デートとは

  先日、「デートの約束」というのは重畳表現(馬から落馬とか頭痛が痛いみたいなやつ)ではないかという話になり、その場で広辞苑が引かれた。

    広辞苑によれば、

デート【date】
①日付。時日。
②日時や場所を定めて異性と会うこと。あいびき。「彼女と―する」

で、文脈的には2の意味だったため、「会うこと」なんだから重畳表現と考えなくてもいいんでね?  となったのだけど、おれはこの「異性と」ってのが引っかかった。これだと同性愛者が排除されねえか?  と思ったのである。広辞苑といえば今回の改定でLGBTの語釈にダメ出しが出たのも記憶に新しい。ちなみに恋愛を引くと、

れん‐あい【恋愛】
(love の訳語)男女が互いに相手をこいしたうこと。また、その感情。こい。

となっている。これより後に出た大辞林の四版では

れん あい[0]【恋愛】
(名)スル
互いに恋い慕うこと。また、その感情。ラブ。

と、異性愛に限定されない語釈になっていて較べると広辞苑は古臭いなあとか思った。どれくらい古臭いかというと、先のデートの語釈に「あいびき」という言葉が出ているが、その「あいびき」の語釈は「男女の密会」。おおっぴらに会ったらデートじゃねえのかよ、いつの時代だよってなもんであり、執筆担当者が相当な高齢者だったんだろうかとか思った。あ、いや、このエントリーは広辞苑の古さをあげつらいたいわけではない。広辞苑がこんな語釈を出していたので、ほかの辞書はどんな語釈になってるか眺めてみたという話を書くつもりなのである。

   まずは上で「恋愛」を比較した大辞林から見てみよう。

デート[1]〖date〗
(名)スル
①日付。
②男女が前もって時間や場所を打ち合わせて、会うこと。「昨日彼女と━した」「━を申し込む」

残念ながら「デート」のアップデートはなされなかったようである(「デート」の関連語に「デートフラグ」とか「デート難民」とかあって、アップデートチャンスはあったように見えるのだがもったいない)。次回に期待。

   大辞林を出している三省堂はほかにも現代語の収録が早くて有名な『三省堂国語や語釈がネタ化して知名度抜群な『新明解国語辞典』もある。それらはどんな語釈を出しているのだろう。まず『三国』

デート〔date〕[一](名)①日付。②年代。[二](名・自サ)日や時間を決めて、恋人(コイビト)と会う<こと\約束>。「初—・夫婦(フウフ)で—する」

    出版時期は大辞林よりまえなのに、三国は異性愛限定してなかった。ちょっと感心。

『新明解』は、

デート① 
━する(自サ)〔date=日付、年月日〕
〔愛し合う男女が〕日時を決めて、各自の家以外の場所で会うこと。また、その約束。

異性とという限定にプラスして「愛し合う男女ときた。TOKIOのデビュー曲に「これはデートなのか?」って歌詞があったはずだが、この定義では悩む時点ですでにデートではない。ついでに「おうちでデート」を新明解は認めない。そう言えば、『三国』も恋人同士が会うことという語釈なので、付き合っていなければデートとは言えないという判断だった。なんかおかしい気もする。初デート前に交際スタートって、ナンパか見合いしかなくね?    それとも交際前のお二人が遊びに行くことには違う単語が存在しているのだろうか。

    で、これが『大辞泉』になると微妙に違うニュアンスになって、長瀬の悩みが成立する。

デート(date)
[名](スル)
1 日付。
2 恋い慕う相手と日時を定めて会うこと。「遊園地でデートする」
3 時計の文字盤に付属するカレンダーで、日付だけを表示するもの。→デーデート

「恋い慕う相手」と会うのがデートなのでこの語釈なら相手がどう思っていようが当人が好きな相手と会うのならデートと考えてオッケーだ。異性愛の限定もないし、すごいぞ大辞泉TOKIOのあの歌詞解釈できるの、大辞泉だけじゃないか(相手から見て「これはデートなのか」と悩んでいるわけだ)。ちなみに「恋愛」の語釈も、

れん‐あい【恋愛】[名](スル)特定の人に特別の愛情を感じて恋い慕うこと。また、互いにそのような感情をもつこと。「熱烈に―する」「社内―」

と、新明解みたいにネタ化することはできない地味さながら堅実にまとめてあった。いい辞書だな、おい。CDロムの使えなさに嫌気さして使ってなかったけど、これを機に扱いかえようかな。

    大辞泉を出してる小学館には『日本国語大辞典』という国内唯一の国語大辞典があって、それの精選版はコトバンクでも引ける。せっかくだから引いてみた。

デート
〘名〙 (date)
① 日付け。年月日。〔外来語辞典(1914)〕
※大導寺信輔の半生(1925)〈芥川龍之介〉「西洋歴史のデエト」
② (━する) あらかじめ約束をして、異性の友人と待ち合わせて、会うこと。
※現代娘のX(1955)〈仁戸田六三郎〉娘の本能「もし『デート』以上の相手がある場合は、それにはそれ相応の信頼感をよせる」

「異性の友人」なので、異性愛限定になっていること、友人としている分、大辞泉よりも広い範囲になっていことが特徴か。異性愛限定については、この辞書が多分ここまで引いた辞書で一番古いものなので、致し方ないところだろう。むしろ全然新しい『広辞苑』や『大辞林』といった中型辞典の進歩のなさはなんなのかという話である。

   コトバンクではほかに『世界大百科事典』もヒットした。国語辞典と百科事典の違いが出てたのでこれまた引用しておく。

デート【date】
もともと〈日付け〉を意味するデートという言葉が,〈男女が日時を決めて会うこと〉という意味で広く使われるようになったのは,19世紀末から20世紀初頭のアメリカにおいて男女交際に関する新しい独特の社会慣習(いわゆるデート制度)が形成されてからのことである。 結婚前の若い男女,とくに10歳代の男女が,結婚を前提とすることなく(したがって,必ずしも相手を固定することなく)交際するというデートの慣習は,はじめ都市の中産階級を中心として形成されたが,20世紀に入るころから一種の若者文化として広く普及しはじめ,同時にさまざまのルールやエチケット(たとえば,男性が女性を自宅まで迎えに行くこと,帰りはきちんと送り届けること,デートにおける性的行為はペッティングまたはネッキングを限度とすること,など)も整備されるにいたった。

   文化史のお勉強になってしまった。

   ところで、おれの生活環境の問題なのか年齢的問題か、あんまり「デート」って単語を耳にしないような気がするんだけども、これってまだ死語になってないよね?   なんか単純に「会う」とかに置き換わっている気がするんだけど……(って言ったら、そんなことはないと言われたのだが、実感に乏しい)。

 

   ほかの辞書をさらに覗いてみようかとも思ったが、長くなったのでこれくらいで。

#収容ストップワンコインアクション のこと

 先日こんなことがあった。

 ほとんどの人がドトールで隣にいた人と同じく「え、何それ」ってな反応だと思う。
 実は今、全国5カ所の入管で無期限長期収容に抗議するハンガー・ストライキが収容された人たちによって行われている。
 おれの見た話だと参加者3桁。今回、大規模なハンストが始まったきっかけは長崎で収容されていた人が抗議のハンストをして亡くなったことだった。
 上のツイートに載せているハガキは各入管に送る抗議のお葉書である。

 と、たった4行書いた時点で、すでに「なんで収容されてるの?」という疑問を読んだ人が持つだろうと思われるので、そこを補足しなくちゃならないが、いきなり途方に暮れるのをいかんともしがたい。収容されているのは主に難民申請はねられたり、入管法違反とされたりして、もとの国に帰れと言われた人たちだったりすると書けば「それなら仕方ない」って考える人が多数なのが目に見える。難民申請の通る率が先進国のなかで異常な低さを弾きだしているとか、ずっと日本で暮らし、仕事を持ち、税金を納め、家族もいるような人がビザの更新にいって更新が認められない(理由は開示されない)とその瞬間に入管法違反にされてしまうとか、全然仕方なくない話だし、帰るに帰れない人を帰るというまで閉じ込めておくというのは、国連の拷問禁止委員会から是正勧告出てるので、このシステム完全に国の汚点だしとか、1個1個かみ砕いて説明するオツムもないし、たとえオツムがあったとしても、相手がそれに全部耳を傾ける根気の持ち主であると想定するのは無理だと思う。(相手の時間と根気がバリアになってしまうの、報道量が全然足りないせいなんで、もしメディア関係者がこれ読んだら、マジでもっと報道してください)
 だからどうしても、この辺の背景知識がすでにある人か、ここまで読んで「なにそれひどくない?」って思える人を読者対象とするしかないんだけど、そうした人たちにぜひ見てもらいたいのがこちらのブログ(薄荷らぼ。)である。エントリータイトルにした #収容ストップワンコインアクション の内容はここにあらかた書かれている。
hakka-pan.blog.jp

 ドトールで話しかけてきてくれた人に「このブログ読んでください」と言えばよかったとずっと思っているので、ここで紹介する。できたらはてブなりツイッターなりフェイスブックなりラインなりで拡散してほしいし、できればオフラインでも話題にしてほしい。#収容ストップワンコインアクションはカチカジャ!いばらきさんがこのツイート


から始まるスレッドで呼びかけたアクションなんだけども、薄荷らぼ。さんの記事のほうが一覧性に優れているので紹介しやすいと思う。

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フジイロックが素晴らしすぎて動揺している

 タイトルがすべてみたいな感じ。なんだけども、藤井フミヤのニューアルバム『フジイロック』が出た。

 前作『大人ロック』のときはまだ、聴くのを再開していなかったからオリジナルアルバムのリリースを楽しみに待ったのって、『PURE RED』以来。いや、「楽しみに」って言うんだったら、『R&R』以来かもしれない。ということは24年ぶり。
 今回のアルバム、おれ的に何が素敵かってまずジャケットだよね。まさかの手塚キャラ、しかもロック。手塚キャラのなかでも好きな方から数えて何番目ってやつで、小学校の終わりから中学校のはじめの手塚好きピークの頃はファンクラブに入ってて若気の至りというかなんというか、ロックのイラスト描いて投稿したらファンクラブマガジンに掲載されたなんて甘酸っぱすぎて普段はめったに思い出せない思い出もあんのよ。そんなわけでもうフミヤのアルバムがロックっての、それだけで嬉しさ二乗でさあ。しかも先行公開された動画「WE ARE ミーハー」がまた楽しい作品で。ちょっと貼るから見てよ。
www.youtube.com
 楽しくない? この懐かしポップカルチャーっぽいあれこれを気軽に遊んでみましたって感じ。しかもいつでもどこでも判で押したみたいに「歌はラブソングじゃないと聴いてもらえない」って言ってるフミヤさん(それを聞くたびにあれこれ例外が浮かぶわけだけど一般論としては間違ってない)がアルバムプロモーションのために選んだこの曲、ラブソングじゃなかったってところもまたおれ的にはツボだった。タイトルもいいよね、ミーハーって。フミヤさんのホームですよね、そこって感じもするし。一般語としてはすっかり「にわか」とかに変化しちゃってる気もするけど、「にわか」には入りようのない軽やかさとか愛おしさがWE AREとくっつけることでフォーカスされてるし。そんなところからごちゃごちゃややこしいことも考えたけど、ここでは割愛。
 で、わくわくわくわくと7月10日のリリース日を待っていたら、その数日まえに配信が始まったんですよ。速攻DLしたよね。CD置き場所取るしって理由で(今になってCDで買ってもよかったというか買っといたほうがよかったんじゃないかという気もしているが)。
 とりあえず曲目リストを眺めるとこんなだった。

  • BET
  • PINK
  • WE ARE ミーハー
  • Tokyo City Night
  • 言葉しかないLove Song
  • Who's fine?
  • そのドアはもう開かない
  • Tonight
  • 千夜一夜幻夜
  • ラクルスマイル
  • フラワー
  • ラブレター

 何はなくとも再生してみる。ピンと来る曲が全然なくても十回聴くとすべていい曲に思えてくるのが藤井フミヤの曲、というのが、自分の勝手にこしらえているイメージなので、とにかく十回聴かなくてはという気分。だったのだが、BETの前奏が始まった瞬間、あれ? かっこよくない? 嘘、しょっぱなからキャッチーじゃない? という意外性に持っていかれた。フミヤのアルバムで一曲目の一度目からこんなに「あ、これはいい」と思ったことがあっただろうか、たぶんねえぞ、と興奮し、その勢いのままに最後まで。終わったらまた再生みたいなことを繰り返して今日に至る。一曲だけ歌詞がピンと来ない(メロディーは素敵)のあるけど、最高じゃないかという結論になる。遅ればせで集め出したアルバムがまだ『Coverfield』(去年出た100曲ベストに1曲も入らなかったアルバムらしい)までしか揃ってないんだけども、そのなかではキラッキラ補正の入っている不動のマイベストアルバム『ANGEL』の次くらいに素敵なファーストインプレッションであった。
 このアルバムと併せて聴くとなんとなく『大人ロック』は大人(一般語で言えばおっさんだと思う)になったことを遊んでいるような曲があって、こっちは大人なの飽きたからちょっと若返ってみよっかなみたいな曲があるので、ロックでつないでるのも意味がある感じ。
 何より嬉しいのは、何曲かはなんかチェッカーズを聴いてたときの感触があるところ。これをなんと表現したものかと何日か折々考えていたのだけど、いちばんしっくり来たのは「適度な背伸び感」。いや、大ベテラン歌手が今更背伸びなんかしねえだろというのはそりゃそうなんだけど、BETとTokyo City Nightと千夜一夜幻夜はなんでかそんな感じを受けたんだよ、で、「そうそうこういうのを待っていた」と。もちろん、昔と同じ感覚じゃなくて、大マジでやってたことを遊びでやりなおした感じもあってそれもまた心地いいんだけどね。Tokyo City Nightがいちばん露骨にそんな感じを受けた。ちょっと気取った前奏からの歌い出しが「Tokyo City Night 愛 孤独 交差する ロマンス」だよ? いつの東京だって話なんだけど、こういう歌詞世界にフミヤの声は非常に映えるんだよねえ。この曲は20代のときに大マジで歌っててもおかしくなかったと思う。っていうか、ずっと東京に住んでて、こんなあこがれの街っぽく歌う歌詞を今書けるのが凄い。こんなん歌われちゃったらスージーさん、どう評価するんだろ。
千夜一夜幻夜」はディスコと神話のイメージを重ねた歌(だと思う)女性ボーカルとの掛け合いとか最高。「マハラジャな夜にあなたを意のままにしたい この手で マハラジャのようにわがままに連れ去って」「呪文を唱えよう さあ開けゴマ」というサビが凄く気に入ってる。この「さあ開けゴマ」ってわかりやすさがフミヤのサービス精神だよなあと。何回もリピートしちゃう。で次の「ミラクルスマイル」との落差が割と激しいんだけど、もう10回くらい聴いてしまっているので、もはや気にならず、「ミラクルスマイル」もいい曲っていうか、チェッカーズではなかなかこういう曲は作れないよねみたいな、なんだかよくわからないありがたみを感じだしたりしてる。
 あとね、聴いていなかった20年(長え。ほんとによくぞ消えずに活動し続けてくれていました、ありがたい)のあいだに、歌い方がやたら丁寧になっていて、うまいはうまいし、そりゃ素晴らしい声なんだけど、若い頃の才能の濫費みたいな(今と比べりゃ無造作な)歌い方じゃないところに一抹の寂しさを感じたりしてたもんだから、丁寧さがそれほど目立たない(丁寧に歌ってるんですよ、当然)何曲かは、いなくなったと思ってたあのフミヤに近い人がここにいるよって感激もあったり。なんつーの、あのフミヤもこのフミヤも聴ける感激? あ、それだ。だらだら書いてきてようやく、何が言いたいのかわかってきたぞ。『フジイロック』には藤井フミヤのキャリア35年がまんべんなくぶち込まれているって思ったんだ、たぶん。そんなわけでこれ読んだ人でまだ聴いてない人(いるんだろうか)、とりあえず、とりあえず聴いてみてくれ。聴いてみたけど、おまえ全然言ってること当たってねえぞって場合はご容赦をあくまで個人の感想なんで。でもってこれは今後もたくさん間違った仮説を立てちゃいそうなアルバムです。主観的にはムッチャお勧め。