田中優子『江戸の想像力―18世紀のメディアと表徴』

江戸の想像力―18世紀のメディアと表徴
田中 優子

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筑摩書房 1992-06
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江戸の想像力―18世紀のメディアと表徴 (ちくま学芸文庫)」(田中優子)読了。接続の仕方が面白くて引き込まれた。江戸中期から後期の文化を覗くのに、18世紀の世界というレンズを使った評論で、その先鋒の担わせた金唐革(きんからかわ)の話がとても面白い。嘘みたい、と言っていいだろう。
 金唐革とは「タンニンでなめした皮革に接着塗料を塗って合金の箔を貼り、金属に彫った型でプレスしてエンボスを作り、さらにその上から塗料で彩色などをほどこして壁材などに使用したもの」のことで、。生まれはトルコあたりで、もともとは影絵の人形芝居用に、皮製の切り抜き人形を作る技術だった。それがアジア一帯に普及し11世紀にペルシアに伝わる。そして15世紀にイタリアに上陸した。そこで画家のドメニコ・ヴァネツィアーノが革人形への彩色法を自分の仕事に取り入れる。そして彼の弟子筋にあたるサンドロ・ボッティチェルリが壁掛けにこの手法を応用した。これがオランダに移り、日本に入ってきたとき、「はるしあ」あるいは金唐革と命名された。天明年間には巾着やタバコ入れなどにもなっていた当時の流行商品であった。ところがややこしい話なのだけれども、流行した金唐革は、上の経路で入ってきたものとは別物の、いってみればバッタものであったらしいのだ。バッタものを作ったのはかの有名な平賀源内。彼は紙を使って金唐革と同じものを制作した。これが「ギャラリー・フェイク」にも登場した金唐紙である。
 さて同じ「ギャラリー・フェイク」にストラディバリウスのエピソードがある。これも金唐革とつながっている。ストラディバリの秘密はニスにあり、そしてニスの成分は謎に包まれていると言われている。が、「金唐革史の研究」の著者徳力彦之助氏によれば、金唐革の塗料こそストラディバリのニスと同じものであり、それは人工処理された塗料だったということである。面倒なので作り方は引用しないが、金唐革を見たストラディバリの研究者は「これこそ自分の探し求めていたものだ」と言ったらしい。80年代に出た本に引用されているエピソードがさっぱり流通していない(から今でもストラディバリのニスは謎に包まれていると言われている)のは、ひょっとするとこの仮説が崩れているからかも知れないけれども、江戸を調べていてストラディバリにたどり着くアクロバット感はたまらない。
 著者によれば、近世とは「新たな創造への衝動であるとともに、過去への激しい憧憬」であった時代であり、著者がその創造への衝動を象徴する人物として選んだのが、平賀源内だ。源内は有名な割に、何をした人かというところがいまいち曖昧なのだけれども、本職は本草学者だった。彼はそれまでの書物に頼り切った本草額を批判し、全国の学者に地元で発見した物を集めた展覧会を開こうと持ちかける。これは大成功を遂げるのだが、そのとき源内が使った方法というのが、旅費の出せない学者に収集した物を郵送させるというシステムだった。著者はこれを源内が俳諧において使用されていた「連」というネットワークシステムを流用したのだと言い、そこから話は俳諧へと進む。
 という感じで話題から話題へと連想は進み、現代あるような芸術イメージとはちがった芸術創造が江戸では行われており、そこではすべてが相対的な価値を有していたという主張がなされる。引用したり言及したりを続けているとどれだけ書いても終わらないので、ここらへんで止めておこうと思うが、自分はこの本を読んで鎖国していた江戸時代というイメージが激しく揺さぶられた。どれだけ戸を閉めようとしても、物は流通し、物と一緒に情報は流れ込み、世界認識に影響を与える。そして流通した情報は必ず形を変える。最近グローバリゼーションの話が取りざたされているけれども、世界の均質化なんてそうそうできるものではないのかもしれない。ひょっとしたら独自の文化も、独自性のない文化もこの世には存在しないのかもしれない。この本を読んでそんなことを考えた。