある。「アニメ史」としても「アニメ史入門」としても、微妙だろう。そもそも自分の話からして不正確なのか、

 月岡貞夫とはNTV(日本テレビ)の正月特集のアニメドキュメンタリー『コンピュートピア』で、一度だけだが組んだことがある。

 と、書いてあったので、検索してみたら、ジャングル大帝(新) の第19話石のとりでが「脚本:辻真先演出:月岡貞夫」とクレジットされていたりする。組んだの意味が企画からやったという意味なのかもしれないけれど。
 しかし「辻真先の本」として読むならば、こんなに楽しい本もない。この本には、辻真先らしさが横溢していると言って良い。
 俺の思う辻真先らしさというのは、職人的サービス精神と自分の書きたいことを葛藤させた結果、良くも悪くも明後日な異物が出来上がるというところにある。この明後日がうまくいくと、うひゃあ! となる怪作ができあがり、下手を打つと、あちゃあ、となる駄作が生まれる。
 本作(もう作って言っちゃう)でも、その特色が十全に発揮されている。そもそも「生きることのほんとうの意味を問い、大きく明日をひらくことを心から期待して」創刊されたらしい岩波ジュニア新書と「ぼくたちのアニメ史」って組み合わせからして冷静に考えたらミスマッチ、と言ったらひんしゅくを買うのかもしれないが、そこに目をつぶって内容を見てみても、この本はジュニア新書で書かれるような内容ではない。なにせ、「こんなものがあります、すごいでしょ」じゃなくて、「きみも知ってるあれ、あれなんだけどさ」って書き方になっているのだから。
 それで分かる読者は岩波ジュニア新書は買わないんじゃないかなあと、俺なんかは思うし、ジュニア新書の読者が「アニメのことが書いてあるのか」と手に取れば、さっぱり分からないということになりそうだ(なかには、これをきっかけに出ているタイトル片っ端から見ていく豪の者もいるだろうけど)。
 具体的に言えば、たとえば「わんぱく王子の大蛇退治」における、

脚本は池田一郎。はるか後に隆慶一郎ペンネームで、時代小説界に旋風を巻き起こした人である。若いあなたでも原哲夫がマンガを描いた『影武者徳川家康』『花の慶次』の原作者といえば、知っているだろう。

 という記述や、「遊星少年パピイ」における、

『パピイ』の原作者吉倉正一郎という人間は存在しない。日影丈吉、大倉左兎、山村正夫加納一朗という作家たちのキメラだった。原作はあってもホンがないので「書いてよ」といわれて『パピイ』も書いた。

 という記述などは、これはこれで凄く面白いし、後者の「吉倉正一郎」はウィキペディアでも項目がいまのところ立っていないので、今後これをソースに記述が為されるかもしれないが、それにしても呼びかけられて「ああ!」と言える若いあなたって二十代後半以降じゃないかと思う。

 しかし出たブランドのこととか、対象読者のこととか考えず、「辻真先の本」としてみるならば、これはうひゃあ! な本だった。端的に言って面白かった。それも考えてみれば当たり前で、アニメファン歴は戦前から、テレビアニメの脚本歴は鉄腕アトムからの、生き証人が歴史を経験として語るわけで、辻真先よりも正確にデータをそろえる人はいくらでもいるだろうけど、一番古いところで「ディズニーのシリーシンフォニーを映画館で見た」から始まって、「電脳コイルを一気に見た」で終わるような壮大な思い出話が出来る人はそうはいない。
 ところどころに挟まれる裏話的挿話やトリビアも知らないことばかりだった。コピーを始めて実用化したのがディズニーだった(国内ではサイボーグ009怪獣大戦争が最初だそうだ)という話がへえだった。そしてそれらの語り方にまったくもって偉そうなところがないというのも、辻真先らしい。以前は軽く書くこと、偉そうな感じを出さないことが(ときとして間違った)サービスの一環なんだろうと思っていたのだが、こういうある程度偉さを見せていくことが必要とされる書物であってもそれをしないところを見ると、もしかするとこの人は「偉い」ってことに何か抵抗があるのかもしれない。新しいもの好きとしてあちこちの黎明期に顔を出してきているのに、どのジャンルにおいても第一人者的立場に登り損なっている経歴を読み解く鍵になるのかもしれないなんてことも読み終えて考えた。価値を見出されていないものに対するシンパシーを作品に溢れさせながら、それを訴えるためのポジションには決して立とうとしない不思議な立ち位置も、本人の偉さ嫌いから理解されるべきなのかも、とか。
 だけど、辻真先の訴えは、常にまだ発言力のない世代に向けられるだけに、その訴えが忘れられた頃になって、実を結んでいるようにも思う。だから本書で次のようなことが書かれていることにも、きっと意味がある。

斧で殺人を犯す少女の場面が良くないと『ひぐらしのなく頃に』のオンエアを中止する局が出た(あんたバカ? とアスカならいうだろう。指摘された場面はとっくに終わっており、放映中の『解』偏では若者たちが運命に抗して、おなじ轍を踏むまいと懸命に努力する話なのだ。そこで放映中止にしてどうする。なにがなんでも中止するなら、最低のマナーとして理由を視聴者に開示すべきだ。黙って問題を握りつぶす大人がいちばん悪い、というのは『ひぐらし』のサブテーマなんだから、アニメを地でいって局の大人が敵役を演ずるのは滑稽だよ

 齢七十を超えて、まだ「生まれてくるもの」の味方ができる、これからのものに期待が出来るってのは、本当に凄いことだよなあ。
 そんな辻先生は今日が誕生日である。まだまだ元気に旺盛に執筆を続けてもらいたいものです。おめでとうございます。
 と、思ってホームページを覗いたら、今度はケータイ小説を書くらしい。本当に希有な人だ。

 本当はこのエントリー、言及されたアニメのリストを作ってからアップしようと思っていたのだけど(そうすれば少しは史を求めて読んだ人の助けになるかもしれないし)、辻先生のお誕生日に合わせるのが無理っぽかったので、ひとまずまとまらぬ感想だけあげておくことにする。リストはあとでくっつけるかもしれないし、あまりにも量が多すぎて作成を諦めるかもしれない。

ぼくたちのアニメ史 (岩波ジュニア新書)
辻 真先

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追記:4月4日

 リストを作ってみた。ある程度予想していたこととはいえ、凄い量になった。そして大抵の作品はDVDソフトがある現状に驚いた。辻先生はさりげなく、「読者自身の知識と教養で適宜補っていただこう」と書いているのにリスト作成中に気づき、それならこれは著者の目論み通りだったのかもしれないとも考えた。
 なんだってこんなに整理しにくい書き方なのかといぶかったりもしたが、恐らく著者の連想力の強さの結果なんだろう。
 「迷犬ルパンの犬疑(感想)」の解説で永井豪が書いている、回転の速さが、本書でも顔を出して、思い出すままに書き連ねた結果なのだろうが、やはり凡人がついていくのには、もう少し整理されていた方が助かると思う。それにしても書き写すだけで一苦労だったが、これによって本書の読者が作者の言いたいことのイメージをすこしでも補足できるようになるなら、非常に嬉しい。